SP小説 | ナノ
職業柄、歩行時は靴音がならないように気を付けている。職務中なのかプライベートなのか、その二つが入り混じったような生活が長かったから、そんな歩き方や立ち居振る舞いがオレのスタンダードになっていた。

しかし今はどうだ。

ハァ、ハァ、と息は弾み、小走りの歩行は踵のすり減った靴音とともに。

(そういえば、ミネラルウォーター切らしてたような……)

何軒目かのコンビニの灯りを目にした途端、なぜか昨夜、何気なく開けた冷蔵庫のイメージがフラッシュのように瞬いた。

ちらっと腕時計を確認する。

(いや、そんな時間も惜しい)

きっと今ならまだ、エミさんは起きている。起きてオレの帰りを待ってくれている。今朝、「遅くなりそうだから先に休んでいてください」なんて言ったくせに、本音をいえば、逆。いや、休んでいてもらいたいのだけれど。無理はさせたくないのだけれど。寝顔もかわいいし、抱き寄せて眠るだけでも、別にそれはそれで満足できるのだけれど。

おかえりなさい、って。あの声で言ってもらいたい。笑顔で迎えてくれる彼女を抱きしめたい。

誤魔化しのきかない、欲望オンリーな本音だ。

一歩、また一歩と足を動かすごとに近づく家の扉。そのたびに梅干を食べたとき以上に酸っぱくて甘いこの感情にきゅうっと締め付けられる胸。

(本気で、ヤバイ。オレ、これじゃまるで少女漫画に出てくる恋する夢子ちゃんみたいじゃない?)

そうして自宅までの道のり最後のコンビニもスルーして、エレベーターに滑り込んだ。

(エレベーター待ちがないなんて、オレってラッキーマン!ていうか、オレとエミさんの運命がそういうことってコトでしょ…っておい、思考がますます乙女チック!)

待ちきれず、エレベーターの中でキーケースを取り出して、玄関のカギを選ぶ。そのまま挿し込めるようにスタンバイ。ふっと一瞬の無重力を身体に感じると、扉は勿体つけるようにゆっくりと開いた。

(帰ってきた…!)

つい今朝まで一緒にいた相手をこんなに欲している自分を、周りは笑うだろうか。次に何日も帰れそうにない捜査が入ったら、オレ一体どうしたら良いんだろう。ああ、ケータイにたくさん写真撮っておけば少しは我慢できるかな。

逸るからだとアンバランスに頭はなんだか妙に冷静。さっきまでよりさらに早まる足取りで、ようやく玄関前にたどり着いた。

がちゃ、がちゃがちゃ、…かちゃり。

そっと扉を引いてみる。もし、もしもエミさんがもう寝ていたら、起こすことがないように………。

ぱっと、センサーで玄関が明るくなった。

そのすぐあとに、廊下の先の空気が動いた、ような気がした。ときめきってこういうことを言うんだろうか。心待ちにした人の気配だけで、心臓は分かりやすいほど拍動を強くする。

「ただいまー……」

ああ、口元が緩むのを抑えきれそうにない。
ぱたぱた、と。かわいいスリッパの音(足音までかわいく思うなんてもうこれ病気なんじゃないかって思わなくもないけれど)と一緒に飛び込んできたのは、

「おかえりなさい、透さん」
「………!」

日中のいろんなこと全てかぶっ飛んでいく。

「…破壊力満点…」
「え?」
「……や、なんでもないです。…ただいま、エミさん」
「はい、おかえりなさい、今日も一日お疲れ様でした!」
「遅くなるから休んでて良いって言ったのに、待っていてくれたんですか?」
「あ、…はい。もうちょっと待って帰ってこなかったら先にお風呂入って寝ようかなって思ってましたけど……」
「もうちょっと、もうちょっとって3回くらい先延ばしにしてくれたんじゃないですか?」
「え!」

何気なく言った色ボケした一言は、図星だったようで、エミさんの頬がみるみるうちに赤くなっていく。

「……正直オレ、すっげー嬉しいです。寝込み襲うのも捨てがたいですけどね」
「と、透さん!」

もう、帰って早々冗談ばっかり!と頬を膨らせたエミさんとリビングへ。

「ご飯すぐ温めますね。その間にお風呂入ってきてください。疲れたでしょう?」
「……エミさん、お風呂まだなんでしょう?じゃ、一緒に入りません?」
「は!?」
「は?ってその反応、オレ傷ついちゃう」
「あ、すいません…っていやいやいや、」
「良いじゃないですか。夫婦ですよ、新婚ラブラブ」

お腹も空いてるし、ずっと競歩競技中みたいに急いで汗もかいた。でも今は。

「ほら、行きましょー!2人で入ったら時間短縮!エコ!地球にやさしいですよー」
「じ、時間短縮って、嘘ばっかり!」
「え?お風呂でナニするつもりですか?エミさん、いやらしいなー」
「わ、私何にも言ってない!!」




ただいま
(抱きしめさせて、触れさせて。あなたのもとに帰ってきたことを噛みしめさせてほしいから)


 


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