SP小説 | ナノ
揺れるこの狭い空間で、私たちは不自然な空間を挟んで端と端に座ったまま、無言だ。せめてもの救いはラジオか。この空気の悪さをひた隠すかのように、エンジン音に混じって流行りのアイドルの歌声がこぼれて来る。

私を支配するのは戸惑いと苛立ちと。ほのかに甘い期待があることも否めないけれど、そんな薄紅色の感情は、夜の黒にあっさりと上書きされてしまっていた。

「………」

顔を見ることも出来ないから、どんな表情をしているかもわからない。まだ身体の奥に残る気持ちの悪い熱を冷ましたくて、窓に頭をすり寄せた。

「……大丈夫?」
「え?」

対向車のライトが車内を瞬間的に照らして、心配そうな視線をやる広末そらの顔が見えた。

「あ、うん……大丈夫」
「そっか……」

続かない会話があっさりと終ると再び沈黙が訪れる。話を広げる器用さも持たない私。話を繋げようと努力をしない私たち。ぐすぐすの二人の隙間に流れる不思議系アイドルの優しい歌声が、なんとかしてこの場を崩壊させないように、なだめるように音を紡ぐ。それでも変わらない居心地の悪さに仕方なく目を閉じた。






「…エミさん、水」
「ありが……うっ」
「ほら、飲んで」
「うう……こんなに飲めないよ」
「飲まなきゃダメだって。ほら、いいから飲めって」
「うう……」

海司くんに支えられて何とかトイレにまでやってきた。さっきから幾度となく胃の中のものを吐き出しては、ジョッキになみなみと注がれた水を飲む。繰り返しながら私は、そのままもう一度便器のそばへと身体を戻した。

「ほら、タオル」
「え」

咳き込んだ私に少し言い辛そうに「顔拭いたら」とタオルを差し出す海司くん。言われてようやく、自分が鼻水と涙とでぐしゃぐしゃの酷い顔をしていると気付いた。

…まずいな……。

乾いたタオルで顔を拭うと、まるで補充するかのように溢れ出す涙。見せたらいけない、と咄嗟にタオルで視界を隠した。

「……なんかあった?」
「………」
「………そらさんと」

色気も何もないただのフェイスタオルで覆われた視界は白い。ああ、なんかこの子らしいな、とか思いながらタオルを握りしめる。

「…喧嘩でもしたんすか?」
「……………何もないよ」

そうだ、私たちの間には何もない。唯一の繋がりだって簡単になくなった。私と広末そらの間に何かがあるなんて、ずっと私が勝手に思い描いていたに過ぎないことで。

「…とりあえずそらさん呼んできます」
「!!ちょ……っやだ!」

トイレの扉を押さえていた海司くんが動くと廊下が見えた。誰もいない廊下が。

「…………」

ぎりっと締め付けられる胸。顔をあわせたくないと拒みながらもどこかでまだ何かを期待する自分がいる。こんな風に酔っぱらってつぶれた自分を心配した広末そらがそこに姿を見せるとか、そんな少女漫画のような妄想がかすかに浮かんで、目の前の廊下が簡単にそれを否定した。

「なんかあったかなんてすぐ分かりますよ。2人で店にも来なくなったし、そらさん稽古中もずっと上の空……」
「え、稽古?…広末くんって柔道部、じゃない、よね?」

私の追求に、少しバツが悪そうに海司くんは頭を掻いた。

「あ……あー……。たまにっていうか、週に何回か朝俺と稽古してて」

そんな話は初めて聞いた。ああ、だから朝の授業に遅刻してきたりしていたのか。
昔の記憶と繋がって妙に納得する。

「疲れて寝てて授業に遅刻するとか、本末転倒な感じっすけど」

そう言って海司くんは少し笑った。つられて私も口角がわずかに動く。しかし瞬間胸を貫くのは、やっぱり自分は彼を何も知らなかったのだ、というおどろおどろした感情で。

「………」

私の心の動きはそんなに分かりやすく顔に出ているのだろうか。海司くんは笑顔をしまうと、トイレでしゃがむ私に視線を合わせるようにその場に座り込んだ。

「…別れたんすか?先輩たち」
「え」
「…なんだかんだ言って付き合ってたんじゃないんですか?」
「……そんなんじゃないよ、ほんとに。私たちは」

私たちの間には、何もないんだから。

言い聞かせれば聞かせるほど痛い。まただ。また鼻の奥がつんとしてきた。

「…でもエミさん、好きなんでしょ?そらさんのこと」
「え!」
「……えっ!て…。見てたらわかるし」
「え、あの……」
「2人で話してる時とか、2人ともめちゃくちゃ楽しそうにしてるし、どう見たって……」
「ちょ、ちょっと待って」
「…………」
「あの、えっと」
「……別に隠さなくても」
「いや、あのね」

自分が自分の感情に気付いたのだってついさっきだったというのに。近くで見られていたとはいえ、第三者に指摘される事実に、押し寄せるのは気恥ずかしさばかり。慌てふためく私に構わず海司くんは続けた。

「……フラれたんすか?」
「え」
「……そらさんに」
「…………だったらまだ、良かったのかも」

振られる方がマシではないかと思った。こんな風に拒絶されるよりも、気持ちに向き合って、想いを一度受け止めて正面から振られる方が、ずっと。

今の私は、存在すら受け入れてもらえていないようにしか思えない。

「………そんなことないと思いますけど。ちゃんとぶつかったら案外簡単に……」
「いいの、もう」

これ以上胸が痛くなるようなことはもう嫌だ。気付かないフリをしていたとはいえ、きっと4年近く好きだっただろう。けれど、それだって長い人生からみたら一瞬のこと。私たちはあともう半年もしないうちに大学を卒業して、それぞれがそれぞれに進んでいく。こんな風に存在を感じる距離にいるからしんどいのであって、卒業して離れてしまえばきっと想いは風化する。そうやって少しずつ前に進めるはずだ。

だから、吹っ切れる。

そう消化して笑顔を作ると、海司くんは顔を歪ませた。

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