…江戸川少年の腕の中
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「そのお兄さんも、花さんも、神さまになんてならなくて良かったんだよ」


そう言う江戸川少年の腕の中で薄く笑う。

わたしは、神さまなんかじゃなかった。
一秒一秒と途切れいく意識の中で、わたしの神さまを想う。わたしは彼に憧れた、ただの凡々の人間で、少しその光に照らされたからと舞い上がっていた矮小な道端の雑草みたいなもので。彼が世界を明るく照らすのを、そっと見ているだけで良かったのに。彼のいない世界は真っ暗で息もできないほど苦しくて。だから、もう一度だけで良いからと願ったのに。


知れず、頬を涙が伝う。


江戸川少年の背後では倉庫の壁は焼け落ち、コンテナが音を立てて崩れている。熱気が肌を焼いて、まるでいつかバスジャックの事件の時のよう。そういえばあの時はこの目の前の少年をこの腕に抱いたのだったな、なんて思い出したりもして。
轟音と熱気。それらがじりじりと焦がすように、生きる意志さえもを奪っていく。いや、最初からそんな意思はなかった。夜神くんのいない世界で生きていける気はしなかった。それでもここまで生きていたのは、彼に託されたから。


彼の力になりたかった、

彼と同じ世界が見たかった、

彼にもう一度会いたかった、


だから、彼をもう一度神さまに、と願った、その結果がこの結末だなんて。彼が聞いたら呆れるだろうか。それとも、頑張ったねと笑ってくれるだろうか。


「…デスノートはわたしが持っていく。わたしはノートじゃ死ねないし、良いよね」


傍のリュークは「好きにしろ」と呟くと、ばっさばっさと翼をはためかせてそのまま上昇して天井を突き抜けて消えた。まぁまぁ楽しかったぜ、という捨て台詞は素直に褒め言葉と受け取っておこう。あの死神もまた、どこかであの神さまの影を追っていたに違いない。だから、あんなにもわたしに彼の話を聞かせたのだろう。


「江戸川くん、もうすぐここは燃えおちる。早く逃げなさい。あなたの脚なら、まだ逃げられる」


江戸川少年は顔を歪めた。いや。江戸川少年、なんて目の前にはいない。彼がわたしの知る彼であるということは、あのバスジャックのときから薄々気づいていた。江戸川コナンなんて戸籍は存在しなかったし、彼の過去もまた、山野花と同じように作られたものであったのだ。


「花さんも!花さんも一緒に逃げないと」


そう言ってくれる少年に微笑む。この子供の正義は美しく、気高く、そして全てを救わんとする、全ては救われるべきだとする、人類の理想的な、あの探偵が唄っていた正義そのもので。決して、夜神くんが間違っていただなんて思わないし、彼を信じたわたしとその他大勢は、キラの裁きによって救われる世界に歓喜し、与えられる平穏を享受し、その裁きを幸せと名付けて疑いもしていなかったけれど、この少年の言う正義を信じることが出来ていれば、彼は死なずに済んだのだろうか。


 でも、それでも。


彼を信じたわたしはそれだけで幸福だった。


「ありがとう江戸川くん、でもね」


わたしは彼の最期を思う。


「神さまは倉庫で死ぬって決まってるの、」
 

小さな名探偵を突き飛ばした。


彼が先程までいた場所に、天井の残骸が落ちてくる。
山野警視!と彼が叫ぶ声が聞こえる。


「人は完全じゃないし、人が作った法律だって完璧じゃない!けれど、法律は誰かが誰かを守ろうとして出来たんだ!僕は守る人がいる限り、希望を持つ人がいる限り、それを信じる!」


揺らぎのない少年の声は、轟音でかき消されながらも、しかと私の耳に届いた。意識がなくなる寸前、聞こえたその言葉はあの世界一大嫌いな名探偵がいつか言ったことに似ているような気がした。




***




「山野さん?」

「夜神くん、?」

そこはキャンパスの中庭だった。図書館近くの、木陰のベンチでわたしはうたた寝をしていたらしい。目の前の夜神くんは不思議そうな顔で近づいてきた。


「珍しいね、山野さんこんなところで」

「変なところ見られちゃった」

「ふふ、寝顔可愛かったよ」

そう柔らかく笑って隣に座る夜神くんの手には、分厚い法学書があって、そうだ彼は法学部の首席だったな、と今更なことを思い出す。彼がトップなんて当たり前のことなのに。

「ねぇ、夜神くん」

「なに?」

「高校の、3年の時かな?一緒に日直した帰り、黒いノートを、拾ったじゃない?」

「ああ、"このノート名前を書かれたものは死ぬ"ノートね」

幼稚な語感と残酷な内容のギャップか、夜神くんが苦笑気味に笑う。

「そう、あれ、夜神くんまだ持ってる?」

そう問うてみると、夜神くんはえ?!と驚いた後にやだなぁ、と笑った。

「山野さん、俺があれ信じると思ったの?」

「いや、そういうわけじゃないけど」

ひとしきり笑った後、夜神くんは捨てちゃったよ、と告げた。

「あれは不幸の手紙に次ぐ、新たな子供の悪戯にしては面白いけどね。けれど、悪い奴を悪い奴のまま殺しても、人間には成長がない。僕は父の理想のように、法によって人が生きる優しい世界を作りたい。法の正義がいかに、無力で建前だけの言葉であったとしてもね」

そう言って六法全書を掲げる夜神くんは、わたしの知る彼じゃないと気づいて、やっとここが夢なのだと気づいた。デスノートを使わなかった、死神と出会わなかった、神になろうとしなかった夜神月。わたしの知る彼じゃないけれど、それでも夢なら、ずっと言えなかったことを言ってしまおうか。

「夜神くん、」

「ん?なに、山野さん」

「好きだよ。初めて会った時からずっと。たぶん、これからもずっと、夜神くんが好き」

困惑する夜神くんから返ってきた言葉は予想通りのもので、予想していたから当然のことなんだろうけれど、それでも夢ならもっといい夢見させてよ、なんて思いながらもわたしはまた意識を手放した。





***





霞掛かる思考が、夜が明けるように徐々に鮮明にその輪郭を濃ゆくする。ここは病室のようで、わたしは細いチューブによって、まだ生かされていた。

「眠り姫のお目覚めかな」

どうやら王子様のキスは必要なかったようだ、と言うのは傍の男。NY市警時代に顔見知りになったFBIで、この前の事件で短髪だったその髪をまた伸ばしているのか、鳩尾程度の長さで無造作に結んでいる。それほどの月日が経ったのか。病室を見回そうにも筋肉が衰えたのか、それとも障害が残ったのか、指先の一つも動かすことができない。彼はわたしに水を飲ませると、そばにあった椅子に腰掛けた。


「三年も先まで殺人の計画を立てているとは、用意周到な君らしい」

「…あなたに褒められるとは」


絞り出した声は老婆のように枯れていて、久しぶりに音を乗せた声帯は可哀想なほど引きつっている。FBIは病室だというのにタバコを取り出し、火をつけながら事件のあらましを説明し始めた。

「キラの正体は君の恋人、劉邦一と表向きには発表された」

なんだそりゃ、と一抹考えて、あの死神のことかと膝を打つ。誰のセンスでつけた名前なのか、本人が聞いたら笑うだろう。

「彼は、もう帰ったけれど、」

「ああ、だから遺体はでっち上げた」

「お得意の、あれ、ね」

「そう言うな」

思い当たる節があるFBIは、顔をしかめたように見える。私はあの眼鏡の柔和な青年も好きだったのだけれど、彼がこうして自前の顔を曝け出しているということは、あの組織も私が意識のない間に壊滅したのだろう。

「あのノートはアメリカ政府が執拗に欲しがったんだがな、残念なことに、君の側で燃え尽きていたよ」

「ざまぁみろ、って言って、おいて」

きっとあの名探偵も夜神くんが死んだ後にそうしただろう。

「わたし、どのくらい、寝ていたの」

FBIは一瞬躊躇って、煙と一緒に吐き出した。

「あれから、6年が経った」

「…そう、あなたも老ける筈、」

「男ぶりが上がったと言ってくれ」

そう苦笑する彼は、ずいぶんと冗談が通じる男になったらしい。目尻のしわは彼がよく笑うようになった証拠だろう。この男もまた、柵の多い男だったから。

バタバタと足音が聞こえる。
バタン、と開いたドアから飛び込んで来たのは、6年前、わたしを追い詰めた名探偵。


「工藤新一、くん?」

そう名前を呼べば、彼は驚いた顔をしてわたしを見つめた。そして安心したように笑みを浮かべる。

「彼は今公安に所属していてね」

背後からやって来た安室さん、もとい公安の降谷さんは得意げにほほ笑んだ。病室でタバコを吸うな、とFBI、赤井さんに食って掛かっている。相変わらず、仲はよろしくないらしい。

「ぜひFBIにと誘ったんだがな」

まぁ、キャリアの一つとして公安を踏み台にするのは悪くない選択だ、と呟いたFBIの胸ぐらを今でも掴まんとする勢いで安室さんが彼を睨んでいるのを、工藤くんは苦笑気味に見つめている。

「ま、まぁ花さんの意識が戻って良かったぜ」

良かった、と言ってくれる彼らにわたしは眉を寄せる。彼らからしたら、わたしは数千人を超える凶悪犯を葬った、史上最悪の犯罪者であるというのに。かつてのキラがそうであったように、わたしは存在を消されるはずではなかったのか。

「生かして、どうする気?」

その問いにまず答えたのは赤井さんだった。

「君は優秀だった。見事に世間を騙し切り、恋人に利用されて殺されかけた可哀想な女としか思われていない」

「そして我々もまた、警察官としての君の能力には一目置いている」

FBIばかりに話させるわけにはいかないとばかりに、公安の降谷さんが彼を押しのけて話し出した。

「今後の捜査協力を条件に、監視付きでの生活にはなるが君を解放しよう」

ピラリと差し出したのは首都から離れた郊外にあると言うペンションのチラシだった。

「俺の幼馴染がそこでオーナーをやっている。元公安の人間で、かつては我々と黒の組織にも潜入していた優秀な男だ」

「どうして、」

「ノートを持たない君は、我々が守るべきただの無力な一国民だからだ」

そう言いきる降谷さんの横で、赤井さんと工藤くんが「こう言うのは降谷さんの十八番だから」と笑っていた。わたしの手をとると、大嫌いなあの名探偵によく似た声で工藤くんはこう言った。

「花さん、あなたは神さまじゃないし、誰も神さまになんてならなくていい。人がつくる優しい世界を生きましょう」

知れず、涙が頬を伝っていた。 



夜神くん、あなたのいない世界で息なんか出来ないと諦めていたけれど。
わたしにはもう、ノートも守りたい人もいないけれど。



それでも、あなたが目指した優しい世界を作れたら。

神さまはいらないのかもしれないね。






「つまらないな」

そう、死神の声が聞こえた気がした。






20180506

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