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「あー、いいお湯だった!」

「あらやだ!番頭さんがタケちゃんに変わってるわ!」

「ま!スッピン見られちゃった!」


いくつになっても女っていう生き物はかしましい…なんてこんな歳で思うのは、毎日のように店先で笑う賑やかなおばちゃん達のせいかもしれない。


「いつもすっぴんじゃないっすか」

「アラ!嫌だよ!ばれちゃってるわ!」


あいこさんによろしくね!と終始やかましいまま常連のご近所さんが帰宅して、一気に店の中が静かになった。


「………」


小さく溜息を吐いて、読みかけの漫画を開く。これこれ、気になってたんだ。先週犯人のしかけたトリックを解明したぞってとこで終ってて。
学校帰りにわざわざ商店街と逆方向の本屋に寄って手に入れた、明日発売の雑誌。あの店だけは夕方になるとフライングで週刊誌が並ぶことは、俺だけの秘密。


カラカラカラ……。


「…こ、んばんは……」

「………」

「こんばんはー」

「………」

「こ、ん、ばん、は!」

「あ、ハイ!……って、なんだ。落合か」

「…相変わらず漫画読んでるときの集中力すごいね…」

「……風呂か?」

「うん。お邪魔します」

「おー」


手を軽く伸ばしてエミから入浴料を受け取った。僅かに触れた指先が冷たくて、思わず目線だけを漫画からエミの指先へうつす。外の寒さで赤くなったその指は、しなやかに柱の向こうへ消えていった。

俺が漫画を読んでる時、エミは必要以上に話しかけない。ハルたちを見習ってそうしてるんだろうけれど。今の俺に、彼女にとって幼なじみとかクラスメイトとか、そんな肩書はほぼ存在しない。俺らの間にあるのは、風呂屋の番台に座る店の息子と、お客。それをはっきりと突きつけるようにエミは機嫌良く脱衣所の奥へと進んでいく。唯一俺らが知り合いだと再確認させるのが、エミが必ずこの番台から死角になるロッカーを使うということで。


…まあ、見えたら見えたで仕事にならないけどな…。


他のお客が来ているときと同じように、いつもするように俺は指で挟んであったページを開いて、読みかけの気になる謎の続きに没頭することにした。


「………」


読み進めて気付いた。トリックが理解できていない。だから意味が分からない。それに気がついて、もう一度主人公がトリック解説をしているページに戻ることにする。


「………」


文字の羅列が頭に入らない。ご丁寧にイラスト付きで説明までしてくれているのに、どうにもこうにも浸透してこない。なんだよ。今週のトリック難しすぎるんじゃねーのか?

何回か同じページを読み返して気がついた。


「……集中できねー……」


フキダシとフキダシの間にちらつくのは、エミの横顔。教室で、廊下で、クロフネで最近やたらに見かけることが多くなった、はにかむような笑顔。

10年振りに再会したお転婆だった幼なじみはそこにはおらず、自分とは違う性を感じさせる柔らかさをはらんだ空気をまとうようになっていた。

なんか目に留まるんだよな、アイツ……。

そんなぼんやりとした印象の感情がはっきりした好意だと気付くのに、時間はそう必要ではなく。意識をすれば、子供の頃の全ても胸を高鳴らせる事象に変換することはたやすい。


こういうの、今まであんまり興味とかなかったんだけどな…。


落ち着きを取り戻せないまま、頭に入らないままページをめくった。

「…くん!剛史くん!」

「!」


まだ濡れたままの髪に少し赤くなった頬のエミが目の前に立っていて、思わず瞬きを繰り返した。目がチカチカする。


「……な、落合。…なんだよ」

「…もー。そんなにその漫画面白いの?」

「は?」

「だからー……」


さっきから呼んでたのに、と口を尖らせるエミ。お前のこと考えてたんだよ。……なんてこと、コイツが気付いてるはずも、俺が言えるはずもない。


「……まーな」

「……。ま、いいや。いいお湯でした。ありがと。また明日ね」

「は?もう帰んの?」

「え?」

「髪、濡れてるけど」

「拭いたし、大丈夫だよー」

「もう寒いんだから、ちゃんと乾かさないと風邪引くぞ」

「あ、……うん……」


何気なく発した言葉に、エミの視線が泳ぐ。その先には確か、ばあちゃんの大切にしてる古い時計がーー。

その時聞き覚えのある着信音が鳴った。慌てた様子でエミが携帯を取り出して、そして俺が好きな、大好きな笑顔をふんわりとほのかに浮かべた。


「あ、うん。今上がって……そう。あ、大丈夫。今福の湯出るとこ……」


まるで湯上がりのエミの温もりをわけてもらったかのようにあたたかさを帯びた胸が一瞬で冷めていく。


ああ、そうか……。言われてみれば、この笑顔の先にはいつも……。


「えっと、じゃ、じゃあね。また明日、学校で」


少しぎこちなく手を振るエミを見て、謎が全て解けてしまった。


「……寄り道しないで真っすぐ帰れよ」

「!」

「……風邪引くぞ」

「も、もう!」


カラカラ……と入ってきた時と同じ音をさせて店の扉を開けたエミが、その先に何かを、誰かを見つけて、表情を変えた。まるでスローモーションで閉じていく扉の隙間に、さっきよりもさらに頬を赤らめた、俺が見た中で一番可愛く笑うエミが少しずつ消えていく。







謎と一緒にぬくもりの魔法までとけて消えた。





 


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