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「…………」

一瞬蘇る先日の食堂の会話が、喉の奥で頑固に踏みとどまったせいで声がスムーズに出なくて。もやっと煙がかった胸のうちは急速に緊張を全身に伝える。おーい、とただ単純に、姿を見せた広末そらに声を掛けようとしていた私の足は動かなくなり、軽く上げかけたままの手は、腕ごと中途半端に硬直した。

大学の西門を出て少し行ったところで、駅の方から俯いたままこちらに向かってくる広末そらは、彼の髪と同じ色の空を背負っていて。私に気付くこともなく、足取りはなんだか重たそう。

……どうしたんだろ。なんか、……いつもと……。

期待していた「あ、エミちゃん!お疲れー」みたいな軽い台詞と笑顔はない。
後ろから迫る夕日のせいで輪郭がところどころ滲んでいる。なんだかそのまま溶けて消えてしまいそうで、急に怖くなった。

「………」
「……あ、」

あと十数メートルのところまできて、ようやく私に気付いた彼は小さく声をあげる。逆光ではっきりとはわからない表情は、その筋肉の動きで少し緩んだようにも見えた。

「あれエミちゃん、こんな時間まで……研究室?」
「うん。3限は講義だったけど」
「あ、……っちゃあ…」
「……ノート、いる?」
「え?あ、ああ。ありがと」

4回生にもなれば講義の数は激減する。週にわけて数コマしかない講義のうち、私たちが顔を会わすのは今日の一コマだけ。

親しくなったからといって、別に約束しあって席を確保しているわけではない。とはいえ、他にもう仲の良いメンバーがいないこの講義では暗黙の了解のように私の隣には広末そらがおさまっていて。

相変わらず授業態度が模範的とはとても言えないけれど、それでも去年の中頃からはもう、遅刻だって欠席だって出会った頃とは全然違っていたから。

「具合でも悪かったの?」
「んー……」

それまでの少し憂いた雰囲気もそのせいかな、と思って尋ねた私に、広末そらは中途半端な笑顔と曖昧な返事を返す。


「………」


一瞬、就活かな、なんて思ったりもした。それまでその類いのことをしている様子が全く無かった彼も、とうとう切羽詰まってきたのかな、とか。だけどすぐにそれを否定する。それにしてはラフすぎるスタイル。さすがにそれはないか、と1人観察して納得した。

「ちょっと……いろいろあって、さ」
「?」
「いや、オレは別に今までとなんにも変わんないんだけどね」
「……?」
「アハ。……………ごめん」
「いや、いいけど」

何が言いたいのか分からないまま肯定する。表面的な笑顔、だと思った。なんでだろう。いつも通り、へらへら笑っていることには変わらないのに。

……なんだか、このまま別れたらダメな気がする。

直感。特に根拠も何もない。ひとを消えてしまいそうだなんて思ったのは初めてで、なんだか存在が頼りなくて。それでもその先を言いあぐねていた私に、薄い笑顔を浮かべたままの広末そらが話を切り出した。

「ね、エミちゃん。このあと、暇?」



「ちょっと、ほんとにもう飲み過ぎ……ほら、水飲んで」
「うーん……だいじょぶらって…」
「どこが……!」

いつもの居酒屋で、いつも通りに酔いつぶれる彼は、いつも以上に楽しそうにお酒を呑んで、美味しそうに焼鳥を食べて。自身の研究室の話だったり、友達の話だったり。さっきまでの雰囲気がうそのように明るく笑った。

早い時間の店内はまだ客もまばら。そのおかげで手早く運ばれてくるお酒におつまみ。完全にペースを乱された広末そらは、出来上がるのも早い。お店が普段通りに賑わう頃には、もう十分すぎるほどに酔いがまわっていた。

…これは……また海司くんの手を……。

とても1人で連れて帰れそうもないし、と後輩の手を借りようとフロアを見渡しても海司くんの姿は見えず。ならば、厨房の奥で仕込みでもしているのかな、などと思って、近くを通ったスタッフに声をかけてみる。

「あー、秋月さんなら今日は遅番なんで、もうそろそろ…あ、来た」
「うーっす。……って、あれ?エミさん…と、そらさん?…はまたえらい出来上がってんなー。ははは」
「いや、笑い事じゃなくて…開店から来てて」
「まじすか」

笑いまじりの海司くんがエミさんも大変ですね、なんて言いながらスタッフルームに向かいかけて、その足を止めた。


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