芸恋小説 | ナノ

「あれ、松田くんだけ?」

楽屋の扉を開けたエミさんの第一声はこれだった。悲しいとか、切ないとか、そんなことを思う前に広がったのは「申し訳ない」という感情で。

「…すんません」
「やだ、謝らなくてもいいって…慎之介は?」
「慎は、」

そんな申し訳なさも一瞬で苦くて黒い感情にすり替わる。

(…ああ、また、や………)

そんな自分を悟られたくなくて、出来る限り穏やかな表情を浮かべたまま口を開いた。





「慎之介!」

廊下に少しハスキーな声が響いた。隣を歩いていた慎が足を止め気の抜けた顔のまま振り返る。

「エミ姐さんやないですか」
「お疲れさま」
「いえ、姐さんもお疲れさまです」
「私は今来たとこ。二人は?もう帰るとこ?」

ざっくりとした大きめのニットにタイトなパンツ。力の入った感じが全くしないラフなモノトーンのコーディネートは、彼女の芸人らしからぬ洗練された外見をより際立たせているように見える。

(…ってまあ俺の欲目かも知らんけども)

同じ事務所の4期ほど上にあたる先輩のエミさんは、俺らをデビュー前から可愛がってくれたお姉さん的存在のひと。タテ社会のこの世界で生きていくためのいろはを優しく、そして厳しく教えてくれた恩師でもある。

「いや、俺らは今1個撮り終って…今日は3本撮りやって」
「大変だねえ。じゃあ今日は一日中ここだ」
「そうなんですわ。…あと、深夜にラジオが一個入ってます」
「アラアラ、売れっ子でんなあ」
「またまた!姐さんには敵いませんって!」

テンポの良い二人の会話に、俺はただその場で立ち尽くすのみ。相槌すらも必要ない、そんな流れで、ここは黙ってその成り行きを見守るんが俺の務めなんやろうって思って納得させた。

で、なんですのん?と慎が問うと、エミさんはきれいな顔ををくしゃっと崩して笑った。こうやってTV局ですれ違って、もし知らん人やったとしたら、女優さんかな、なんて思ったやろう。

「そうそう。忘れるとこだった!この間借りたDVD、返そうと思って最近ずっと持ち歩いてるんだけど…やっと顔見れたし、このあとの収録区切りついたら楽屋に持っていくわ」
「ああ、あれ」

そんな、いつでもええのに、と返す慎。何のDVDかは知っている。慎が今はまってる某局で1年間やってる時代劇や。途中から観だしたエミさんも見事にはまったらしく、1話から観たいなあと言っていたのを聞いた俺が、「慎なら1話から録画してるって言ってましたけど」なんて教えたわけで。

慎がそのドラマを1話から録画していたのは、もとは邪な理由からや。最近お気に入りのアイドルがヒロイン役で出ているから。まあきっかけはなんやったとしても、今ではドラマ自体にはまっていることに変わりはない。







「…慎なら、ちょっと今共演者のとこに挨拶に」
「そっか。…さっき言ってたDVD持ってきたんだけど……ま、いいか。松田くん、預かってくれる?」
「あ、はい」

重たい鉄製のドアが、時間差でがちゃ、と音をたてて閉じた。
エミさんの持つディスクを受け取ろうと手を差し出してみるも、空振りに終わる。そんな俺にお構いなしで、彼女はケースを指で挟んだまま顔の前で数回仰いでから口を開いた。

「…挨拶って、松田くんは行かなくて平気なの?」
「いや、まあ……」

当然の意見やった。やっぱりエミさんは俺らの先輩なわけで。共演者に挨拶にいくならコンビで訪れるのがスジやろって思われて当たり前や。

でも。
慎がいるのは例のお気に入りのアイドルの横。挨拶、というよりむしろ絡みに行っているといった方が正しいやろう。

「……まあ、その」
「……あー、ハイハイ。なんとなくわかったわ」
「…すんません。そういうの止めるんも俺の役目なんかもしらんのですけど」

なんとなくバツが悪くて、苦し紛れに頭を掻くと、エミさんは小さく笑った。

「……まあ、自立したオトナなわけだし、仲良くすることに別に罪があるわけじゃないでしょ」
「まあ、それはそうですけど…」
「うーん、もうちょっとねえ…こういうの見られてあの子はいろいろ噂されてるっていうのに……」

そのあとに続く言葉は呑みこまれたけれど、なんとなくエミさんが言わんとしていることはわかる。ひと呼吸の後、気難しい顔ではなく、小さな弟を持つ姉のような、そんなあたたかな表情で彼女は新たに言葉を綴った。

「今度は?また若い子?」
「…まあ、若いっちゃ若いと思います」

世間で言われているほどアイツはいわゆるプレイボーイだとは思わない。それはきっとこのひともわかっているのだと思う。

(…むしろそうであって欲しいなんて思ってるんとちゃうか……)

少しだけ攻撃的なもう一人の自分が意識をかすめ取ろうとする。

『慎は、あの子に本気やと思いますけど』

その一言を告げることがエミさんにとってどういうことかをわかっているくせに。

(やめろ……言うな……)

「……慎は、」

(やめろって…何言うつもりや……)

「……慎之介は、若い子好きだもんねえ」

いらんことを伝えることがないように強く唇を噛みしめた時やった。あっけらかんと笑うエミさんの拍子抜けするような一言。

「慎之介は……っていうか、まあ男なんてだいたいそんなもんかな」
「……」
「松田くんだって、若くてかわいい子、好きでしょ?」
「………や、」

話の流れ的に頷かんとあかん気がして曖昧に肯定した。エミさんみたいな年上の女性も魅力的です、なんて歯の浮くようなことが言えるほど甲斐性があるわけでも、勇気があるわけでもない。

「まあ、良い良い!それでこそ男だ!」

エミさんはカラッと笑うと、戸惑う俺の手にDVDを握らせた。

「よろしくね。慎之介にありがとうって伝えといて」
「あ……ハイ」

呟きのような俺の返事に満足したんかしてへんのか。ふ、と目を細めて表情を緩めたエミさんは、俺に背を向けるまでの間の一瞬。ほんの一瞬だけその顔から笑みを消した。




背中からじゃわからない
(それでもただ見送ることしか許されていなかった)


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