……ん。…さむ……。
ひんやりとした澄んだ空気が頬を掠める。ああ、もう朝か…。目を開けなくても瞼の向こうが白いから、なんとなくその事実だけがぼんやりと浮かんだ。
一晩を越した掛け布団は少し乱れてしまっているのだろう。どこか肌寒い。急に朝晩が涼しくなり戸惑う身体は正直に温もりを求める。
…くすぐったいな……。
首筋を柔らかいものがまさぐって、ぼんやりとした意識の中で反射的に肩をすくめた。
「んー……」
「………」
「……んっ、ん?」
先ほどの柔らかさとは違う。温度も、感触も。ザラっと湿ったものが耳の下までねっとりと這い上がり、そこで私の意識は一気に色を取り戻した。
「わ!な、何!?」
「ん?起きた?」
「お、起きるよ!」
「…ふーん」
噛み合ない会話は私のせいじゃない。…と思う。私の首もとから顔をあげた健人くんの、その企みを含む視線を見る限り、どう考えたってはぐらかされている。
「な、何……?」
「お前気持ち良さそーに寝てるし。俺にもその気持ち良さ分けてもらおーかなって」
「………」
「何?エミ顔真っ赤だぞ?……何想像しちゃってんの?」
「ちが……」
やらしーヤツ。という色気を含んだ低い声が私の反論と重なって、私の単語の続きは健人くんの吐息に混ざったままもう響かない。
「やっ……ん!」
冷えた耳たぶにも頬にも健人くんの熱が丁寧に染されていく。触れられたところから発熱していくのが手に取るようにわかった。
「あっ……た、健人く、ん……朝だよ……?」
「おー。知ってる」
「だって、起きないと……」
「今日は久々の休日」
「っでも、あ、明るいしっ……」
「明るい方がエミの感じてる顔とか良く見えんじゃん?」
「で、でも!」
「……昨日、俺が風呂入ってる間に先に寝てたヤツ、誰?」
「………」
私の肌に噛み付くように近づけていた顔が再び持ち上げられて、ほんの少し拗ねたような口元の健人くんが現れる。
えーっと、昨日は…健人くんが帰って来る前に先にお風呂入って、……それから一緒に晩ご飯食べて、お風呂入る健人くんをテレビ見ながら待ってて……。
あれ?それからの記憶が……。
「テレビの前からここまで運んだらその間に起きっかなーとか思ってたけど、ぐーすかぐーすか、お前いびきかいてるしよー……」
「い、いびき……!」
「……今朝はのんびりできるねーとか、メシ食いながら言ってたのどこのどいつだよ?」
そうだ、私だ。
結婚を意識して、私たちは今月に入ってから一緒に住み始めた。休みがなかなか合わない私たちにとって今日はこの家で2人で過ごす初めての休日。…だから昨夜は、ゆっくり、ゆっくり……。
「一晩中頑張るつもりで期待してたのによー…」
「ひ、一晩中だなんて!私、そ、そんなこと!」
…そんなこと、ほんの少しは分かってた。次の日の時間とか、そんなことなんにも気にしないでこの人と抱きあえるんだって。…ああ、一緒に住むっていいなーとか。私だって思っていたんだから。
「…ごめん、なさい……」
「べ、別にあやまんなくてもいーけど」
「………でも、せっかく…」
「や、俺も、スネるとか……バカみてー」
急に、なんだか勿体ないことをしたという気分が膨れ上がって口から飛び出した言葉に健人くんもバツが悪そうに頬を染める。いつもそう。私が素直になれば健人くんも同じように素直になる。そうして2人で気持ちを曝け出した後に、そんな自分たちがおかしくなってしまって笑いがこみ上げて来る。
ふふっ。と私が口元を緩めたのと、健人くんの目元が細められたのは同時だった。
「なんかこれからだってずっと一緒にいられるってのに…」
「……そうだよね」
もう一度視線が絡み合ってから、どちらからともなく瞳を閉じた。申し合わせたかのように重なるこの唇みたいに、2人で一緒に夜を過ごして朝を迎えることがきっとそのうち当たり前になる。
「んっ……あ、た、けと、く…」
「エミ……」
その長い指で優しく髪を絡めるときも、耳元を鼻でくすぐるときも、唇で首筋を辿るときも、ほっとする大きな手の平がゆっくりと身体を滑り降りてくるときも。
どんなときでも、彼はこんなに優しい瞳で私を見つめてくれていたのか。そんなことを思いながら私は健人くんの身体の重みの心地よさに身を委ねた。
Side by side.
(まだまだ、はじまりのふたり)
「ああっ!!」
「…ん?」
意識を手放しそうになって必死でこらえて、何度目か。蕩けそうな余韻が身体を捉えているというのに、頭の中だけは現実から逃れられない。
「何、どーしたんだよ」
「……きょ、今日…」
「今日?…なんかあんの?」
「も、燃えないゴミの日…!」
「はあ?!」
「あ、もう8時回っちゃう!早く出さないと!」
「お前な!!」
「だって!週に一回しか出せないじゃん!」
「……ッチっくしょ……」
end
(20100918)