……メイク直すって言ってたよな。
彼女の言葉が咄嗟のでまかせか本当かは確信がない。それでも他にあてもないから、メイクルームへと足を向ける。
ほんまに何があかんかったんやろか。
『無理矢理押し倒したりしたんちゃうの』
いや、してない。無理矢理なんてしてないで。……ちょっと強引にキスはしたけど……。
「……な、長かったんか……?」。
あれがあかんかったんやろか。いや、でも別にあんな風なキスかて初めてなわけちゃうし、そもそもエミちゃんがあんな色っぽい声出すから、俺かてやっぱり男なわけで、好きな子と久しぶりに(山田さんの監視もなく)2人きりやったわけで……。
『松田さん……』
『…ん?どうしたん?』
ソファを背もたれにして並んで座っていた彼女が遠慮がちに裾を掴む。俺が覗き込もうとすると恥ずかしそうに俯いた。ヤバい、かわいい。
何度かこんなふうに2人で過ごすようになって、エミちゃんは甘えたい時にこんな仕草をするって分かるようになった。
息を詰めたままの彼女の頭にそっと腕を回して抱き込めば、ほぐれるように溶けるようにその身体を預けてくれる。鼻先をこすりつけるようにするそんな仕草も全部、俺を芯から奮えさせた。柔らかくてあったかくって、触れた部分から発情しそうやだなんて、がっつきすぎてるとしか思えへんし、大人げないから言われへんけど。
『……松田さんの匂い、落ち着きます』
『…そうか?』
そう言ってから彼女がもう一度擦り寄ってきたから、もうたまらんくなって。いやさっきの大人げ云々の葛藤はあったわけやけど。……まあ我慢できひんよな。普通よな。いや、押し倒したわけちゃうし、キスだけやし……。
『松田さんの匂い、落ち着きます』
って、あれ……?もしかして遠回しに煙草臭い、とか……まさかオッサン臭い、とかそういうことちゃうよな?いや、待てよ。相手は若い女の子やで。本当は煙草嫌いなのに我慢してなんも言わんだけかもしれへんよな。いやいやいや待て。……思い出せ。エミちゃんはあの時どんな顔してた?
悩みながら廊下を曲がって、ようやくメイクルームの扉の前に来た。時々漏れて来る声は探していたひとのもので、少しほっとする。
……って、どないしよ。ここで入っていくのもありえへんやろ。ノックして呼び出す、……のもなんかあかん気がするし…。いや、今日のメイクさんはモモちゃんやったやんな。モモちゃんならいい……。
「アラー!役者が揃ったわね!あ、2人になったからってオイタしちゃダメよ!」
いやいやいや、ないないない。きっとこんなん言われて余計に気まずくなるのがオチやで。
ノックしようと上げかけた拳を寸止めして、降ろす。
…このままエミちゃんが出てくるまで待つか?いや、なんか待ち伏せしてるってストーカーみたいで嫌やしな……。
こんな悶々としてるとこ慎に見られたら、またアイツになに言われるか。ここはもうはっきり聞くしかないやろ。そうやモモちゃんなんやしあの人ああ見えて空気読めるし。
勇気を出せ、と自分を奮い立たせて固めたまましまうことも出来ない拳をもう一度動かしたところやった。
「はい、メイク直し終わりッ」
「ありがとうございます」
「いいのよー。…って、本当にどうしたの?エミちゃんが休憩中にメイク直しに来るって珍しいじゃない」
「………モモちゃん……」
扉越しの会話。盗み聞きはあかんと思いつつ、慎の観察力にもちょっと驚きつつ、その場を離れることも出来なくて。
「あの、私って……」
「ん?」
「……大人っぽいメイクとか、似合わないですかね」
「え?」
「衣装、とかも……大人っぽい服って似合わない、……ですよね。いいんです。すいません!気にしないでください」
「ちょ、ちょっと落ち着きなさいよ。どうしたの?急に」
「…………」
「カレ、とのこと?」
ドキッとした。あかんことしてるって分かってるけど、この状況で自制できるほど俺かて人間できてるわけやない。幸い廊下は静まり返っていて誰も通りそうな気配もない。俺当事者やんな?悪いことしてたならすぐに謝りたいし、誤解があれば解きたいし……。
「…歳が離れてるって…いくら背伸びしたって縮まらないってことだってちゃんと分かってます」
「そうね」
「…でも、松田さんは……やっぱり私のこと、年下だって…子どもっぽいって思ってるだろうし……」
「なーに言ってるのよ。そんなこと思ってたらそもそもエミちゃんとそんな関係になってないでしょ」
「……でも……」
「カレがそう言ったの?」
「…………」
ちょちょちょ、エミちゃん!なんでそこで黙ってんねん!俺そんなこと言った覚えないし、そもそも子どもっぽいやなんて思ったことないし!
「あらあら、それは…。私からもガツンと言ってやらないといけないわね」
モモちゃんの声が低くなって山田さんから感じるものと同類の寒さが背筋を走った。この手のオニイサ…もとい、オネエサン怒らせたら怖いねんでって慎がずっと前に言ってたことを思い出す。そんなこと言ってない、とドアを開け放って否定しよう。そう思ってドアノブに手をのせた。
「…さっき聞いちゃったんです。記者のひとが松田さんに……」
え。
「松田さんが私とのことうまくかわしてくれたんだって分かってるけど…でも……」
『……こんなオッサン相手にしてもらえるはずないやないですか』
何気なく放った自分の一言を思い返した。確かにそうは言ったけど……別にそれはそんなつもりじゃなくて。
「それは別にエミちゃんのことを子どもっぽいって言ったわけじゃ」
「それもわかってるんです。……けど、松田さんが私との歳の差を意識してるってことには変わりないし」
「…エミちゃん……」
「私、実際まだまだ知らないことばっかりだし、確かに大人っぽくはないですけど、でも…ちゃんと向き合って欲しいっていうか…、なんか無性にイライラしちゃって」
「…顔見てると怒りたくなっちゃうのかしら?」
「……っていうか…、あの、なんか……恥ずかしいんですけど」
少し声を潜め始めた彼女の言葉を逃すまいと、俺はさながらドアに張り付く変態か。
モモちゃんはきっと息をのんでエミちゃんの次の言葉を待っているやろう。俺と同じように。
「…………って……」
「……ま、大胆ね」
力が抜けそうになった。身体を反転させて音がしないようにそっと扉にもたれかかる。そのままずるずるとへたりこみそうになるところをなんとか支えて。
……な、なんやねん、それは……あ、アカンやろう。
不覚にも顔が一気に熱くなるのをはっきりと感じた。
女同士……この際もうそういうことでええよな…の、こんな話を盗み聞きして赤面してる俺のほうがよっぽどガキくさいよな。いや、それもちゃうか。ガキだとかどっちが大人だとか。そういうことが問題なんとちゃうよな。
「どっちにしても、エミちゃんは私にそれを言ったところで何にも変わらないのよ?」
「…はい」
「ねえ?本人に言わなくちゃ。……って、もう伝わってるだろうけど」
「え」
え。
俺とエミちゃんと。2人の声が重なった。なんやねん、いつからばれてたんやろか。…ほんまこの手のオネエサンは恐ろしいわ。
観念した。深く深く深呼吸をして少しでも顔の火照りを取れるようにして。…まあそんな短時間でおさまるわけもないんやけども。
そっと扉を開ければ、そこには予想通り真っ赤な顔をしたエミちゃんが信じられないといった表情のまま立ち尽くしていた。
「……えっと……」
「ままままま松田さ……聞いて…」
「えーっと…」
バツの悪さに思わず頭を掻いた。誤摩化せるものなら誤摩化したい。
「んー、そうねえ…」
にやにやしながらモモちゃんが俺を見る。ちょ、わかったから。それ以上ばらさんといてくださ……。
「エミちゃん、大人っぽいメイクも似合うわよね?」
「え」
「…大人っぽい服だって着こなせると思わない?」
こンのオカ……!
ばちっとウィンクするモモちゃんに完敗や。ほんとこの人は敵にまわしたらあかん……。怒られる前にちゃんと言うこと言わな…。
「うん。似合う思うよ」
「…………!」
俺の答えに反応して空気をのむ