やたら重く感じる扉を開く。真っ暗な玄関の壁をまさぐり電気のスイッチを探した。すぐに見つからず簡単に諦める。
履きつぶしてくたびれた靴を脱ぎ捨てて家に上がり込む。
暗い家の中に人気すらなくて妙に空気が冷たく感じる。
こんな風に静かすぎるとどうも物足りなくて、いつもは煩わしいとしか感じないあの3姉妹のやかましさを妙に欲している自分に気付く。
階段をのぼって自室のドアノブを回す。例によって暗い部屋。目の前にある窓から切り取られた少し明るい黒が目に飛び込んできて、家の中の孤独を強調する。
自分のものではないように思えるほど重たい身体をベッドに投じる。
…疲れた………。
新しい総理大臣は、その人柄も素晴らしくて、今まで以上に仕事にやりがいを持てるようになった。反面、その内容は露骨に色濃くなっていく。
携帯を開いて時間を確認する。
「…もう1時回ってやがる…」
こんな時間まで仕事をして。
…明日は朝から報告書の提出を迫られている。そういや、ミーティングもあるって班長が言ってたっけ……。
「だり………」
身体を反転させて天井と向き合う。知りすぎているほど見慣れた天井を眺めながら、溜息をついた。
空気に混じって消えていく吐息がやけに大きく部屋に響いて急に虚しさに襲われる。
…俺、何してんだ……?
気付けば独り。仕事に没頭している時には気付かないその虚無感は、こんな風に静かな夜に限ってここぞとばかりに顔をのぞかせる。
…そうだ、高校の同級生の結婚式の招待状が来てたっけ。はやく返信しなければ。懐かしい顔に会いたい気持ちがない訳ではないけれど、その日はどうにも動けない…
「はー………」
こんなふうに静かな時間は久しぶりで、なんだか無性に思い出に浸りたくなる。病んでるとかじゃない。…きっと、あの招待状のせいだ…。そうだ、そうに違いない。
ループするブルーな感情を払拭すべく、もう一度大きく息を吐いて……それから、持ち帰ってきた報告書の続きをしようと決心して、勢いをつけて身体を起こす。
そのとき、不意に枕の横に放り投げていた携帯が音を鳴らし主張し始めた。
……誰だ?こんな時間に
こんな時間にかかってくるといえば、大抵は仕事がらみで。総理がまた何か事件に巻き込まれたのかとか、咄嗟にあり得すぎる様々な事件を思い浮かべる。
「はい、秋月です」
反射的に背筋を伸ばして画面も見ずに返事をした。
『あ、出たわよ!海司?あんたまだ仕事してるの?!』
「…………」
その声の大きさに思わず受話器を耳元から離した。
『ちょっと?!聞いてるの?』
酔っぱらっているのか、いつもよりもさらに3割増のデカイ声。力んだ背筋を緩めて、肩を落とした。
「ああ…聞こえてるって」
やたら家が静かだと思ったら、三人そろって遊びに出てやがったのか……。
賑やかな姉達に負けないくらい賑やかなBGMが聞こえる。こことはあまりに違いすぎる場所が、この受話器のすぐ向こうにある。
『今日本橋にいるの!終電なくなっちゃったから迎えに来てもらえないかしら?』
「は?!今俺もう家だし!タクシーでも何でも拾って帰ってこいよ
『ま!それが大切なお姉様達に言う言葉?!』
「…自分たちで言ってたら世話ねーよ……」
『どうせ一人なんでしょ?!』
「わりーかよ」
電話口の向こうで他の2人が、彼女と一緒とかじゃないくせに!とか好きな事を言ってるのが聞こえてくる。
「あー、もう、うっせーな!俺はもう家なの!明日も朝から仕事なんだよ。頼むからタクシー使ってくれって!」
もう海司にはお土産も買ってあげないんだから!とかなんとか。怒りながら電話は切れた。
「…相変わらず、うるせー…」
再び静寂に包まれる。
彼女がいないとか、余計なお世話だってんだ。出来ないんじゃなくて
「…作らねーだけだっつーの」
呟いて思い出す、小さな女の子。この状態で思い出すのがまだ小学生のまま時を止めたエミだってことに我ながら笑えてきた。
「…俺って、馬鹿だネー…」
なんだかもうどうでもいい。報告書も明日向こうでしよう。間に合うように済ませればいい。何度目か分からない溜息を漏らしながら再びベッドに倒れ込む。
瞼を閉じて宇宙に浮かぶ。黒すぎて青い世界に横たわり溜息で作ったエミの姿を隣に抱きしめて。
何度そうしたか分からない夜を、また今夜も同じように超えていく
いつかこの幻が本物の温もりになる日を、性懲りもなく願いながら。
俺ってほんと、どうしようもねー。
まったく。馬鹿なロマンチスト。