etc | ナノ

「エミ」
「…」
「おーい」
「……」
「おーい!エミサーン」
「………」
「……落合エミサーン」
「…………」

無言を決め込んだ私の背後からの呼び掛けが止んだ。それまでは反抗心でいっぱいだったはずなのに、放っておかれるとそれはそれで物足りない、ような気がしてくるから不思議だ。去るものは追わず、の精神にはほど遠い私。

(だけど、振り向くもんか。今日こそは私が怒ってるって、ちゃんとわからせてやるんだから)

気配を探ろうと、足音を潜めるようにしてみる。きっと私が振り向くと決め込んだ廣瀬さんが、余裕の微笑みで立っているのだろう。腕なんか組んだりして、きっと。
でもだがしかし。
息を飲むようにして集中させた神経からは彼の存在を感じることはできなかった。途端にひゅっと、まるで北風になぜられたように冷たくなる心臓。
カラカラカラ、と、渇いた音とともに枯れ葉が私を通り抜けて、夜の街に紛れていく。

「…………」

勇んだ行動は勇み足だったのか。今日こそは、と気迫を込めたはずの思いはすでにしぼみきってしまっていた。ああ、そうだ。私に執着する必要なんて廣瀬さんにはないに決まってるじゃないか。作家といち担当編集。…に、過ぎないのだから。

言い聞かせるように拳を握ってみたものの、歩はゆっくりとスピードを落とし、次の一歩を踏み出しかけたところでとうとうネジは切れてしまった。もう前に進めない。

瞬間、それまでの頭でっかちな感情は消えていた。何かに引かれるようにふ、と振り返る。胸に抱くはいつもの挑発的な口元と目元。

だけど。ひそかに願うその姿はそこにはなくて。

(あ……)

やっぱり帰っちゃ……

「なーにふてくされてるんだよ」
「わあ!」

いつの間に真後ろにいたのか。耳元に息を吹き掛けるように声をかけられて、私は飛び上がる。

「わあ、ってナニよ?人のこと背後霊みたいな顔で見やがって」
「いや、気配が……てっきり、帰ったのかと……」
「は?気配?なんで俺が帰るんだよ」
「……や、私が」
「ん?」
「私、が…」
「おー」
「…………」
「何。はっきり言いなさいよ」
「や、あの、何でもありませ…」
「アレか。私が怒ったから廣瀬さん焦ってついてきて……、くれるはずないよね、そんなの自意識過剰だー!ってとこか」
「ちょ!人の心のなか勝手に読まないでください!」
「当たりかよ」
「!!」

バカだな、と目が語っている廣瀬さんとの顔の距離が近い気がして身体をのけぞると、同じぶんだけ距離を詰められる。

「あいにくこんな時間に女を一人で帰らせるほど躾られてないわけじゃないんだよ。わかる?」
「いや、帰れますから。女とか男じゃなくて、私編集ですし」
「ぶっ、なんだそれ」
「だから、」
「そんなに嫉妬丸出しの顔して。女じゃなかったらなんなんだよ」
「そんな顔なんて」
「そうか?いい顔してるぜ?お前にそんな目で見られて、俺超イイ気分。すっごいゾクゾクしてんだけどね」

気になるんだろ?と、彼はさっきエスコートしていた女性の存在をちらつかせる。

「ぜ、んぜん!……あ、変な噂で連載に影響あったら困るな、とは思いますけど!」
「カワイイねー。お前はホント」
「なっ」

まただ。こうやってからかわれて肩透かし。本質に触れさせないような軽口に私はいつも神経を揺さぶられるのだ。

「じゃあなんでお前は、あんなにぷりぷり怒ってたわけ?」
「お、…怒ってないですよ…」
「そうか?俺はてっきり、私怒ってるんだから!今回は本気なんだから!って言われた気分だったけどな」
「…廣瀬さん占い師に転職したらどうですか…」

いたたまれない。こうも感情を読まれては冷静を取り戻すしかないし、客観的に自分を見つめ直すしかない。恥ずかしい単純すぎる私を。肩を落としため息を吐くと、廣瀬さんは鼻を一度ならして笑った。

「仕方ないから教えてやるかな。……さっきのは皐月さんとこの上客だ。カジノで何回か顔会わせてるだけ。…皐月さんの手前邪険にもできんでしょ。…まあ俺は名前も知らないけどな」
「………」

憎まれ口すら軽快に返せる余裕はない。とすん、と降ってきた彼の言葉を反芻すれば、じわじわとあたたかいものが喉の奥に広がっていく。先ほど見たシーンは少しずつぼやけて、重苦しかった胸のうちが少しずつ晴れていった。

「あからさまにほっとしやがって。だからお前はかわいいんだよ」
「っ、も…、か、からかわないでくださいってば」
「…じゃあどうすれば伝わるか教えてもらえませんかね?エミさん。お前のこと本気で欲しい、とか、真顔で言えばいいワケ?」
「な、何言ってるんですか!そそそ、そ、そういうのをこんな公衆の面前で言うから…」
「信じられないってか?じゃあベッドの中か。いいけどな、俺は」
「………」

むしろ大歓迎、と付け加え、廣瀬さんは私の手首をそっと掴んだ。品定めするように覗きこまれた瞳は、有無を言わせず視線すら外させない強さをもつというのに、触れた手のひらから感じるのは、それまでの彼からは想像できないほど優しさ。その寄り添いたくなるような優しさに拘束されて、振りほどくなんて選択肢は消え失せる。

「本気だぜ?俺は」

顔が赤いことは、この火照った頬の感覚で鏡を見なくてもわかっている。私の本心も一緒に、一枚も二枚もうわてなこの人には筒抜けなのだろう。

「………エミ」


更に追い詰められて呼ばれた名前の響きは甘くて、必死で纏った鎧を簡単に溶かしていく。逃げることを諦めて見つめ返した視線は、ねっとりと熱を持ち、もはや止めることは出来そうにない。



操縦不能
(いくつになっても、この感情だけは)

 


back
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -