酒は、特別弱いわけではない。体調と呑み方次第で悪酔いすることはないわけではないけれど、それはまれで、むしろ相方の方が先に酔っ払うことが多いから、そこではたらくのが理性。そんなことを繰り返すうちに呑み方も覚え、俗にいうたしなみというのだろうか。やりすごすことにも慣れた。
「……酔ってないですよ、念のため言うときますけど」
「………」
ああ、もう何もかも終わりだ。会えば笑ってくれて、叱ってくれて、遠慮なく話をしてくれた、この関係ももう終わりだ。慎よりかは俺は一線引かれてたような気もするけど、これからは一線どころか目をあわせることすらしてくれないかもしれない。いや、大人だからそれはないかもしれへんけど、いやでも、だがしかし。
(そやかて、もう今更、ごまかしたって結果は一緒やで……)
それならば、喚き散らして自分がぬくめ続けていたこの気持ちを伝えてしまおう。
今まで散々揺れていた気持ちが、風のない日の水面のように落ち着いた。
(…なんや、えらい穏やかな……)
「エミさんが困るのも承知です。こんなん言われたかて、は?って感じやろうし」
表情ひとつ変えずに、エミさんは俺を見上げている。相変わらず俺は穏やかやった。
「俺はエミさんのこと、ずっと尊敬してましたけど、尊敬だけやなくて…その、」
さすがに、次の一言を口にしようとして、そこでようやく一度心臓が大きく波打った。
「……すき、で………」
「…………」
エミさんの、射抜くような大きな瞳が、わずかにそのサイズを増したように見えた。
「エミさんが、俺のこと後輩以上になんて見てないことも、他に、……し、」
慎のこと、と口にしかけて、一度唇を噛みしめた。
「……俺じゃない奴のこと、見てたんもわかってます。わかってて、ずっと俺は……」
「……え、」
「すいません、見込みないってわかってたし、だから諦めるようにしようって思ってたけど」
売り言葉に買い言葉って言うか、と。続けた言葉は少しずつ小さくなっていった。俺の身体の下のエミさんはなんだか珍しいくらいにか細い声で、ようやく口を開いた。
「……あの、」
「え?」
「ちょっと……起きたいんだけど」
「あ!す、すいません!!」
押し倒したままであることにようやく気が付いて、跳ねるように彼女の上から飛びのいた。続けてゆるゆると身体を起こしたエミさんは、畳に散らばって乱れた髪を手でわしゃわしゃと整える。俺が勢いだけで押し倒したせいで、少しはだけた浴衣の胸元も続けて直す姿をみて、あらためて自分のしたことが申し訳なく、取り返しのつかない失礼なことをしたと気づかされた。
「……あの、ほんま、……すいません……俺……」
「えーっと、その……ちょっと待って」
整えて、そのまま再びくしゃっと髪を掴んで、彼女は俺と目を合わさないまま続けた。
「……好きって、その……松田くんが、私のことって……」
「え」
ストレートに伝えたはずが、再確認されるとは思っていなかったから。本人の口から聞きなおすとなんと大それたことを言ってしまったのだろうかと一瞬後悔に飲みこまれそうになった。
(…全く想定外ってことか……はは、わかってたことやけど)
たまらんなー……。
笑うしかないとはこういう状況をいうのだろうけれど。どんな風に笑顔を作ったらよいのか。うまく笑えてる気がしなくって、頬は固まったように感じられた。
「すいません、先輩にそんなこと思って、ほんまにすいませ……」
「え、あの……ちょ、え?」
部屋の四隅を挙動不審に見渡してから、もう一度がしがしっと髪をかき混ぜてから、エミさんはぜんまい仕掛けの人形みたいになめらかではない動きでようやく俺を見た。
その顔は耳まで赤く染まっていて。未練がましく、そんな彼女をやはりかわいいな、なんて思う自分がいた。
「って、ちょっと待って。松田くんが、え?」
「え?って……そんなに驚かれると……」
「だってそんなこと…そんな素振り全然見せなかったじゃない!」
「そりゃ迷惑やろうしって隠しますって」
「むしろ興味ありませんっていうか」
「いや、そこまでちゃうでしょ!女々しいな、俺ってことばっかりでしたけど」
「し、慎之介とくっつけようとしてたくせに!」
「は?」
「してた!ことあるごとに、あの子のこと呼びつけようとかしてた!」
「だって、エミさんが慎のこと」
「わ、私が何!?」
促している割に、見たことがないくらいエミさんは焦っているようだった。
「……あいつのこと、好きやったんちゃいますか?」
「す、好きィ?」
素っ頓狂な声が部屋に響いて、自分で叫んだくせに、エミさんは自分の唇の前に指を一本立てて言葉を制した。
「しーっ……って、え?なんで?なんで私が慎之介?え?松田くんじゃなくて?」
「は?俺?なんで?なんで俺?」
……え?なんや?どういう意味?今のひとこと。
「ちょ、ちょっと待ってよ。言っとくけど私慎之介のことなんて見てないって!全然!いや、まあ、大事な後輩だけど」
頬の紅さはお互いに伝染しながら色を増していく。(噛み合わない会話の先を知りたくて、気持ちが駆け出した。もう止まれそうにない)