18:11 Hogwarts/Ladies' Bathroom
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「トリックオアトリート」

 今日はハロウィン、そして今は授業を終えた放課後である。ノートを取り終えた僕の目の前で笑うのは宙に浮く天使の輪と羽飾りを付けたマリウスで、片手には焼き菓子の乗った大皿を抱えている。僕は飴をポケットから取り出すと、マリウスの口に放り込んだ。マリウスはありがとうと言うと、笑顔で僕に大皿を差し出す。

「はい、レン。ロシアンシュー。一つにゲロゲロクリーム入り」

そんなわけで、僕は放課後からずっと、男子トイレにこもりっきりだった。


***


「おーい、レン。大丈夫かー?」

ゴンゴンと扉を叩くのはテオドルスで、彼こそゲロゲロクリーム入りのシュークリームを作った張本人である。僕はその呑気な声にイラッとする。誰のせいだと思っているのか。

「大丈夫ちゃいますよ、腹のなかまだ大災害ですわ」
「ごめんよ、レン。まさかテオがクリームを超強力にしてると思わなくて」

そう申し訳なさげな声で言うのはマリウスである。小一時間ほど前に彼から貰ったロシアンシューで見事にゲロゲロクリーム(超強力)入りを引き当てた僕は、こうして男子トイレに籠っているのだ。今思うと、彼の天使の仮装はまさしく天使の顔をした悪魔だったわけだ。

「ザマァねぇなあレン!!」
「テオ、あとで一発殴らせて」

個室の外でテオドルスがうひゃうひゃと下品に笑う声がする。絶対殴る。

「じゃあ大広間に行ってるからよ」

もし治らないようならちゃんと医務室に行くんだよ、とマリウスは言い残して去って行った。トイレにはまた静けさが戻る。人が来たら迷惑だから、と人通りの少ない2階のトイレを選んだからか、心臓が動悸する音が聞こえるほどあたりは静かだ。

「くっそ、あの野郎」

僕は激怒している。あのスカしたパンクロック野郎を殴らねば気がすまぬ。テオドルスとマリウスが出て行ってもう30分ほど経っただろうか。十数回めの気持ち悪さの波が過ぎ、僕の胃の中はとうとう空っぽ。先程から透明の胃液だけがひたすら便器に吸い込まれていく。
その胃液も全て吐き出してしまい、ようやく吐き気が収まったか、という頃。トイレの外の廊下からズドン、ズドンという音が聞こえてきた。そして揺れる地面。なんやの、この揺れ。ヨーロッパで地震なんてあっただろうか。例えるなら、小さい時に見た怪獣が登場する映画のような。ズドン、ズドン、と重量級何かが、ズズズッとなにかを引きずりながら歩いている。尋常じゃないその音に僕は口元を拭って立ち上がる。ズキン、と胃酸でやられた喉が痛みを訴えてくるが、なにやらただ事じゃない気配がする。

気怠い身体に鞭打って男子トイレの外に出ると、我が従兄弟ハリー・ポッター とその寮友ロナルド・ウィーズリーが慌てた様子で向かいの女子トイレの方に駆けて行っていた。

「ハリー!ロン!何事や!?」
「レン?!なんでここにいるんだい君!トロールが入って来たんだ!」
「はぁあ?」

どういうこっちゃ。トロールなんて学校に易々と入ってくるものなのか。小学校の時、猪が校庭に入ってきて騒ぎになったことはあるが、魔法学校にとってトロールはその程度の生物なのだろうか。

 僕は胃を押さえながら、ハリーたちの背中を追った。と、聴こえてくる女の子の甲高い叫び声。2人に続いて女子トイレに入ると、洗面台の下に女子生徒が逃げ込んでいるのが見えた。

「グレンジャー?」
「ハーマイオニー!」

 どうやらグリフィンドールのハーマイオニー・グレンジャーがトイレに取り残されている所にトロールがやって来たらしい。女子トイレは既にトロールによって扉や洗面台が破壊されている。そしてその奴さんは叫び声を上げているハーマイオニーに夢中だ。

「やーい、ウスノロ!」
「こっち向かんかい!」

 トロールを引きつけようと、僕とロンで壊れた配水管やらをその大きな図体に投げつると、トロールは痛かったのか、ただ気に障ったのか、ゆっくりとこちらを振り向いた。

 その隙にハリーがグレンジャーの元に向かうが、グレンジャーは立ちあがろうとしない。どうやら恐怖で腰が抜けているらしい。

「なにしてんねん、グレンジャー!」
「やばいよ、レン。おこっちゃったよ、」

 ロンの震えた声。僕は鉄パイプを両手で持つと剣道の構えを取る。人と構造は似てるのだろうか。喉突き上げて、みぞおちにもう一突。僕はシミュレーションすると、鉄パイプを低く構える。トロールが棍棒を振り上げた。
 
 と、その時。
 
 ハリーが振り上げられた棍棒に掴まると、そのままトロールの肩に飛び乗った。丁度肩車のような形になる。

「ハリー!」

 そしてその拍子に手に持っていたハリーの杖はトロールの鼻の穴にぶっ刺さってしまっていた。惜しい。

「ハリー鼻やない、目や!目にブッ刺したれ!」

 横でロンがドン引いた顔をしているが、目が急所なのはおおよそ全ての生物の共通点だ。僕はトロールがハリーを振り落とそうと気をとられているうちに、洗面台の下のグレンジャーに駆け寄り、手を伸ばす。

「グレンジャー、立つんや!」
「あ、足が竦んでるの!」

 確かにグレンジャーは顔面蒼白、肩が震えているのが傍目にもわかる。こりゃ立たれへん。僕は失礼、と言うと太ももの下に手を入れた。
 グレンジャーがきゃあ、と声を上げたが知ったことではない。タイミングも良いことにトロールはまだハリーに夢中だ。僕は身を屈め、入口側、ロンの所までグレンジャーを抱えて走る。

「ロン!何か呪文を!なんでもいい!」
と、知らぬ間にハリーは足を掴まれて宙づりにされていた。

 僕はグレンジャーをロンの足元に下ろすと、助走をつけてトロールの足にタックルをかます。バランスが崩れたところに、

「ウィンガーディアムレヴィオーサ、よ!」
「うぃんがーでぃあむ、れぃおーさ!」

 ロンの浮遊魔法によって、ハリーを殴り殺さんとしていた棍棒が浮く。軽くなった手のひらにトロールが気を取られた一瞬、僕はトロールの前にまわって、もう一度、今度は大外刈りの形でバランスを崩させる。狙い通り、トロールは仰向けにバランスを崩した。

「今や、ロン!解除しいっ!」
「ああ!」

 宙に浮いていた棍棒は落下、見事トロールの顔面に命中、そして仰向けに倒れ込み後頭部を強打。

 脳震盪を起こしたのかトロールは動かない。

辺りに静寂が広がり、トロールが洗面台をぶっ壊したからだろう、排水管から水が噴き出す音だけがトイレに響いている。

「倒したか?」
「気を失ってるだけだ」

 ハリーが鼻から杖を引き抜いている。案の定それは鼻水にまみれていた。

「うわぁ、ハリーそれちゃんと洗いや」

 と、次の瞬間、僕の腹は再び暴れ出した。吐き切ったはずのゲロゲロクリームなのか、それともこのトロール退治の緊張か。僕の胃は空っぽのくせに、吐き出すぞ吐き出すぞ、と再び僕を脅してくる。

「ロン、ハリー、グレンジャー、ごめん、僕男子トイレに行くから…」

 え、ちょっと!と言う3人の声を背に僕は走る。角を曲がった向こうから足跡が聞こえたが、今は僕の腹の方が大事である。脇目も振らず廊下を挟んだ向かいにある男子トイレに飛び込んだ。


***


「レン!見なかったからトロールに踏み潰されたんじゃないかって心配してたんだぞ!」

 寮に帰れば、談話室に半数ほどの寮生がいた。ハロウィンの夜だったこともあって、思い思いの派手な格好をしている生徒が目につく。思い思いにトロールの侵入経路やその理由を語らっているようだ。

 僕は気分が悪くなって、と監督生に言い訳する。わざとらしく腹をさすりながら、大変だったね、と苦笑するマリウスの横に座った。

すると、上等な燕尾服を身にまとったオペラ座の怪人が目敏く僕を見つけて前に来た。

「君のせいで散々やよ、テオドルス」
「それは失礼、」

 恭しく僕の手を取り膝まづくテオドルスは、嫌味なほどにそんな仕草が似合う。同じ寮生だというのに、周囲が息を飲んだ音が聞こえた。女子生徒が口元に手を寄せてるのも見える。

 しかしそれを横目に、僕はテオドルスの頭を引っ叩いた。感嘆の声を漏らしていた周囲が、今度は驚きに目を見開いた。

 水を打ったように静かになる談話室。
 しかし僕は知ったこっちゃないので、立ち上がるとそのまま仁王立ちになり、テオドルスを見下ろす。

「拳じゃないだけマシやったと思いや」

 テオドルスは膝に突っ伏しているが、見るとその肩が震えているので笑ってるんだろう。僕は自室に戻ろうと踵を返す。寮の外に出るのを禁止されたまま、長い夜が更けていった。





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