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空は黒かった。はぁっと吐き出した息が白く視界を濁して溶けていく。身体の芯から震え上がるような寒さに、チョイスを間違えたとしか言いようがない軽すぎるジャケットの中へ身体をおさめなおした。

きっともう少し前に季節を巻き戻せば、この時間の空はすでに明るく鳥もさえずっているのだろう。この季節ではまだ、東の空でさえも漆黒。星すらも眠っていそうな光のない空を見上げながら、逃げるように歩を進めた。

じりじりと後ろ髪を引かれているような感覚を拭い去りたくて、しかし立ち止まり振り返りたくて。…そんな勇気もなくて。
まるで不安定な心境は、僕の感情そのものか。見てしまった現実はなかなか薄れていく気配を見せず、まとわりついてこの気持ちを益々重く鈍くする。




「…そんな顔するなって。帰りづらくなるだろう?」
「……だったら、」

切なげに伏せていた瞼を上げたエミちゃんの横顔。長い睫毛が揺れて、艶っぽさを強調したような気がした。その表情を、正面から見ることができない自分を呪った。

「参ったな…」

言葉とは裏腹に口元を緩めたその顔を、エミちゃんは期待に満ちた、だけど少しだけ緊張した面持ちで見上げている。彼は彼女を拒絶しない。明日は二人とも仕事が休みのはずだし、断る理由なんてないのだから。

「…俺だってお前と」
「……編集長……」
「こら、今は」
「あ、そうですよね。なんだかまだ慣れなくて……敦志さ、」
「さんはいらないって言ったろ」
「……ふふ。はーい」

頭をぽんと小突かれたエミちゃんはそれはそれは幸せそうにはにかんだ。僕は相変わらずそんな彼女の横顔を少し離れた場所から見つめていて。

なんとなく、こうなるんじゃないかなって予想はついていた。皐月さんとこのパーティで初めてエミちゃんに会った、あの時から。エミちゃんの隣に立つ陣内さんの雰囲気を感じた、あの時から。


「わかってても、やっぱりなーんか……」

呟いた一言は白い息と一緒に闇に溶けて消えていく。こんな風に簡単に想いも薄れていけばいいんだけど、ね。

僕は知っている。そう簡単にはいかないってことを。シンプルな感情こそ消すことが難しいのだということを。

「僕としたことが……しくじっちゃった、な……」



歩き続ける僕の頬はもう麻痺してしまって空気の冷たさを感じない。やっとの思いで今来た道をそっと振り返れば、遠くの向こうの空が少しだけ青みを帯び始めていた。

あの明るい光の下で、きっと二人は幸せな朝を迎えているのだろう。

冷えすぎた鼻の奥がつんと痺れて、僕は顔を歪ませた。




軋む空
(歪み続けて白んでゆく)

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