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笑わなきゃ、と緩めかけた頬が固い。胸がどきどきする。背中が寒い。何か言わないと変に思われる。せめて一回でも笑い飛ばさなければ。

「ほんと、そらはエミちゃんに頼り過ぎ!エミちゃんももうコイツにノート貸さなくていいよ!」

……………。

軋む音が聞こえそうな頬をひきあげることも戻すことも出来ない。
余計なこと言わないでよ!と強い叫びは胸の中ではじけるだけで声にすらならない。心臓だけが激しく動く。広末そらが私を見ないまま口を開いた。

「…あー、うん。自力でやるつもり。1科目だし」
「おー、そらが成長したわ」
「うるせーな」
「だって。良かったねーエミちゃん、ようやく面倒くさいヤツの世話しなくて済むじゃん?」
「………あ、うん……」

上手く言葉が出てこなくて曖昧に返事をした。繰り返すまばたきがやたらはっきり感覚を残す。

……ノート、いらないって……。

言い聞かすように彼の言葉を反芻する。温めていた話題を、こんな形で失うなんて。

……こんな形で、私たちの唯一の接点がなくなるなんて。

遠くの方から胸の中に冷たい風が吹きはじめるような感覚に陥った。

寒い……。

各々が好きに会話をし始めて、部屋の中は再び賑やかさをとりもどしたようだ。耳の奥で耳鳴りが鳥のわめき声のように聞こえてうるさい。雑音が聞こえない。私のまわりだけが静かさで包まれている。

……さむ、い………。

ゾクゾクと冷気が身体を包み始めてたまらず身体を縮こまらせた。
どくどくと身体を巡る血液が高速で流れていく。気持ちが悪い。


……あれ、なんか……。

「…あれ?エミちゃん、顔色悪くね?」

向かいに座る男子の声が遠い。

「酔った?ダイジョブ?」
「う………」

身体の寒さに反して胃が熱い。熱がこみ上げてきそうで、思わず抱えた膝に顔を埋めた。

大丈夫?とかやばくね?とか、少しずつ戻ってきたざわめきの中で聞こえる声。求めている人のものじゃない。聞きたいのは、この声じゃない。

聞きたいのは………。


真っ白な脳裏をかすめたのは、オレンジ色の笑顔。


……ああ、私、好きなんだ。広末くんが、好きなんだ。


ぐちゃぐちゃになった頭と身体の感覚の中で唯一クリアに見つかる想い。

…好きだったんだ、きっとだいぶ前から……。

ずっと前から、ただ見ているときから始まっていたのだろうか。話が出来るようになって嬉しいとか、出来なくなって悲しいとか。客観的に見ればすぐにわかりそうな感情を、気付かないように押し殺していた。

今頃になって気付くなんて……救いようもない……。

あっさり認めて気が緩んだのか、再び強烈な吐き気が襲ってきた。

「う……」

目をつむってぎりっと歯を食いしばってなんとかやり過ごそうとこらえる私の頭上でぼそぼそと、声のやりとりが聞こえる。

「お待たせしまし……あれ、エミさん?」
「なんか結構呑んでたみたいで」
「………」
「水もらった方がいいかも」
「トイレ連れて…誰か女子…」
「………あー、俺が連れて行きますんで」
「いいの?」
「……大事な先輩放っとけないっすから」


……誰……?私のこと話してる?


「大丈夫っすか?エミさん」
「………あ、か…いじ、く……」

うずくまったままのそりと重たい頭を持ち上げれば、心配そうに覗き込む作務衣姿の海司くん。傍らにはお盆にのせた様々な色のグラスが置いてあって、ああ、そうか。さっきした注文か、とか、ぐるぐると思考が巡る。

「ごめ…さっき頼んだ分、私もう呑めな……」
「バカ。そんなこと気にしなくていいから、……ほら、立てますか?」
「うん、立て……うう…気持ちわる……」
「トイレすぐそこだし、ほらつかまって」
「ごめ……」
「…いいっすよ。慣れてるし」

もうわけがわからない。悔しくて涙が出てきた。ノートもいらないんだって。

「大丈夫だから……泣くなって」

優しい声と安心できる太い腕に抱えられるように部屋を出ると、背後での会話が追いかけて来る。

「…誰あれ」
「エミちゃんの彼氏?」
「そらの後輩じゃなかったっけ」
「あー、あの柔道でインカレいったやつ?」
「エミちゃんと付き合ってんの?」
「え?そうなの?」

違う、と。否定しに戻ることができるほどの余裕がもう残っていない。

悔しい……。

どうかあのひとに聞こえていませんように。

「………やっぱり、来るんじゃなかった」
「……何やってんだよ、そらさんは……」

まわる視界と吐き気を堪えながら歩く私の横で落とされた呟きに、反応することすら出来ないまま、ただ誘導される通りに進む。





Can Pass The note.
(何もかも聞こえなかったことにしたかった)


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