「…海司くんも警察行きたいんだ」
「あ、うん」
「SPって」
「あ、オレ…と海司の最終目標」
「…そっか……」
小さくなる海司くんの背中を見つめながら、私たちはお互いの顔を見ることなく会話を続ける。
「…エミちゃんは?就職」
「うん。都内の、普通の中小企業」
「そっか。………あのさ」
「うん?」
「まだここにいる?」
「え?」
隣の広末そらに振り返ると、彼は私を見ながら少し頬を掻いた。久しぶりに絡む視線に、心臓がざわざわと騒ぎだす。
「…ちょっと出て話そっか」
人口密度の高い屋内とうってかわって、未だ外はほとんど人がいない。ホール入り口近くのベンチに腰掛けると、広末そらはふーっと息を吐きながら天井を仰いだ。
「あっという間の4年間だったなあ…。エミちゃんは?」
「あ、うん…そうだね…」
広末そらと、関わるようになってからの2年間は本当にあっという間で。
「いろいろあったけど、……うん。まあ楽しかったかなー…」
どこか頼りなげな一言が空に溶けていく。同調し切れない私も同じように空を見上げた。
「…エミちゃん、始めの頃、わりと1人でいたじゃん?」
「え」
「講義とかも1人できいて黙々とノートとってるし。オレ、1年の時からこの子一人平気なんだーって見てたんだよね」
「………えっと」
「友達いないのかな。とか心配になったこともあったんだけど、それとも違うみたいだし……オレはさ、知っての通り、誰かが一緒じゃないとダメなヤツだから」
「……ダメって…」
「うん。ダメ。…だから、エミちゃんすげーなって思ってたんだけど、声かけても俺みたいなヤツ相手にしてもらえないんじゃないかなって思ってたんだ」
「や、そんなことない…」
「うん。実際はそんなに冷たいこともなくて、……一緒に呑んだりできるようになれたんだけど」
でも、できなくなっちゃったよね、と私の胸の中で続きを思って、胸がつんと痛くなる。
「………あの日は、本当にごめん」
「………あの日、って」
「うん。……ちょっと色々あって、自分の存在の価値とか、そういうのわかんなくなっちゃって」
「…………」
広末そらはしばらく言葉を飲み込み沈黙を守ってから、決心したように話し始めた。生まれてからの境遇のこと、両親のこと。あの日、久しぶりに育った施設へ行って、色々と葛藤する感情が押し寄せたこと。
「自分の存在を認めてもらいたかった時に、エミちゃんがいたんだ」
空を仰いでいたはずの視線がいつの間にか私を捉えている。優しい穏やかな笑顔。
「あの時はほんとにビックリしたんだ。オレにとって一番、……尊敬っていうか、オレのこと受け入れて欲しいって思ってたエミちゃんとバッタリ会って。…ってまあ、大学行けば会えるかな、とか期待してたのは確かなんだけど」
「…………」
「でもさ、怖くなるんだよね」
「……え?」
「オレのこと見てくれてるエミちゃんが、いつか見てくれなくなったらって。始まっちゃったらいつか終わりが来る。そう思ったら……怖くて……」
「広末く……」
「だから、今まで通りの関係でいれば、きっと終わりは来ないんじゃないかって。今さら元通りになんてなれなかったんだけどねー」
「………」
「それからはホラ、オレ、みっともなかったっしょ?あんな態度とってたくせに、他のヤツに警戒心丸出しとか…。挙げ句の果てにはなんかもう、恨まれてでもいいからエミちゃんの記憶に居座りたかったっていうか…。存在を消されるよりもずっといいやって……ほんと、マジでしょうもないヤツだよね」
広末そらの口が思考を一つ一つ紐解く度に、その時の情景が昨日のことのように思い浮かぶ。一緒に思い出す胸の痛み。リアルな感情。
「はー、なんかごめん。オレ一人でべらべら喋ってて」
「ううん、大丈夫……」
心臓は走る。私は何を伝えよう。どこまでを伝えよう、自分の気持ちのどこまでを。
「……こういうしょうもない男が、大学時代にいたなーって……たまには思い出してよ」
「…………」
「あつかましいついでにオレからのお願いってことで」
「あの、私」
「……ありがと、エミちゃん。もう話してもらえなくても仕方ないのに、こんなヤツの話聞いてくれて」
「………」
海司に感謝しなきゃなー、と、広末そらは呟きながら、晴れ晴れした顔でベンチから飛び降りた。
「じゃ。……うん、ほんと、色々ありがとね」
清々しいほどの笑顔。ずっと遠目で見てきた、きれいな顔をくしゃっとさせて笑う広末そらの、……私の大好きだった笑顔で彼は手を差し出して、握手を求める。
「………」
求められたまま私が手を少し伸ばすと、すっと彼の手で握りこまれた。
「…………」
相変わらず、少し男を感じさせるその手の平のサイズ。温もりは変わらない。胸の奥の酸味が増していく。吐き出そうと緩めた想いを詰めた言葉を、結局曝け出すことも出来なくて飲み込むけれど、胸でつかえて奥に上手く戻らない。
歯車が狂ったらもとには直らない。こじれた2人の感情がかみあうことは、きっとないのだから、と言い聞かせるように、もう一度ごくりと喉を鳴らして色々まとめて飲み込んだ。
少し名残惜しげに重なった右手が離れていく。交差していた右腕が離れていく。笑顔のまま広末そらは背を向けた。
Can Pass The Life.長い人生の中のたった4年間。
…今よりずっと先。長い未来の向こうにある人生の終わりには、きっと家族を想うだろう。その頃には今感じている痛みや苦みは消えているはずで。
けれど。もしも明日、人生が終るのだとすれば。私はきっと後悔する。もしも明日、全てが終るのだとすれば、私は。
袂をきゅっと握りしめた。大きく息を吸い込んで、そして。
「……ちょっと!ちょっと待ってよ!!」
気がつけば声を振り絞っていた。柔らかい日射しに似合わない冷たい風が袴のすそを揺らす。
「……?」
振り返った広末そらと私の間の不格好な空間を風が抜けていく。
「1人で納得して終わりにして……」
「え?」
「私だって、ずっと言いたいことが……」
「………」
しばらく見つめあったまま、その後の言葉が上手く見つけられない。
「私だってずっと見てて……」
「…うん」
「話が出来るようになったのも嬉しかったし。ノートだけの関係ってわかってても、それでも」
それでも、心を踊らせた。2人をつなぐか細い糸にしがみついていた。
「………私、ずっと」
「ダメだよ、エミちゃん」
勢いのままに言葉を吐き出しかけると、いつの間にかあと一歩の距離にまで近づいていた広末そらが私の両肩を掴んで制止する。苦しそうに眉間を寄せた彼は私の顔を覗き込んでから、ふ、と表情を緩め、そのまま頭を肩に乗せた。
「…え……」
「オレ、ずっと我慢してたのに。……抑えられなくなるじゃん……」
すぐそばで呟かれた小さな言葉はしっかりと耳に届く。
息を止めたまま、至近距離の彼の横顔を見つめていると、その頭がそっと持ち上がり、目線が絡んだ。
「……抱きしめてもいい?」
あの日と同じ台詞。違う声色。
広末そらの口元が優しく緩んで。そして踊りだす胸の痛みは消えていった。
「……エミちゃん……」
私は瞳を伏せながら頷いた。
Can not Pass The Life.
(終らない日々がはじまる)