(えっと…あとは)
ソファに体を預けて天井を見上げる。白い壁紙に描く、瑞貴の姿。
(…拗ねた時とかも、かわいくて好きなんだけどな…って、これは違うか)
広げていた雑誌をひざごと抱えて口元を覆う。独特な印刷物の香り。なんとなく目を瞑ってひとつ、大きく息を吸い込んで、吐いた。それからもう一度、深呼吸でぼやけかけた瑞貴の姿をはっきり描きなおしてみる。
(…瑞貴の好きなところ……は、と)
今日買った雑誌。特集は「恋愛力を高める」だとかで。「相手に愛されるために自分も彼に恋をしなさい、相手の好きなところを10個あげてみなさい、まずはそこからよ」…とは、オネエ系の指南役の言葉。
(…まあ要するに、そうやって相手のことを考える時間を作れってことなんだろうけど……)
背中を起こしてもう一度雑誌に目を落とした。10個即答できない私。なんとなく罪悪感というか、後ろめたい。やましいことがあるわけでもないけれど、こうやって具体的に箇条書きで列挙しろといわれると少しひるむ。別に好きな気持ちが薄れているわけでもない。出会ったときより、ただ護られていたときより、昨日よりも今日のほうが。
(……どんどん好きだし…)
「って、うわ。なんか恥ず……」
とりあえず残り二つは瑞貴の顔を見てから考えよう、とリビングの扉をちらっと確認した。使用中のバスルームからの水音がまだ続いている。きっとまだあがってこない。二人きりの彼の部屋で、他に誰もいないことはわかり切っているのに、私はもう一度素早く周囲をぐるっと見渡して一人であることを確認すると、もう少し先の二つ目の特集ページをそっと開いた。
「愛を深める……」
…ためのベッドテクニック……。
「………」
太字のタイトルを見た途端、一瞬で私しか知らない瑞貴を思い出す。
『エミ』
艶っぽい響きで呼ばれる自分の名前が特別になる瞬間。やさしくて、甘い。絡み合う吐息が自分の体温より高くなるそのとき、瑞貴は私を見つめてくれる。その時の熱っぽくいやらしい瞳。……誰も知らない。きっと私しか知らない。背筋がぞくりとするほどきれいなこの表情が私は好きで。
(…どうなってもいい……ってスイッチが入るんだよね……)
「って、何言ってんのか…」
自業自得。自分で想像して顔がほてりはじめた。もはやBGMと化したシャワー音のせいで、私の思考回路はますます夜特有のものにはまりこんでいく。誘われるように再び記事に目を通した。
「何読んでるの?」
「うわあ!」
突然背後から声をかけられて飛び上がった。反射的に雑誌を閉じる。
「あれ、驚かせちゃった。ごめんね」
「あ、う、ううん!だいじょぶ…」
「ああスッキリした」
首にタオルをかけた瑞貴が隣にばふん、と腰掛けた。まだ湿っている色素の薄い髪の毛。温もった頬はいつもより少し赤い。お風呂あがりの彼のからだの回りの空気が温められて、隣の私にまでぬくもりが伝わってくる。同時に包まれる石鹸の香りにめまいがしそうになった。
「何読んでたの?」
「え!」
「えって……」
「ああ……雑誌。い、いつも買ってるやつだよ」
あくまで特集に惹かれたわけじゃないよ!と、聞かれてもいないことを答えそうになって言葉を飲み込んだ。
「ふーん……恋愛力を高める、ねえ…」
表紙に目立つのは巻頭特集。興味ありげな瑞貴から雑誌を遠ざけようと、テーブルの端にそっと逃がした。
「な、なんかね、えっと、相手の好きなところを10個あげなさいとか…まあそんなことが書いてあっただけだった」
「ふうん…10個なんてあっという間だよね」
「う、ん。そ、そうだね」
「……思いつかなかった?」
笑顔の瑞貴に懺悔が許されそうで白状する。
「…箇条書きって考えると、…なんか難しくて」
「そういうものかもね。僕もやってみようかな」
「え」
「えーっと、エミの好きなとこ、好きなとこ……」
ソファであぐらをかいて私に向き直って。楽しそうに瑞貴は答える。
「えーっと、そうだなあ。…頑張り屋さんなとこでしょ」
「あ、それ私も思った。瑞貴のこと」
「本当?…次は…そうだな、しんどくても笑顔で回りを明るくしてくれるところでしょ」
「そ、それは買いかぶりだよ」
「……ふふ。エミ顔真っ赤」
私の顔をじっと見つめながら瑞貴の回答が並んでいく。一つ一つ重ねられるたびにくすぐられているみたいで、どうにもこうにも恥ずかしくて仕方がない。もういいよ、とやめさせたいのと、聞いておきたい相反する感情にに挟まれて、忙しい私の心臓。
「それから、……僕を大好きなとこ」
「なにそれー」
「大事なことだよ」
「…そうかも。私もそれ入れよ」
「真似するなんてずるいなあ」
「だって大事なことなんでしょ」
「……うん。そうだね」
あとは…、と瑞貴は身体をぐっと動かした。沈むソファ。近づく距離。感じる空気がまた1℃、温度をあげる。
「……ん」
唇がつながった。少し長めのキス。こつん、と額があたって、ほうっと空気を吐きながらそっと閉じていた瞳を開く。
「うん、今の顔も好き」
「え?」
「…エミのキスしたあとの顔」
「も、もう」
「未だに照れるよね、エミ。すごくかわいい」
「やだ、恥ずかしいからやめてよ」
「それと……」
「え……あ……」
鼻筋が耳たぶをくすぐった。そのまま鎖骨まですっと熱が滑り落ちる。
「んっ……」
「その声も好きだよ」
「ちょ、あ……」
急に空気が変わった。吸い取られるように力が抜けて、ずるずると、身体は瑞貴の重みを受け止めながら傾いていく。
「こうやってエミのこと見下ろすのも好きだなあ」
「それ、ちょっと趣旨違う…」
「見下ろされるのも好きだけど。」
「ば、ばか!」
「あはは……そうだなあ。本当はえっちな記事読んでたくせに、僕に隠そうとして焦ってるエミも、可愛くて捨てがたいけど……ね?」
「な………!」
見られていた。一瞬で背中に汗が噴出すくらい身体が熱くなる。
「隠さなくていいのに。…一緒に見る?」
「み、見ない!」
「残念。書いてあること、1個ずつ試してもらうのもいいかなって思ってたのに」
至近距離で瑞貴が微笑んだ。
(…あ、この顔……)
やさしい瞳の奥が妖しく色めいたことに気づいて息を呑んだ。お構いなしに彼は再び首筋からうなじに顔を埋める。無造作にはねた毛先からお風呂上りの香りがした。
「や、…あの、私まだシャワー浴びてな…」
「いいよ、このままで」
「え、やだよ。だって瑞貴は」
「…石鹸の香りも悪くないけど、エミのにおいが好きだから」
「そ、それって臭いって……」
「あはは。違う違う。…うーん、においっていうか、……フェロモン?」
「ふぇ……!」
「……はー……全部好きだよ、エミ」
つぶやく声がかすれた。愛しむようになでられた頭から手のひらは滑り、そっと頬を包まれて。
愛されているんだ、と感じた瞬間、私の胸のうちから瑞貴があふれそうになった。
きっと全部が好き過ぎて。
(どこが、だなんてあげていたら間に合わないくらいに)