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意志の強さを感じさせる眉と、対照的に優しい色が滲む瞳。真剣だけど慈しむような表情の新堂先生が少しずつ覆いかぶさるように距離を詰めて来る。比例して跳ねる心臓は、沈む太陽に遠慮がちに顔を出した月までとんでいきそうなほどで、もう私の操縦出来る範囲をはるかに超えてしまっていた。

「…せ、ん……」

私の声はか細い。「先生」とただ呟くだけで、この状況のブレーキになりかねないって分かっているから。ずるいね。一応抵抗らしきことはしたんだよ、って。そんな言い訳、一体誰のために必要だというのだろう。

「エミ……」
「………っ」

あと数mmのところで囁かれた私の名前。一緒に先生の吐息が唇を包んで、私はそっと目を閉じた。






「おーい、マネージャーいるかー?落合―?」
「は、はいー!いまーす!」

襖の向こうから大きな声が聞こえて飛び上がった。
合宿中、炎天下で動き回るのは選手だけじゃない。お風呂も終えた頃にはへとへとになって、布団の上でのびていた私。
先生の声は、それだけで私の胸の中をピンクに染めあげる。飛び起きて慌てて開けた襖の向こうで、その勢いに先生は多分驚いたのだろう。面喰らったような顔をしていた。

「…寝てたのか?」
「え?ね、寝てないです」
「…そうか?でも」
「え?あ!」

濡れたままの髪で横になっていたせいでぼさぼさになってしまった頭に気付いて、あわててがしがしと髪をなでつける。ああバカ私。格好だってジャージだし。いや、合宿だから仕方ないんだけど。あ、でもせめてもうちょっと可愛いTシャツ持ってきたら良かった。先生に見られるかもしれないんだから、もっとちゃんとすれば良かった。何やってるんだろう。バカほんとバカ。…せっかく一日中一緒にいられるっていうのに。
……まあ、野球部の顧問と、マネージャー、として、だけど、ね。


「……だろう?」
「へ?」

高速で後悔が駆け巡る私を先生の低く落ち着いた声が引き戻した。

「コールドスプレーとか足りなくなってだろう?」
「え、あ、ああ、ハイ。あとテーピングも…」
「そうだったな。買い出しに行くから手伝ってくれ」
「え?……あ、ハ、ハイ…!」

勢いよく返事をした私を見て、新堂先生はふっと表情を緩ませた。諭すように頭にぽんぽん、と乗せられた手は、やっぱり今日もあたたかくて優しくて。

「………っ」

きゅう、と胸が鳴く。嬉しくて幸せで。それなのに痛くて切ない。先生に触れられるといつもそう。不思議。






「よし、じゃあ戻るか。…えーと、もう足りないもの、ないよな?」

並んで買い物、という普段なら考えられない状況に一人ときめいて、時間は駆け足で過ぎていく。

「うーんと……そうですね」
「大丈夫か?学校周りと違うから、宿まで戻ったらもう買い物出られないぞ?」
「えと……はい、大丈夫です」
「そうか。じゃあ車出すぞー」


この辺りは街灯も少なくて暗い。頼りはカーステレオの青白い光だけ。これならきっと、見つめていてもばれないだろう。そんなことを思って、未だ乗り馴れない先生の車の助手席で、運転する横顔をちらちらと盗み見た。

「………どうした?」
「え!……いや、あの」
「俺の顔に何かついてるか?」
「や、違うんです、あの、ただ見てただけで」
「……あのなあ落合。そんなに見られたら、その……運転しにくい、だろ?」
「す、すいません!」
「いや。別にいいんだが…その……な?」

運転しつつ、少しだけ顔をこちらに向けて先生ははにかむように笑った。トク、と心臓が揺れる。ああ、もう私だめだ。どうかしてる。先生が何を言ってもどんな顔をしてもドキドキするだなんて。
落ち着かせるように大きく息を吸い込んで、吐いて。頭は自然と言い訳を探していた。

…だって、昼間はこんな風に先生と一緒にもいられないし、ずっと顔を見てることだってもちろん無理なわけで。一瞬くらい、今なら。……ダメなのかな、やっぱり。

そんなことを思いながら、言われた通りにフロントガラスに向き直る。そこに反射して映った先生の姿をやはり見つめつつ、少しずつ残りが少なくなっていく宿までの道のりに、思わず溜息が溢れた。

「…ん?」
「え、……なんでも、ないです」
「なんだ。気になるじゃないか」
「………いえ」

なんとなく期待をしてたんだと思う。先生が私を買い出しに連れ出してくれて、それは結果的に二人きりになるチャンスなわけで。
少しだけでも、甘い時間なんかを過ごせるのかな、とか。そんなことを思ってしまっていたのだろう。先生が大事にしてる野球部の合宿中に、そんなこと考えるはずもない。大人だし、きっと余裕もあるんだから。
私だけが先生先生って。これじゃまるで駄々をこねる子どもみたいだ。


「ちゃんと言いなさい」
「だって」
「いいから」
「でも」
「エミ」
「!」


視界が揺れるほど心臓が縮こまった。何それ、ずるいよ。このタイミングでいきなり名前で呼ぶなんて。飲み込んだはずの言葉が奥からせり出して来る。
いつの間にか道路の脇に寄せられた車。車内にかちかち、とウィンカーの音が響いていた。捕われた視線をもはや外すことも出来ない。観念した私はそっと口を開いた。


「……もうすぐ、……宿に着いちゃうなって。……それだけです…」
「それは」
「わかってます。合宿中って」
「……まあ、そうだな…。でもお前、本当はわかってないんだろ?」
「え」
「……買い出しに行くくらい、これくらいの量、別に俺が一人で行けば済むことだって」
「……えと」
「……部員たちには、申し訳ないとは思うんだが」
「………」
「俺だってな、少しくらいは、……」


ズルいことしたくなるんだって、言いたそうな顔で先生は私を見つめる。かちゃり、とシートベルトを外すと、流れるように助手席に手を添えた。シートと先生の腕で囲まれた私は逃げられない。勿論逃げるつもりだってないけれど。

…距離が、近い。

少しずつ先生の輪郭がぼやけていく。望んでいたくせに急に後ろめたくなって、それでもやめて欲しくなくて。

霞のような理性が小さくせんせい、と呟こうとしたけれど、結局それは彼の身体の中に溶けて消えた。


秘め事
(先生と、わたしだけの)


 


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