闇の中からアルト
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ほんまどないしよ。

ウチは寮の自室でシャワーを浴びている。汗と一緒に、胸にこびり付いた混濁も流れればいいのに、と馬鹿なことを思った。




夕方、亜季と学校近くのファミレスにいた。もちろん話し合いのため、辞めたいといっていた部員、島原真由美の件である。店内は夕方だからか、立海生や近くの公立校の制服が目立った。明るい色に統一された店内だったが、響くにぎやかな声は今はただ頭痛を増幅させるだけだった。




「で、私としては辞めてほしくないし、重要な戦力だとも思ってる。けど、これ以上部の雰囲気を壊すようだったら、切り捨てたほうが部のためだと思う。」




あまったるいミルクティを飲みながら、亜季は辛らつな言葉を言い放った。亜季の言ったことは、今考えても正しいことだと思う。総勢30名を超える部員の中でユニフォームをもらえるのはごく一部。スタメンとなったら、さらに倍率は上がる。真由美のユニフォームを狙っている人間は多い。それは真由美に限ったことでなく、ウチや亜季にも言えることだけど。



部の雰囲気を壊すようだったら、すなわち部全体の士気が下がることを考えたら、虎視眈々とスタメンを狙ってる2年や、力をつけてきている1年に、そのユニフォームを渡したほうがチームのためにはなる。




しかしそう易々と手を離してもよいものだろうか、という疑念も同時にウチの中にはあるのだ。亜季も言ったように、島田は実力では立海のスタメンに相応した力を持った選手であることは確かであるし、それは重要な戦力としてともに戦ってきた。個人プレーが目立つことも少なくなかったが、それはチームの勝利のためだった。誰よりも、勝利を欲していたのは彼女だ。その背の番号を、剥いでもよいのだろうか。






ため息をついてシャワー室から出る。




「あれ、帰っとたっとね。」




そういって顔を覗かせたのは同室者のソフト部部長をしていた3年の先輩。ソフト部は今年の全国大会で見事優勝してきた。九州からはるばるこの立海まで来た彼女はがっちりとした肩幅とウチとそう変わらぬ長身の持ち主で、同室になったその日にタメ口にしてくれと言うような、豪快で快活な性格をしている。




彼女は冷蔵庫から水を取って渡してくれる。そういえば今日は東京の強豪と練習試合だったそうだ。結果どうやったんか?と聞くと、ギリギリばってん勝った、と返された。同じように神奈川と離れた土地のせいか、同じように強豪部の部長だからか、彼女とは馬が合う。あの学校グラウンドがあんまよくなかったけん、今度するならうちでしたかー、と話す彼女の横顔を見やる。日に焼けて浅黒い肌をした彼女はバスケをしてもいい選手だったろうにな、と思う。彼女のように熱くて頼りがいのある部長に、ウチはなれているんやろうか。






「ちょっと走ってこようかな。」






「え、さっきシャワー浴びとったやん」






何故かべたべたとした感触が消えないのだ。流しても流しても。胸にこびり付いて離れないこの混濁は、シャワーごときじゃ取れそうにない。





「なんば抱えとるか知らんばってん、無理したら駄目ばい。足まだ全快じゃなかっちゃろ?」





眉を下げる彼女は、案外勘が鋭い。





「島ちゃん最近元気なかとってね。首突っ込む気はなかけど、そいばあんたが抱えてもどがんしようもなかとじゃなか?」





彼女は部長としての器を備えてるのだと思う。だからそんなこと言えるのだ。うらやましい。





「そうなんやけどね、」




ジャージに着替えたウチは、ポケットに携帯と小銭を突っ込んで部屋を出る。点呼は彼女が誤魔化してくれるだろう。寮を出ると涼しい風と、虫の音がそこを夜にしていた。いつもは朝方に走るから気づかなかったけど、電灯が少ない。




ウチはまだ痛む膝を庇いつつ、ジョグを始める。ここ最近天気がよくなかったせいで、膝が痛む。靭帯は引きずるから面倒だ。ちょっとした気圧の変化、天候の崩れ、体調不良ですぐに痛んでくる。なによりも、精神的に軽いトラウマになる。気づかぬ地に自分にブレーキを掛けてしまうのだ。





胸中にあるのは、真由美のこと、じゃなくて左足の靭帯を損傷したあの試合。




関東大会決勝、梅花戦。



何度戦ってきたか知れぬ勝負。因縁の戦いだ、と称す人もいる。




関東大会の決勝は ここ十数年、全てが梅花対立海大学附属。激戦区でありながらもこうまで固定されているのも珍しいだろう。ここ二、三年は梅花が関東大会優勝、つまり一位通過で全国に行っていた。立海は二位。どうにかその不名誉なレッテルを払拭したくて、必死だった。





4クォーター目、ラスト3分、点差は4ゴール差で梅花が勝っていたが、いつひっくり返ってもおかしくない状況。梅花のガードが打ったスリーポイントが外れたのを先輩がリバウンドで奪取したのを見て、速攻のチャンスとばかりにウチは走る。しかし前にはディフェンスが二人戻っていた。頭上を通るボールをキャッチし、そのまま無理矢理ドライブしてレイアップでシュート、しようといた、とき。







「っ!!ぐぁっ!!」





どちらの選手に当たったのかわからなかったが、左膝に鋭い痛み。いや、鋭いどころじゃない。五寸釘を打ち込まれたような、激しい痛み。 力が抜けたようになって、そのまま倒れ込んだ。





「陸っ!!」





そう叫んだのは誰だったか。集まってくる審判や、一緒にプレーしていた先輩たちに心配を掛けまいと必死で無事をアピールした。ここで雰囲気が悪くなったら困る。




「そない大事やありませんって。ほら、」



そう言って立ち上がるも、左膝が激しく痛む。走り寄ってきた監督にフリースローまでするから、と告げ、ボストに向かう。二本とも決め、Cの先輩と交代。あと3ゴール差。残り時間は2分と少し。





まだ追い付ける、追い抜ける。





そんなことを悠長に考える余裕さえ与えず、痛みは増していく。ベンチの奥に寝かせられ、大学生のトレーナーの一人が用意していたコールドスプレーを膝に吹き付ける。





「陸、大丈夫か」



そう言って別のトレーナーがボトルを口に渡してくる。ウチは額にタオルを当て、息を整えるしかできなかった。遠くのほうで、歓声が聞こえた。梅花学園の、だ。





(ああ、…負けたか)




そこからは、あまり思い出せない。痛む膝が、何度でもあの試合を呼び起こす。正直に言えば、最近あまり深い眠りにつくことができない。練習でくたくたなはずなのに、眠りが浅く、すぐに起きてしまう。重傷だ、と思う。膝もだけど、心が。自分なりにちゃんとあの試合と向き合っているつもりだけれど、実際のところで、ウチは逃げているのかもしれない。



寮の周りを十周ほど走ったところで、足を止める。




「こんな夜に、ジョギングかい?」



闇の中から聞こえた声は、優しいアルトだった。



「幸村先輩やないですか、」






20110724

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