呑まれそうな、青
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いち、に、さん。

遠くから聞こえてきた声で、俺は現実に引き戻された。なぜだか呼吸が苦しい。ずべてを呑んでしまいそうな真っ青が視界に飛び込んでくる。ああ、空か。雲が一つも無いと、どうも空はらしくない。空というのは頭上にあるものだから、こうも目の前におられると別のものなんじゃないかと勘繰りたくなる。あれ、俺は誰じゃ?ここはどこじゃ?何してるんじゃ?どこかフィルターがかった思考回路で1分ほどかけて、俺がどういう人物で、ここが屋上で、俺はいま5時限目をサボタージュしているということを思い出した。




いち、に、さん。


先ほど俺を現実に呼び戻した声の主は今もなにやらしているらしい。給水塔の影からその姿を見れば、声の主は背が高い割に痩身だということがはっきりとわかる。ジャージを着てるせいで、遠くからでは男なのか女なのか、判別がつかない。床にトレーニング用の縄梯子を広げ、片足でその間を往復している。時折、足が痛むのか、立ち止まっては深呼吸しているのがわかる。


俺はその人物が誰であるか、見ているうちに思い出した。バスケ部の2年。確か切原と仲が良かったはずだ。そして、羨ましいことに俺よりも何センチか背が高い。さすが、県外からの有力選手のスカウトにも積極的な女バス。そのぶん態度もでかい奴が多いけど。でも所謂ギャルメイクというものをした奴はいないし、性格が派手なやつもそういない。スポーツマンとしては評価できる、女バスもテニス部のことをそう見ているだろう。ファンだという五月蝿くてケバケバした女子の集団より、何倍もいい。


そもそも立海はスポーツの名門なわけだから、男女共に軟派な性格をした生徒は少ないのだ。しかし、私立というだけあって、そこそこの金持ちの子息が多く通う。ぬくぬくとした温室で育てられた彼らが、勉強もスポーツもこなすストイックな集団の中に放り込まれる。そして運動部生徒との価値観の相違や劣等感などで、思春期の彼らは社会に反発してか、服装や髪型が派手になっていくのだ。そう考えるとギャルやチャラい男がこの学校に少なくない理由が解らなくもない。




いち、に、さん。
あれ、起きたんですか。



あれ。俺はいま、声を掛けられたようだ。



「おう。なんじゃお前さん、気づいとったんか。」



そう言うと彼女は、切原が言ってたんですよ、と言った。



「ほうか。仲良いんじゃの。」



「まぁ、そこそこ。」



小さく笑う彼女に時間を尋ねれば、6時限目だと返された。どうやら俺は5、6時限をサボってしまったことになるようだ。おまえさんは大丈夫なんか、と問えば、自習なんです、と言われる。




「足は、どうかしたんか。」



ああ、これですか。彼女は、名誉ある負傷です、と言って眉尻を下げた。



「まぁ、うそやけど。調子乗ってドライブしたら予想外にディフェンスがしつこかったんですわ。」



多分、様子から見て靭帯断裂、いや断裂までいかないか、靭帯損傷ぐらいだろう。回復まで一ヶ月、そしてリハビリってところか。靭帯は引きずるから怖いのだと、以前同じクラスのバスケ部が言っていた気がする。




「仁王先輩は、高校どうされるんです?」



内容の前に、彼女が俺の名前を知っていることに驚いた。素直にそう言うと彼女は、運動部で活躍してる生徒はある程度知ってるのだと話した。



「高校のことじゃが、今はなんも考えられん。」



彼女はへぇ、と言って俺の言葉を待った。



「ビジョンが上手く描けんようになっての。」



これは前々から思っていた。優勝する、夏まで思っていたのはそれだけ。それからのビジョンなんてまったく考えてない。高校ではなにをすればいいのか、俺はどこに求められているのか、俺の居場所はどこなのか。自問自答するのも怖いから、俺はまだそれと向え合えないでいる。



「お前さんは、考えとるんか。」



そう問えば、彼女は小さく笑う。



「仁王先輩と同じですよ。」



いまは、足を治すのとどうチームを作っていくかしか考えてへんです。


鼻で笑う彼女は、それでええかなって思って、と誰にともなく言った。


先ばっか気にしてても、今が疎かになったら元も子もあらへんやないですか。


「言い方悪いですけど、せっかく自由の身になれたんや。好きなことすればいいんちゃいます?」


彼女はあっけからんに言うと、そろそろ6限終わりますね、と言って縄梯子を片付け始めた。



「お前さんは、」


「はい?」


「先輩抜けるん、どう思うとるんじゃ?」


彼女は言葉を選ぶふうにして、ゆっくり言った。


「…寂しさ40%、これから自分たちの時代や、っちゅう期待が50%、あとの10%は後悔と罪悪感、ですかね」


彼女は荷物を纏めるて、そろそろ戻りますわ、と言って俺を仰ぎ見た。ムリせんといてくださいね、それだけ言って、さっさと屋上から去っていった。不思議な奴だ。



多分俺たちは、目の前の優勝と言う事実を掴むために命を懸けるほどに必死だったんだ。それを果たせず失った今、どうしていいかわからない。他の奴らは憶測でしかないが、おそらく俺と同じようなこと。俺は逃げている。どうしようもならない現実と、あの夏と、明日の俺から逃げている。

罪悪感、そう彼奴は言った。俺が感じてるこの罪悪感を同じように赤也なんかも感じてるんじゃろうか。先輩の足を引っ張った、と。そんなの思われるのは心外だ。それを感じるくらいなら、俺たちが成し得なかった優勝を、お前らが成し遂げろ。




「なんて、柄じゃないのう。」


楽しめば、彼奴の言葉を反芻してみる。一度、テニスから離れてみようか。仁王雅治という男を見つめなおして、高校からまた新しいスタートをダッシュで切ろう。


未来のことを考えて今を生きろ、なんてよく言うけれど、そんな器用なやつがいるのなら会ってみたい。幸村のケガだって、真田の負傷だって、今を全力で駆け抜けた結果なのだ。そう、俺たちの敗北だって。



彼女と話して、幾分か呼吸がしやすくなった気がする。飲まれそうな青空が心地よくなった気がする。あ、そういえば、



「俺、あいつの名前知らん。」


まぁ、ええか。そのうち会うじゃろ。さて、サボった言い訳を考えるか。





20110423

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