芸恋小説 | ナノ

さて。

一体なぜ、どうしてこんなことになっているのか。

静かな部屋は、空気すら流れを止めているようで。呼吸することもできないままゴクリ、と生唾を呑み込めば、それが合図のように急に心臓が俺の胸を内側からどつきはじめた。

動いているのはきっと俺のみっともない心臓だけなんちゃうかなっていうくらい、俺の下にいるエミさんはピクリとも動かなくって。……視線も、外されることはなくって。

「……………」

彼女の両手首を畳に縫いとめた俺の手も、覆いかぶさるように馬乗りになったこの体勢も、ここからどうしたら良いのか。引くことも攻めることもできないまま、固まってしまっていた。





「わっ!すっごいご馳走!」

3時間くらい前、ようやく準備ができたと言われ、俺らは食事の用意のされた客間へと通された。豪華なお膳に嬉しそうに歓声をあげたアキちゃんは、そのセリフは台本通りやったけれど、たとえ台本に書いてなかったとしても同じ感想を述べただろう。

「わーわー!テンションあがるなー!」

同じく分かりやすく喜ぶ慎は、アキちゃんの隣の座布団の上にあぐらをかいた。その向かいに俺、俺の隣にエミさん、という、決められた通りの場所に腰を下ろし、夕食シーンの撮影が始まる。

乾杯なんかもして、撮影とはいえ割と自由に過ごしつつ、一通り最後のシメまでコース料理を出してもらって。楽しそうな(実際十分楽しませてもらったわけやけど)夕食タイムの収録が終わった。

「お疲れ様ですー。今日の予定はこれで終了です」
「おつかれさまー」
「おつかれさんです」
「おつかれさまでしたー」
「……あ、俺らもうちょっとここで呑んでてもええですか?」

引き上げようとするスタッフは、慎の言葉に「もちろんどうぞ」と二つ返事でOKを出して。

「ほな、明日もがんばりましょーっていうミニ打ち上げといきますか」

という具合に、4人でのだらだらした飲み会が始まったのが、1時間半くらい前のこと。

「私、飲みすぎたら明日起きられなくなっちゃうんで…」

と、アキちゃんはたいして飲んでる様子でもなかったけれど、タイミングを見計らって部屋を出た。慎は「なんか俺らちょっと気を遣わせたんちゃう?」って気にしてた。アイツが女にモテるのって、こういうとこかもしれへんなー、なんて思いながら俺らは3人でぐだぐだと飲み続けた。昔話とか、慎の最近の恋愛事情という名のノロケなんかを肴に。



(で…で、やで。なんで俺、今こんな……エミさんのこと押し倒して……)



慎のノロケを聞きながら、俺は内心気が気じゃなかった。慎はなんも知らんと、「ええですわー、ほんま、両想いサイコーですわー」なんてほざくし、ついさっき俺の意志は伝えていたはずなのに、こいつ本気でまだエミさんと俺のことくっつけようとか思ってるんちゃうやろなって、何度か向かいに座る慎を睨んでみたけれど、そんなこと、こいつには無意味で。

さんざん惚気たあと、酔っ払いは「声聞きたなった」とかぬかしながら、東京に置いてきている彼女に電話してくる、と部屋をあとにした。

そうして二人きりになったのが、……ほんの少し前のこと。





「……松田くん」
「………っ!」

走馬灯のようにここに至るまでの経過を追った俺の思考を遮るように、組み伏せられたエミさんが口を開いた。

「……慣れないこと、するもんじゃないよ」
「……エミ、さん……」






「ほんと、慎之介はわかりやすいっていうか…可愛いねえ。ほのぼのさせてくれるよね」

満面の笑みの慎が出て行った襖を見ながら、エミさんは言った。

「ええ、そうですか?」
「好きな子とつきあえて幸せ!ってオーラ見てると、こっちまで嬉しくならない?」
「…まあ、わからんでもないですけど……」

ふふっと、小さく笑ってからエミさんが伏し目がちにグラスを傾けたから。

なんだか泣いてるんじゃないかって思えて―――。

「…松田くんもさ、慎之介くらいがーっと自分出したら良いのに。好きな子くらい、いるんでしょ?って私が知らないだけで、実は彼女がいたりして……」

「や、そんな相手、おりませんって」
「えー、そう?」
「……好きな相手は、いましたけど、ね」
「……へえ!」

さらっと。これくらいなら許されるんじゃないかなんて。臆病な気持ちを抱えながら小さな告白をした。それだけでも少しだけ満足感が得られて、同時に、ああ、なんてヘタレなんやろうなって落ち込んだ。

「がんばってね」とか、そんな感じに軽く返してくれるんやろなって思っていたのに。

「……そっか。松田くんも好きな子、いるんだー……」

噛みしめるかのように、呟かれた、エミさんの一言。

弟の恋愛相談聞いたらこんな感じなのかな、なんて続けてから、エミさんは俺の背中をばしばしっと叩いた。

「ちょっとちょっと!良いオトナの男が見てるだけで終わりにするつもりじゃないでしょーね!」
「はあ?」
「松田くん、モテ男ランキングでも何年も上位にいるんだし、がんばりなって!」
「いやいや…」
「何引け腰になってんの!ここはさ、思い切って押し倒してやる!くらいの気迫で……」





「私じゃないでしょ、押し倒さなきゃいけない相手は」

さっきまでのテンションとは違う、静かな口調のエミさんの一言が床から突き刺さる。

……痛いなあ………。

痛みで、さっきまでの困惑した頭の中が少しずつ冷静になっていく。見込みがないならもう、望みのないこの気持ちの成就なんて期待せずに、尊敬する先輩とかわいい後輩という関係のままでいよう、なんて思っていたわけやけども。

こんな体勢で、それももう無理な話だろう。

(いや、冗談ですよって言えばまだ…)

…済まないことはわかっている。みたことのないくらい悲しそうなエミさんの視線が、言葉よりもずっと鋭く突き刺さって。

「なんで、そんなこと言うんですか……」
「なんでって、」
「思い切って押し倒せって言ったの、エミさんやないですか……」
「私じゃないでしょ、だから」
「エミさんですよ」
「こんなこと、相手間違えたら…」
「そんなん間違えるはず、ないやないですか!」



瞬きも忘れた、黒い瞳
(この気持ちを一方的に押し付けて、そのあとこてんぱんにしてもらおう。それでもう、終わりにしよう。…覚悟なんてものは案外簡単に決まるものなんだと知った)


 


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