照明は少し薄暗い。内装は落ち着いた深い色の木目で統一されている。壁で隔てられた空間を満たすのは、テンポの良いサウンド。目の前には程よく泡を抱くグラス。隣には、
………隣には―――
「じゃあ、松田さんって小さいころからずっと一条さんと一緒なんですか?」
「あ、ああ。そういうことになるなあ」
「仲良いんですね」
「…腐れ縁ってやつやで」
きゃはは、と高い声でその子は笑った。ちらっと対角線の先を見れば、静かに微笑みながらグラスを傾けるエミさん。
「………」
「…ねえ、松田さーん」
「え?あ、すまん。なんやったっけ?」
「もー!だからあ」
休日は何をして過ごしてるんですか?なんて聞かれても答えに困る。正直ここ最近休日らしい休日なんてない。それともあれか。彼女は俺に芸人としての答えを求めているんやろか。慎と遊んでるなんて言えばそれらしく聞こえて喜ばれるんやろか。
「そやなあ……」
そもそも今、なんで俺の隣に国民的アイドルのうちの一人が座っていて、なんで俺なんぞにわかりやすく甘ったるい声で話しかけているのか。ペースも何も考えずに呑み始めたアルコールの回った頭でもう一度整理してみた。
(……なんやったっけ……最初は、先週頭にメールが入ってきたんやった……)
受信ボックスを開いて、その名前を見た時の俺の心はまるで思春期の少年のように踊り跳ねた。たとえその内容が事務所からの伝言だったり(たいていがそうなわけで)仕事の話だったとしても、エミさんからであることに変わりはない。時々そんな単純な自分が嫌になるわけやけど。
けれどもそこには、単純な俺も複雑になるを得ない内容が打ち込まれていた。
『今週か来週あたりで、夕飯食べに出られそうな日ある?』
(……デートの誘いなわけないってことくらいはわかってたけどな)
言いなだめるような言葉はもちろん声に出すわけにいかず呑み込んだ。
『俺だけなら今週だと木曜、来週なら水金空いてますけど、慎も一緒となると難しいと思います』
エミさんのメールの真意はわからないまま、さり気なく慎の予定まで伝えてしまう俺はおひとよしやと思う。けれども彼女の答えは俺の予想外のもので。
『松田くんが来れたら大丈夫。じゃあまた連絡します』
正直な話、この回答をもらった後、わずかながらに口元が緩んだことは否定のしようがない。しかし今、俺の隣にいるのは、
「ねえ、松田さんって……」
(……まさか、合コンの誘いやとは夢にも思わへんかったわ……)
メールの続きが届いたのはその翌日だった。指定された日に来られるメンバーを集めてくれと。……要するにエミさんと俺とで合コンの幹事をすることになったという流れ。
「もー、さっきから、松田さんったらちゃんと私の話聞いてますー?」
「あー……堪忍な」
ぷう、と頬を膨らませて怒って見せるアイドル顔は確かに可愛い。
「あ、そんな顔したかてこわないで。可愛いだけやんか」
そういうと彼女は満足げに笑みを作った。邪険に扱うわけにもいかない。この子は慎が熱をあげてる相手と同じグループのうちのひとり。俺があんまり下手をうって慎の株を下げるわけにはいかんわけで。
「昨日も遅くて今朝も早くて、…ホラ、今日ここに来るために仕事頑張らなあかんかったし…おっちゃん体力的にきつかってなー」
「おっちゃんって!松田さんまだまだ若いじゃないですか!」
「いやあ、自分と比べたらおっさんやでー」
「あは!関西弁可愛い!」
話のテンポにいまいち乗り切れないまま曖昧に笑って視線を移せば、
(……あれ…エミさん……)
さっきまでそこにいた人は、姿を消していた。
ふう、とためいきと一緒に煙を吐き出した。トイレ、と逃げてきた先で自分の居場所を確かめるための一服を味わう。
一番奥の個室に続く廊下は人気なく、それまで追いつめられるように座らされていた人口密度の高い座席から解放されて、すがすがしさに似た感覚さえ感じてしまう。
(合コンなんて久々やな……知らん人と呑むのとか、慣れたと思ってたんやけどなあ……)
これがジェネレーションギャップか。連れてきた後輩芸人は女子面子の豪華さに目を輝かせ、ステージの3割増しで面白いこと言うてるんちゃうかというくらいノリノリ。俺はといえば。
「……芸人失格やなあ……」
もう一度深く煙を吸い込んで、天井を仰ぎながら壁に背中を預けた直した時だった。
「こら!」
「うわっ」
「なにやってんの。こんなとこで」
「…エミさん……」
エミさんこそ、というと、トイレで長居くらいします、と返された。
「こう見えてもね、一応女子ですから」
「一応って……」
「楽しんでる?どう?豪華メンバーでしょ?」
エミさんはにやり、と笑って顔の前でピースを作る。
「…あいつらめっちゃ喜んでますわ。ありがとうございます」
「あいつらって、松田くんもしっかりメンバーのうちの一人じゃない」
「え、」
「…狙われてるの、気づいてるでしょ?」
「狙われてるって、大げさな」
「何言ってんの。松田さんとお近づきになりたいんです!って言われてこの話進めたんだからね」
ぱしっと、エミさんが俺の肩を叩いた。
なんとも反応に困った。余計なお世話ですなんてもちろん口が裂けても言えるはずはなく、とはいえ、ほな据え膳いただきます、やなんてもっとあかん。
「何。固まっちゃって」
「いや…」
「慎之介は?まだ仕事中?」
「あ、……はい」
「そっか。相方が仕事中だとはっちゃけきれないか。仲良しコンビとしては」
「そんなことないですけど」
からかうように言われた一言が胸に刺さった。
「…慎のこと、連れてこられへんですいません」
「何それ。だって仕事中なんでしょう?」
「いや、そうですけど」
「慎がおったほうが……」
エミさんはきっと嬉しかったんやないですか。
喉の奥で音になりきらない声は呑み込んだ。俺はこの人の前では言葉を呑み込んでばっかりや。言いたいことの半分も言えてない。
「…慎がおった方が、きっともっと盛り上がったんちゃうかなって」
思うただけですよって……と、誤魔化すようにつなげた言葉は悲しくなるほど情けない内容で。
「ほんと、あんたたちって一緒にいてプラスマイナスちょうどいい感じなんだから…」
呆れたようなエミさんは少し優しく笑ってから、さっきはたいた俺の肩を、今度はその顔と同じくらい優しくぽんぽんと叩いた。
「もっと自信持ちなさい。慎之介が自由にやれるのは松田くんがしっかり宇治抹茶を支えてるからだし、……あんたのいいとことか、わかってくれる子だってちゃんといるでしょう?」
「…俺は、…………っ」
肩に触れるぬくもりは残酷で(優しさが、痛くて痛くて泣きそうになるけれど、それすらも呑み込んで押し込んで、また身体は重たくなって沈んでいく。深く、深く深く)