旅館内、一番見晴らしの良い部屋に女がいる。何をするわけでもなくただただぼうと空を眺めていた。結っていない髪をはらりひらりと風に遊ばせば時折くすくすと笑う。ひらひらと空を泳ぐ蝶々だったり風に流される雲だったり旅館の外で遊ぶ子供だったりと動く物体を見るのが好きらしい。彼女の表情もころころと変わるから、それもそれで面白いのだが。

「よくもまあ、一日中外眺めて飽きねえなぁ」

茶化すように彼は笑った。笑ってと言っても、口端を吊り上げた程しか変化は見られなかった。高杉とはそう言う男である。彼女も別段気にする訳でもなくこっくりと大きく頷いた。その都度に彼女の艶やかな髪は舞い踊る。今日は晴れているから青空が開かれた窓一杯に広がっていて気持ちが良かった。

「見て晋ちゃん、あの雲キリンみたいな形してるよ」

引っかき回すように手を振る。指が差した先には歪な形をした雲がふわりふわりと浮かんでいた。見ようによっては見えなくもないが彼にはどうにもそのキリンとやらには見えないのだ。雲は雲だ。それ以外に何がある。しかし今度は高杉がああ、と相槌をついた。彼女がキリンと言ったのだ。ならそれはキリン以外何物でもない。

「いいなあ、キリン」

「何が良いんだ?」

「首が長いところ」

にこにこと彼女は笑いながら答える。高杉は不可解そうに眉を潜めた。それは理解しかねる。そんな彼の表情を知ってか知らずかまた笑う。高杉も彼女の横に移動して空を仰いだ。

「人間の方が良いだろ、奴ら草しか食えねえんだから」

「高い所とか見えるよ?」

首が長いと言うメリットを得る為に幾つデメリットを担ぐ事になるのだろうか。はあ、と溜め息しか出ない。横を見ると彼女は人差し指で縁をなぞるように動かしてはやはり笑う。子供のような思考の彼女はどうしたって憎めない。そっと髪を撫でてやれば少し吃驚したような顔をして、暫くしたらまたやんわりと笑った。なでられて気持ちが良いのか、体を高杉の方に預ける。高杉も少し目尻を下げた。

「高い所が見てえなら、俺が肩車でもしてやらぁ」

「本当に?」

「俺が嘘ついたことあるか?」

「多分ないかなあ」

「多分じゃねえ、絶対ねえな」

ぐに、と頬を掴んで引っ張れば「痛い痛い」と制止を求めるように彼の手を掴んではみるが全く意味を成さない。とうとう両手で掴まれてしまった。ああ痛い。

「お前、睫毛長えな。それこそキリン見てえだ」

「晋ちゃんも長いよ」

「男が長くったって、なんもねえだろ」

「ううん、格好いいよ」

けろりと、そんな事を言ってみせる彼女に高杉はどうしようもなくなった。不意打ちではないか。いきなりくるそれにさすがの高杉も目を丸くした。何てことはない。彼女はありのままを言っただけなのだが。今日は晴れているから、空が綺麗だから、彼女が綺麗だから、そんなの理由を付けたらきりがないけれど。今度は頬を出来る限り優しく包み込んで優しく優しくキスをした。彼女の髪が風で靡いてきらきらと輝いて、綺麗だった。

「俺はキリンにはなって欲しくないな」

「んー?」

「キスが出来ねえじゃねえか」

ふふ、と小さく彼女は笑う。今度は彼女からそうと彼にキスをした。ゆらゆらと青空色をした彼女の瞳が閉じられてまた開いて。ああ、今日も良い日になりそうだ。

「晋ちゃん、大好きだよ」

「ああ、俺も」

キリンの形をした雲はもうどこかに消えてしまったけれど。今日も緩やかに日は過ぎてゆくのだろう。部屋には重なった影だけが釈然と揺らめいていた。





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