切っても切れないこの縁は
::


一年前の、とある冬の日の話だ。
身を刺していくような北風が、美味しそうな匂いを運んできた。カレーやなぁ、という声が降ってくる。そうみたいだな、という言葉を返して、マフラーに埋まった横顔を見た。頭ひとつぶん上にあるその顔は、こうも近くからみると首がいたくなる。あたしも背は小さい方ではないのだけれど。彼女の場合は、もはや常識を逸脱してるから仕方がない。

このくそ寒い中線路沿いを、重たいペットボトルを持って歩くジャージの中学生二人。理由は監督からのパシリ。日頃生意気なヤツを二人選んだ、なんぞと抜かしやがったから、お前のご自慢のスポーツカーに十円玉で傷つけたろかと思った。けど、隣の彼女があっさりと快諾してしまったものだから、仕方がないと思い、追い出されるようにして学校を出てきたのだ。

初めて風早陸のプレーを見たのは、小学5年のとき。すでに170近い長身と卓越したセンスを持った彼女は、小学生にしてすでに逸材だと騒がれていた。戦ったのは全国の二回戦。はなからの優勝候補との戦いに、怖じ気半ばでコートに立ったことを覚えている。向かいに並んだ10の番号が、とてつもなく大きなもの見えた。あたしだって小学一年から始めたバスケには自信があったし、全国という大きな大会でやっていける、という自負さえしていた。それなのに、その前に立った瞬間、彼女のもつ威圧に呑まれた。圧倒されたと言ってもいい。生まれながらにしての勝者、その風格を確かに漂わせていた。シュート、リバウンド、スティール、ディフェンス、センス。何を取っても勝てない。仲間の信頼を一身に受けながらも、たいしたことではないようにしてシュートを奪っていって、決して嫌味ではないようにチームメイトに声をかける。それは一見簡単なようで、とても難しいことであった。慕うチームメイトも、彼女も、彼女らを見守る大人も、あたしのそれとは格が違ったのだ。その試合はトリプルスコアで敗れた。至極当然の結果と言えば、そうであったのかもしれない。はなから雰囲気に飲まれてしまったことが、大きな敗因だ。勝利したというのに、微笑み1つで次の試合へと向かう彼女の背を一発殴りたかった。あたしのチームに勝ったんだから、もっと嬉しそうにしろよ。勝ったことが当たり前みたいにして、それじゃあたしたちが弱いみたいじゃんか。そう言って、この行き場のない敗北感をどうにかしたかったのだ。けれどあたしに出来たことは、爪が掌に食い込むほど強く拳を握り、奥歯を噛みしめ、泣きじゃくる六年生に謝ることだけだった。だって実際、あたしたちは弱かったのだから。もう小さくなった10を視界に捉えて、心に誓った。必ず、必ず来年は。


「真由、?」

視界が暗くなったと思えば、陸が長い体を折り曲げるようにして顔を覗き込んできた。あんなに倒したかった相手が、今や自分のチームのキャプテンで、仲間になってると知ったら、二年前のあたしはどんな反応をするだろう。あたしの頬をひっぱたくかも知れないな、と思った。そこにある感情は怒りではなく、ただ悔しいだけ。一方的に魅せられ、焦がれ、恋をするようにして彼女に惹かれたことへの悔しさ。幼いあたしは、それを拒むだろうけれど、心まで彼女に惹かれてしまった今になっては遅い。どないしたん、という彼女の言葉を遮って、彼女のコートネームを呼ぶと、眉間に皺を寄せて苦笑した。

「ウチ、あんまその名前好きやないねんけどなぁ」

いいじゃん、似合ってるし。肩を竦めれば、彼女は真似をするようにして肩を竦めた。勝利の名を背負う彼女に何度憧れたことだろう。何度その背に救われ、何度その背を羨んだだろう。いくら彼女に近づこうとしても、振り向くことなく駆けていく彼女に、あたしが追い付くことはなかった。それどころか、差をどんどんつけられていった気さえする。

「もうすぐ春やなぁ」

暢気に呟く彼女の言葉。江ノ電が隣を通って、風が頬を撫でていく。ペットボトルの入った重い袋を持ち直して、そうだねぇ、と返した。

「来年は優勝したいなぁ」
「するよ、」

だって、アンタがいるから。言い出しそうになったその言葉は、ただの白い息となって空に消えた。言葉に乗せてしまうと、なんだかいじけたようになる気がしたからだ。本当に思っていることだけれど、口に出したらそれだけで、自分と彼女の差が広がってしまう気がした。

「あ、」

陸の目線の先を見れば、うちの学校の男テニがいた。女バスと並んで立海を牽引する、強豪として名を馳せる彼らはこのくそ寒いなかで外周ランニングをしている。白や黒のウィンドブレーカーを着込んだ彼らはあたしたちを一瞥してすれ違う。テニス部は校内一の大所帯で、バスケ部以上に競争率が高く、監督も厳しいらしい。そんななかで、よくまとまって活動できるてるものだと思う。いくら頑張っても、普通どこかで歪みが出てくるものだ。他人の才を羨んだり、嫉妬したり、人間関係だったり。バスケ部だって一皮捲ればどんな事情がうごめいてるか。あまり集団を好まない陸の人柄か、1年は先輩らに比べて和気藹々としてるけど。


「あ、先輩やないですか」
「ん?」

知ってる先輩なのか、陸がすれ違うテニス部の人に茶々を入れる。叔父がテニス部の顧問のせいか、彼女は顔が広い。しかもその叔父もまた生徒の間で人気のある男前教師だものだから、陸のもとからの知名度に拍車をかけている。

「今の先輩なー」
「うん、?」
「テニス部辞めようか迷ってはるんやて、」

テニス部が一通り過ぎ去ったあとで呟く。陸の横顔は無表情で、あたしと同じようなことを考えているのかな、と思った。難しいのだ、なんと表現すべきか。いろんな感情が入り交じるこの時期は、やりたいことを素直にすることや、思いを素直に現すことがひどく難しい。その点、この隣の彼女が羨ましくなる。言葉に出したことはないが、それはきっと嫉妬に近い感情だ。

「正直なんて言ったらええかわからんねん」
「…慰めるってこと?」

半ば意地悪にそう聞いた。なんて嫌な性格だろう。あまりにまっすぐな陸は、そんな嫌味なんてものともしないけれど。

「せやなぁ、そうも言うかもしれんなぁ」

浅くため息をついた陸は、ビニール袋を抱え直して、眩しくもないのに目を細めた。思案するときの、彼女の癖だ。

「もしバスケ部の連中が辞めるって言い出すんやったら、ウチはそいつらになんて言うんやろうって思ってなぁ」

陸は自分が辞めるなんてこと考えたことないだろう。バスケットボールという舞台でいつだって彼女は主役なのだから。私みたいな、中途半端にプレイしてるような人間とは違うんだ。続けたいとは思う。ただ、先が見えないのが怖いと思う。将来を考えたとき、いきたい方向は闇のなかで、思わず足がすくむ。陸だったら、なんてことないように迷わず暗闇に飛び込むだろう。それが私と彼女の明らかな差だと思った。

「みんな辞めんとええなぁ、」

そう言って陸は微笑む。賑やかなバスケ部の連中を思い出したのかもしれない。全国制覇を逃した今年の夏、来年こそはと誓った仲間とともに、全国を制覇する。普段おちゃらけた雰囲気ももつ彼女は、実は誰よりもストイックで自分にたいしてとことんシビアだ。あたしは一つ嘆息して、上を見上げた。飛行機雲が海の向こうに消えていっていた。


「バスケ部辞めたいと思う」

この冬の日の一年後、あたしが陸にそう告げるのを、誰が予期していただろう。今でも陸の目を丸くした顔が、脳内で反芻してあたしを責める。なんで、なんでなん。そんな言葉が耳に残っていつまでも消えない。

* * *


「島原さん、?」

クラスメイトの声で、沈んでた思考が一気に浮き上がる。

「ん?どした、?」

クラスマッチの競技決まってないでしょ。そう言って微笑む彼女。立海とは似ても似つかぬ制服。ああ、そっか私は逃げたんだ。立海からも、陸からも、バスケからも。涙ぐみそうになって、あわててアクビのせいにした。何が余ってるのか聞けば、バスケしか余ってないのだという。

「やってもらっていいかな?」

可愛らしい学級委員の子にそう言われちゃ断れない。もうバレーにも空きがないようだし。

「いいよ、バスケで」

バスケで。なんて、素直じゃないんだろう。素直だったら今頃立海でプレイしてるだろうけど。好きで好きで好きで、仕方がないバスケを一時の感情で捨てて、捨てたから素直に戻れなくて。

「上手くいかないなぁ、」

呟けば、その責任から逃れられるような気がしたけれど、逆に現実味を帯びてしまって心に突き刺さって返ってきた。

放課後、知らず知らず、足が向かっていたのは体育館。園芸委員の仕事で、ちょうどジャージだ。まだ誰もいないそこは、好きにしろと言わんばかりに静かに輝きを放っているように見える。前の授業が体育でバスケだったのか、ボールもゴールも出しっぱなしになっていた。

「こりゃやるしかないな」

足元に転がっていたボールを拾うと、それは少し重い高校男子用のもので。触れる機会は少なくなかったが、手にはあまり馴染まない。それでもドリブルするうちに幾分か感覚になれてきた。

「一本だけ、」

そう思って、得意のロングシュートを打った。ラインよりだいぶ下がった位置からの、スリーポイントシュート。きれいな弧を描いたそれは、ネットの音だけを響かせてコートに弾む。上手い具合に手元に返ってきたボールを二、三度手の中で遊ばせたあと、角にあったボールケースに向かってバウンドさせた。縁に当たって外れたそれは再びコートに転がったが、取りにいくのも面倒でそのまま立ち去ろうとする。

「…あ、待って!!」

…げ。誰かいたのかよ。おそらく上級生だろうその声に振り向かないわけにもいかず、しぶしぶ振り向くと、小柄な女の子がいる。

「バスケ上手いんだね、」

入部希望なの、?そう聞く先輩の声が、針のようになってあたしを責めた。

「いや、違います。すみません勝手に遊んで」

そう言ってさっき外したボールを戻しにいく。

「え、入部希望じゃないの?」

聞かないでくれよ、先輩。そんなことを言えるわけもなくあたしは、いろいろ見てるんです、と言って曖昧に笑った。先輩は、じゃあぜひバスケ部に、と言って無邪気に笑ったけど、その顔がどこか、懐かしいあいつに見えて、奥歯を噛み締めた。じゃあ、と先輩に声をかけて、その場を立ち去る。

「バスケとか、…もうやれねぇよ、」

吐き出すように呟いた、それを聞いた一人のバスケ部員がビックリしたように彼女を振り返ったけれど、彼女は気づかない。

「なんなんだろう、」

小柄な彼は、機会があったら彼の憧れる先輩に話してみようかと思った。


20120101
高校一年になった島原視点で中一のときを回想。彼女は高校は立海には行ってません。

prev / next
[ back to top ]
top
「#ファンタジー」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -