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なんだよそれ、といら立ちを隠さない声色で健人くんは壁を拳で叩いた。新しげとはいえ結局は安い賃貸。音は壁の間の空洞で響いて渇き広がる。

…渇いているなんて思うのは、私の心境のせいだろうけれど。


「なんで……」

「……理由を言ったら、健人くんは納得してくれるの?」

「するわけねーだろ」

「じゃあ」

「するわけねーけど………でも何でって思うだろ、フツー」

「…………」


私から切り出した。一緒にいるのをやめよう、別れようと、ごくシンプルな言葉で伝えたけれど、それは間違いだったのか。もっと回りくどく、くどくどと説明をすれば、今この2人の間の空気は違ったのだろうか。

私の感情はかさかさで、目の前で眉間にしわを寄せたまま手元を睨みつける健人くんの姿がやけに他人事で。


「……気付かなかったの?」

「あ?」

「……私、結構前からずっと悩んでたのに」

「結構前からって、前から別れたいって思いながら俺と一緒にいたってことかよ」

「………」


言葉ではっきり言えないまま、仕方なく私は頷いた。もうだいぶ前から決まっていたんだと思う。零さないように、と細心の注意を払っていたはずなのに一滴。落としてしまってついたしみがじわじわと、その輪郭をぼやかしつつ広がっていって、全てがグレーに染まってしまった。


「…わけわかんねー…」


苦々しくそう呟くと健人くんは壁についていた手のひらを縮めてガリッと音をたてながら擦る。そのまま力なく、だらん、と腕が降ろされた。

ずっと好きだと思っていた。間違いなくこの人が私の運命の人だって信じて疑わずに。両手を取られて向かいには健人くん。まわりを見ることを許されないままここまで歩いてきた。けれど。

気付いてしまったんだ。

私はまわりを見渡すくらいの余裕が欲しくて。

俺だけを見てろ、という言葉の影でそっと目線をずらしたところにあった、柔らかな笑顔に……気付いてしまったんだ。


「……まさか、エミ……」

「…………」

「なんで……」

「…………ごめ、」

「なんでよりによってアイツなんだよ!」


掴まれた両肩に食い込む指が痛い。健人くんの瞳を見つめ返すのが痛い。


「お前のこと、手放すつもりなんてねーからって……」

「やだ」

「散々言ってただろ!どこにも行かないよって言ったのはエミだろ」

「健人くん」

「エミ!」


怒鳴るように叫ぶように響いた私の名前が耳をつんざいて、思わず目をつぶる。肩をすくめた私の身体は引き寄せられて、そのまま唇になまあたたかい体温が押し付けられた。


「や」

「…………」

「やだ、たけ……」

「…………」

「やめて、……やめてよ!!」


無理矢理こじ開けられて舌を盗まれそうになって。バンと胸板を力一杯叩くと、むせた健人くんはようやく私を解放した。


「はあ……っ」

「あいつがお前の何知ってるっていうんだよ」

「あのひとにはまだ何も、」

「お前の悦ぶこととか、好きなとことか、知ってるのは俺だろ!?」

「きゃ……」


離れ切ってない2人の身体が再び密着する。噛みつかれるように壁に押し付けられたまま逃げ場もない私は健人くんを受け入れるしかなくて。


「やっ……やだ!」

「……エミのこと一番わかってるのは……」

「ンうう……っ」


知り尽くした手が私をやりこめようと這い回る。せめてもの抵抗で閉じるつもりのない瞳が、健人くんの表情を捉えた。こんな顔見たことがない。余裕がなくて、今にも泣きそうで。


この顔をさせているのは私だ。


「…………エミ……っ」


切なげな声でもう一度名を呼ばれて、ついに私は瞳を閉じた。あわさった瞼から一筋、気持ち悪い温度の涙が溢れて流れて渇いた胸をつたっていく。

どうして、彼の言う通り前だけを見ていなかったのだろう。きょろきょろしながらなんて歩かなければ、彼だけを見ていられたのに。





(もう二度と歯車は噛み合ない)

 


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