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根拠のない浮ついた気分が一気に堕ちていく。めまぐるしく動く胸のうちを顔に出さないようにすることは、きっと思っているほど難しいことではない。だって今は講義中で、だから黒板を見つめていればいい。ノートの上を走るシャーペンの先に集中すればいい。簡単な話。まあ講義内容なんて全く入ってこないのだけれど。

「…………」

寂しくスペースの空いた隣の席。使い込まれた跳ね上げ式の木製の座席の上に並ぶ二つのカバン。その向こうに座る広末そら。

分かりやすく距離をとられている、と推測することはたやすい。
ええとなんだっけ、何をしたんだっけ何を言ったんだっけ。

……何があったんだっけ……。

人間の視野って左右こんなにも広く見えるんだな、なんて。顔を動かさなくても黒板と同時に視界に居座る彼の姿が、動きが。占めている範囲が僅かのくせに私の全意識を吸い取っていく。そして滲む。ぼやける。

……あ、れ………?

鼻の奥がつんと痛くなってようやく気がついた。あ、私涙ぐんでるんだ。あ、やばい。このまま下向いたら溢れてこぼれてしまう。
そう思って反射的に黒板を睨みつけた。
しかし人間そう上手くは出来ていないようで。涙をこらえればその分の水分がどこかへと流れていく。結果それは鼻の奥をじわりとつたって降りてきて。

すん、と鳴らしながら鼻をそっとすすることも堂々とは出来なくて、まるで季節外れの花粉症を患ったかのように装って咳払いをしてみたり。

それでも視界の隅でオレンジがこちらを見ることはなくて、ほっと安心し、それでいてさらに胸がぎりっと締め付けられた。






「……抱きしめてもいい?」
「……え。…え?」

聞いてきたくせに返事を待つことなくその腕が私を抱き寄せた。ちょっと待って。あの、頭の中整理させてもらっていいですか、あの、私なんで、いやなんで広末くんはこんなこと、あれ、あの、なんで私たちこんなに近くに、いや近くっていうか密着っていうか。

うるさい心臓の音が頭のてっぺんまで響いている。考えてもこの行動の理由なんて、私が推測しているくらいじゃ解明されない。わからない、他人の考えてることなんて。

「……え、と。あの……」
「うん、ゴメン」
「…………」
「…だってエミちゃん優しいから」
「………だって、………」

足りない言葉。私も彼も真意を伝えないままに会話を繰り返す。憶測に過ぎないその言葉の行間を想像の世界でやり取りし続ける。それはあとから思えばただのエゴでしかないというのに。

おかしいとは分かっていた。出会ったときの表情で、居酒屋でのテンションで。でも簡単にどうしたの、なんて聞けない。親しくなっても踏み込ませないようなオーラをまとっていたのはそっちじゃないか。別に私は空気を読んで尋ねなかったわけじゃない。そっとしたまま触れなかったのは、優しさなんかじゃないのに。

「……言いたいんだったら、……聞くけど……」
「…………」

ほら、そうやって。少しでも踏み込もうとすればつぐんでしまうくせに。本当は興味津々。もっと奥に踏み込んでしまいたい。

……こんな広末くん、私しか知らないだろうし。

背中に回された腕の力がぎゅっと強くなって、また少し2人の触れあう肌の温度が高くなる。自分のものではない、この家で使われている洗剤の匂いが鼻をくすぐった。


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