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「……っ」

思っていたよりも強い力に掴まれた驚きと、思いもよらなかった展開についていけない衝撃とで、顔をあげることはできなかった。小柄で華奢で、いつだってさわやかに挨拶してくれるその優しい人柄の滲む声の持ち主。突き刺さる視線から逃れようと凝視した、私の手首を掴んだその手は、性別が違うのだと、この人は女友達でも、男の子でもなく、同世代の男なのだと。…当たり前のことを今、はじめて思い返した。

「…エミ、…さん…」

真壁さんは、さっきよりもずっと思いつめたような声で私の名前を遠慮がちに呼んだ。

私は返事も出来ず、相変わらずただ自分の手首を見つめたまま。

僕は、と消えそうな呟きが空気に溶けて二人の間を濁していく。二人の手首が白くかすんだ。




「海司さん、この間の試合すごかったですね」
「見ました!深夜枠だったから、起きていられないと思って録画予約してたのに、結局ナマで見ちゃって……次の日の講義、眠くて大変でした」
「あはは。僕も気になって…」
「じゃあ真壁さんも寝不足組だったんですね?」
「はい。……ここだけの話、」

真壁さんは声を潜めて続ける。私も耳を傾けた。

「…こうやって立って警備してる途中で寝ちゃいそうになって…」
「ええー、それはまずいですね…」

いたずらっぽく笑みを浮かべた真壁さんと目配せをしてから私たちは笑った。

「明日には日本に帰ってくるんですよね?」
「はい。確かそんな予定だったと思います」
「……エミさん、嬉しそうですね」
「え!そ、そんなことは」
「…わかりますよ。隠しても」
「……まいったなあ。真壁さんには何でも気づかれちゃって……」

気づいてほしい人は気づかない。そんな苦みを帯びた思いが胸をさらう。好成績を残して帰国する海司を空港まで迎えに行って、おめでとう!なんて言いながら抱き着くような資格は私にはない。行きたいのはやまやまだけど、ここで大人しく待っていて、みんなに紛れておめでとうを言うところが関の山だ。

「僕は、………ほら、エミさんの話、色々聞いてますから」
「ちょ、ま、真壁さん!シー!」
「ははは」
「…もう、ホントにホントに誰にも言わないで下さいよ?」
「言いませんけど…でも、いい加減告白したらいいのに。海司さんだって、」

真壁さんは一度言葉を切ってから少しだけ視線を動かして、それから瞼をわずかに伏せてからもう一度にっこりと笑顔を見せた。

「きっとまんざらじゃないと、…思うんですけどね」
「………うーん、でも、……告白して、友達にも戻れなかったらって思うと」
「……まあ、それは」

そうですけど。と真壁さんはそのまま黙り込んだ。それからしばらくして彼はまたいつもの人懐っこい笑顔になる。

真壁さんの穏やかな雰囲気は私を安心させる。否定をしない彼は無理な肯定もしない。けれどそれが余計に信頼できた。仕事中のこの人に、こんなふうに話をしていてはだめだな、とは思うものの、真壁さんの話の振り方はスムーズで、私は結局こうしていつも彼に海司の話を打ち明けてしまう。




「…告白しようと、思うんです」

このままでは何も変わらない。いくつもの昼と夜を超えその結論に達して、一歩を踏み出す勇気を決意するところまで漕ぎつけた。何度も自問自答して、真壁さんの言葉を反芻して、胸に抱いて。そして出した答えだった。

「そうですか!」

晴れやかな顔で相槌を打った真壁さんはそれきり黙り込んだ。しばらくしてから穏やかに笑うと、きっとうまくいきますよ、とあてのない希望を口にした。

「…玉砕したら」

真壁さんが神妙な空気をまとうから、冗談を言おうとしたのに。

「玉砕なんてしないでしょ。……大丈夫。うまくいきますから」
「…………」
「大丈夫」

真壁さんは顔をあげない。笑わない。

「あの…」
「………」
「真壁、さん」
「………ハイ」
「えと、具合でも、」

俯いたままの彼を覗き込もうと、頭を傾けながら一歩近づいた瞬間だった。ぐいっと引かれた手首に体が揺れた。

「……っ……」

思っていたよりもずっと大きな掌にくるりと包まれた手首は感覚を失って、痛いのか痛くないのか。それすらもわからない。自分が予想していたよりも近い距離に身体は固まったままだ。

小刻みに震えた真壁さんの腕を見つめ続けて、これからこの手はどちらにひかれるのだろう。揺れて歪んで、もはやこれはまるで他人の身体のよう。

このまま、連れ去られてしまったならば、
(何を言おうとしたのか、なんて気づかない振りをするしかないのだけれど)



 


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