…「おはよう、」そう
::


「おはよう、山野さん」

「おはよう、夜神くん」

そう挨拶をするくらいの、しがない同級生だった。
たまたま一緒のクラスで、出席番号が前後で、たまに日直を一緒にするくらいの、それくらいの仲だった。

私たちが通っていたのは名前を言えば誰もが知るというくらいの、都内の随一の進学校。その進学校のなかでも精鋭が集まる特進クラス。そのなかでさえ、夜神くんは別格だった。容姿も能力も、人間性も、その存在すべてが。中学時代にはテニスで全国制覇まで果たしているという彼は、模試でも一位以外の数字を見たことがない。けれどそれを鼻にかけることもなく、けれどガリ勉です、なんて雰囲気はおくびにも出さず、クラスの男子とも仲が良くて、女子とだって気軽に出掛けてるような、そんな器用さも備えたミスターパーフェクト。

そんな彼と日直が一緒なのは、気軽に出掛けることなんて出来ない私にとって至福だった。山野花、なんて平凡な名前をずっと嫌っていたけれど、夜神くんのすぐ後ろだと気づいたときは先祖の墓を拝みたいくらいこの名字に感謝した。



「山野さん、いつも小難しい本読んでるね」

「そうかな」

西陽が差す放課後の教室。日誌のコメントを1人ずつ書かなければいけないので、私はさっさと書き終えて夜神くんを待つ間に、と鞄からエンゲルスを取り出したところだった。


「私って平凡だから、複雑なものに憧れるのかも」

「平凡?全国模試で上位でも?」

「それは、夜神くんには言われたくないなぁ」

「ふふ、じゃあ俺も日誌書けたから提出して帰ろう」


職員室に寄って、日誌を提出して、下足棟に向かう。ああ、この廊下が永遠に続けばいいのに、なんて自分でも柄でもないことを思ったのを覚えている。

しかし夜神くんが靴を履くのを待たず、私は下足棟の裏手に向かった。どうしても気になることがあったからだ。


「あった」

5時間目の数学の時、バウムクーヘンが食べたくなって来たなぁと、何の気なしに問題から顔を上げて、窓の外を見ていた。


と、降ってきた黒い影。

烏の死骸かと思ったそれは、本のよう。


誰にも見つかってなくてよかった、と植え込みから見つけたそれを手に取る。黒い革はどこかひんやりとしていて、パラパラと捲ると、罫線が引かれたページが連なっている。これは本ではなくノート。

改めて見ると表紙には特徴的なフォントでタイトルが書かれていた。死の、ノート。表紙をめくって見ると、使い方が書かれている。


「"このノートに名前を書かれたものは死ぬ?"」


へぇ、面白そう。見ると死ぬ呪いのビデオに、複数人に渡さないと不幸になる手紙。幼少期に噂になったチンケな怪談話と似たようなものだろう。人はいつまでたっても同じようなことを考えるものだ。しかし、このノートの作り込みはなかなかの熱の入れよう。作った人間はデザインのセンスがあるんじゃないかしら。



「山野さん?どうしたの?」


背後にやってきたのは夜神くんで、心臓が跳ねる。まさか追ってきてくれるなんて。私は茂みを出ると、夜神くんに黒いノートを差し出す。



「夜神くん。変なもの見つけちゃって」

「へぇ、デスノート、直訳で死のノートか。悪戯にしては良く出来てるね」


興味深そうに使い方を読む夜神くん。彼なら、彼ならこの不可思議なノートを使いこなしてみせそう。まぁ、本当だとしたらの話だけど。


「夜神くんは上手く使いそうだね、それ。預けておいても良い?」


頷く夜神くんにじゃあ、と手を振って私は裏門へ行く。


夜神くんの隣を歩く勇気はその時の私にはなかった。



それから2週間ほどして夜神くんの背後に異形が視えるようになった。裂けた口に逆立った髪に、漆黒の翼。鎌は持っていなかったけど、死神です、と言われたら、そうでしょうね、と即答するくらいには死神。


ノート、本物だったらしい。


何の気なしに登校してくる夜神くんと死神を見ていたら、死神と目が合ってしまった。げっ。




***





「ここ女子トイレだけど」


目の前にいるのは今朝、夜神くんと登校してきた死神で、ここは昼休みの女子トイレである。あと5分ほどで予鈴がなるので早くそこをどいてほしい。

「死神に性別はねぇんだ」

「そう。夜神くんに言われて来たの?」

そう問えば、死神はきょとんとした顔をした。死神にもそんな顔が出来るんだ、なんて私は呑気なことを思った。

「いや?なんでいちいち月の許可を取らなきゃならねぇんだよ」

「そういうもの?」


死神は頭をうーん、と唸りながらボリボリ掻く。


「人は面倒だな。理由が必要なら、単にお前に興味が湧いたからだ」

「興味?」

「ノートを手にしたってのに、あっさり月に渡したそうじゃねえか」


ああ、そのことかと私がいうと、やっぱり最初に拾ったのはお前なんだな、と死神が呟いた。確かに落ちて来るのを見てそれを拾ったのは私だけれど、それがどうしたというのか。死神が何を求めてるのか分からず、私はそのぐりぐりとした死神の瞳を見つめた。


「なにが言いたいの」

「上手く使いそうだ、なんて月がどう使うかもわかってたんじゃないのか」

「まさか本物だとは思ってなかったけれど。もし本物だとしたら、私みたいな凡々の人間より夜神くんのほうが価値を見出せるだろうと思ったから」

「面白いな、お前」
 
死神は裂けた口をさらに釣り上げた。

「理由がどうであれ、お前が月を“所有者”にした」

「…私はマリアでもガブリエルでもないし、神たる存在は往々にして大衆が決めるもの。でも、彼が神になるというなら、私は大衆の中でそれを信じるだけ」

チャイムが鳴る。

死神は何も言わず口を釣り上げたまま私を見ていた。


「じゃあね、死神さん」

「リュークだ」

「じゃあね、リューク」





─────────────────



久しぶりに自分のベットで寝たからか、懐かしい夢を見た。懐かしさついでに、ご飯でも食べに出かけようと、紙袋を二つ抱えてマンションを出た。


「あれれぇ!山野警視だ!」


喫茶店の前であの少年と会う。先月のバスジャックで出会った眼鏡の少年だ。確か調書の名前は、江戸川コナンだったか。ミステリー好きにはたまらない名前だろう。


「おはよう、江戸川くん。今は私休暇なんだ。山野さんって呼んで貰えるかな」

「ええ、警視さんの方がカッコいいのにぃ」

「うん、ありがとう。けれど、お外で呼ばれると危ないこともあるからね」


もちろん私もだけど、君も。


「君は一人で喫茶店に?」

「ううん、あとから蘭姉ちゃんも来るの!」

今日はポアロで朝ごはんなんだ!と取手に手をかける江戸川少年を手伝って一緒にドアを開ける。にしても、朝から喫茶店だなんて洒落た小学生だな。



***



おはようございます、と江戸川少年に続いて入った店内。ドアベルがカランカランと心地いい。カウンターにいたのは見知らぬ青年。顔面の造形がすこぶる良い、褐色に金髪という日本人離れしたその外見の違和感をかき消してしまうほどに。面が良いと得だなあ、なんて、思いながらカウンターに近づいた。


僕はいつもここなんだぁ!と江戸川少年は店員さんの正面の席に座る。私は入ってすぐの窓側を背にした手前のカウンターに。とりあえず椅子に荷物を置くと、柔和な笑顔を浮かべた彼を見る。ん、と何処かで見た覚えがある。けれどカフェの店員の知り合いはいないはず。まぁいい、後で考えようと、私は人好きのする笑顔を取り繕った。


「マスターはいらっしゃいますか」

そう聞かれた彼は眉を八の字にした。

「すみません、いま買い物に出ておりまして」

「そうですか。じゃあ時間もあるので、少し待ってます。エスプレッソをいいですか?」

「ええ、もちろん」


浅く腰掛けると、江戸川少年が口を開いた。


「山野さん、マスターと知り合いなの?」

「そんな感じ。昔お世話になってたの」

店員さんは江戸川くんにアイスコーヒーを差し出すと、私の荷物をちらりと見た。

「昨日までご出張ですか」

「…何故?」

「あなたの持ってるその紙袋は北海道の空港のもので、中身はおそらく手土産。マスターの知り合いというのは、かつての常連さんといったところでしょうか 」

テキパキと私のエスプレッソを準備しながら、そう告げる店員さんに素直に感心する。客のプライベートにづけづけ入ってくるのは良いと思わないけれど。


「北海道からの旅行客かも知れませんよ」

「この辺にはホテルがないですから。こんな朝早くにいらっしゃるのは常連さんくらいのものなんです」


そんなやりとりを黙って見ていた江戸川くんがあー!と声をあげたので私と店員さんはそちらを向く。

「僕、わかっちゃった!山野警視、あ、いや、山野さん、組対でしょ!?昨日まで北海道ってことはこの一斉検挙に関わってたんだ!」


ほら!とスマホの画面を見せる。どうやらニュースの画面らしい。目の前の青年が、興味深そうにほぉ、と息を吐いた。先ほどまでの柔和な笑顔はそのまま、視線が鋭くなるのを感じる。


「警察の方だったとは。しかもお若いのに警視さんですか。あの国際テロ組織の検挙に関わってらっしゃってたなんて凄いですね」

「いえいえ、ほとんどは道警と二課で。私は現場に居ただけのお飾りですよ」


事実のままを告げて、アイスコーヒーを啜っている小学生に視線を移す。江戸川少年は、ヤバいことをしたと一応は思ったのかビクッと肩を震わせた。


「江戸川くん、先ほども言ったけど。休暇の時は役職を呼ばないで貰えると嬉しいな。特に色男の前では」

目の前の店員がわざとらしく眉を上げた。

「色男って僕のことですか」

「あなた以外にいます?」


はは、ありがとうございます、と言う彼に微笑んで、差し出されたエスプレッソを受け取った。口付けると、マスターにも劣らない丁寧な淹れ方で好感が持てる。カップをソーサーに戻すと、江戸川少年に向き直った。


「で、君に私の所属を漏らしたのは、佐藤?それとも千葉?」

「あー、えっとぉ、高木刑事、だよ」


気まずそうに言う江戸川少年。罪悪感は一応あるらしい。しかしあの色黒ノッポめ。監察に言って情報保全に関する研修をみっちり受けさせてやると決意する。


と、そこにカランカランとなる扉のベル。


「おはようございます、安室さん。ごめんコナンくん、遅くなっちゃって」


入ってきたのは江戸川少年の待っていた蘭姉ちゃん、だろう。すらっとした長身の美人さんだ。彼女は安室という名前らしい店員さんに声をかけてコナンくんの隣に座る。やっぱり、と私は心中の疑惑を確信に変える。


「やっぱりお父さん来ないって。昨日の町内会の集まりで飲み過ぎちゃったみたい」

「ふふふ、毛利さんは相変わらずみたいですね」


突然笑い出してそう言った斜め前の席の見知らぬ人、に蘭ちゃんは驚いたよう。けれど、私が彼女に向き直り、ニッと笑うとさらに驚いた顔をした。


「もしかして花さん!?」

「蘭ちゃん大きくなったね」

「やっぱり花さんだぁ!」


蘭ちゃんは立ち上がると私の方にきた。私も椅子から立ち上がり、彼女のハグに応える。と、その光景に安室さんと江戸川少年は驚いているようだ。

「え、二人は知り合いだったの?」

「感じが違うから一瞬わからなかったけど、昔ここで働いてたお姉さん!」

「ほぉ、そういうことでしたか」

「そういうことです。10年ほど前のことですけどね。三十路になってお姉さんと呼ばれるのは少々照れます」


私は椅子に座ると、蘭ちゃんがせっかくだから、と隣に座る。小学校の低学年の頃しか知らなかったので、その成長ぶりにはビックリだ。大人の10年と子供の10年はだいぶん違うなぁ、と私は息を吐く。

「花さん、今日はどうしてここに?」

「久々にマスターのコーヒーが飲みたかったのと、丁度いい手土産があったから。まさかこないだのバスジャックでいた江戸川くんもいるとは思わなかったけど」

「ね!僕もビックリ!」

「え、花さんもバスジャックに関わってたんですか」

「たまたま居合わせちゃってね」

大変でしたね、という蘭ちゃんに、こちらこそ力及ばず江戸川くんには怪我をさせてしまってすみません、と頭を下げる。蘭ちゃんがきょとん、とした顔で見るので、「私いま警察に勤めてて」というとまた驚いた顔をされる。そこに安室さんがハムサンドを持ってきてくれた。

それを見て蘭ちゃんがあ!と声を上げる。


「花さんのタマゴサンドまた食べたいなぁ」

「え、」

「おや、かつてはタマゴサンドもあったんですか」

「はい!今は安室さんのハムサンドがポアロの一押しっていうのはわかってるんですけど、花さん働いてらっしゃったときはタマゴサンドがすっごく美味しくて!」

「へぇ、人気だったんですね」

「それほどでもありませんよ。タマゴサンドのレシピは置いていったのに根付いてないところを見ると、蘭ちゃんの買いかぶりでしょう」

「違う違う!違うんですよ!誰が作っても、花さんのが美味しいってなっちゃって。文句が出るくらいならやめるってマスターがメニューから無くしちゃったんです」

「へぇ?そんなに美味しいなら、今度作り方を教えてくださいよ」

「光栄ですけど、なにぶん今は忙しい身なので。几帳面なマスターのことですから、まだレシピをお持ちだと思いますよ」


大人しいと思えば、江戸川少年は手元の携帯で朝のニュース番組を見ていた。あ、これ、花さんが検挙したやつだね!またやってる!と嬉々として画面を見せてくれるので、私は苦笑しながらコーヒーを啜る。最初に言ったけど、今は一応休暇なの。と、そういえば、とずっと気になっていたことがあるんだった。


「ねぇ、蘭ちゃん。ずっと不思議だったんだけど、江戸川くんって、蘭ちゃんとよく一緒に遊んでた新一くんのご親戚?」

「え、!?」

「あ、そうなんですよ。新一の母方の、遠い親戚に当たるみたいで」


そうなんだ、と江戸川少年を見たらへへへ、と笑っている。少し違和感を感じるけれど、当人たちがそれで良いなら良いのだろう。


「へぇ、バスジャックのときに会った時も思ったんだけど、江戸川くんがあまりにもあの頃の新一くんにそっくりで吃驚したの。私がここで働いてる頃にタイムスリップしたみたい」

「言われてみれば、そうですね。よく花さんには父が依頼人と面会中にここで宿題を見てもらってましたよね。時々、新一も一緒になってクイズとかして」

「懐かしい話。いっつも新一くんが先に解いちゃって、蘭ちゃん泣きそうになってたね」

「もう!それは思い出さなくても良いです!」

「ふふふ。あ、そういえば毛利さんにも、と思って持ってきたのだけど。よかったら渡してくれる?」

紙袋から取り出したのは最近メディア露出が増えて有名になったとある老舗の箱。
安室さんが感心したように呟いた。

「へぇ、ウィスキーですか」

「ええ、空港で購入したので良いものかはわかりませんが、毛利さんがお好きだったのを思い出しまして」

蘭ちゃんにはこっち、と小袋を取り出すと、目が輝いた。

「夢畑ファームの生キャラメル!」

「女の子に人気って書いてあったから」


ありがとうございます、と笑顔の蘭ちゃんにつられて笑顔になる。平和だなぁ、なんてこの米花で心休まる時が来るなんて。

蘭ちゃんは毛利さんや幼馴染の新一くんたち探偵の影響で幾度となく事件にも遭遇してるだろうに、性根を腐らせることなく平穏の住人の代表のような雰囲気を纏っている。
良いなぁ、なんて思った後でその感情を少し後悔する。かつては自分も平穏の住人であったことを思い出してしまった。


「山野さんはお酒飲まれるんですか」

「嗜む程度、ですかね。ウィスキーなら、アメリカンが」


好きです、と答えた声は速報が入りました、というテレビのアナウンサーの慌てた声に掻き消された。

江戸川少年の手元を覗き込むと、米花市役所で立てこもりが発生しているらしい。


「朝っぱらから立てこもり、ですか」


私は小さく息を吐くと、残りのコーヒーを一気に飲む。予定していた時間より幾分早いが、まぁいい。上着を羽織って立ち上がる。


「行かれるんですか」

「うちの管轄では無いと思いますが、どうせ昨日までの件を報告に午後から出勤する予定だったので」


『容疑者の情報が出てきました!容疑者の名前は───、容疑者の名前は───』


「江戸川くん、画面を見せてもらってもいい?」


犯人は元市役所職員の男らしい。柔和な笑顔を浮かべた彼の顔写真は、とても職員を10人以上も死傷し、籠城するような人物には見えない。けれど、彼は『そう』なのだ。私はいつも使ってる手帳を開いて彼の名前をメモする。

それをバックに放り込んで、財布から諭吉先生を抜き取るとカウンターに置いた。


「お釣りは要りませんので、お2人にデザートでも」
「え、良いですよ花さん」
「久しぶりに会ったので、これくらい格好付けさせてください」


それからこれはマスターとお店の方でどうぞ、と紙袋を安室さんに預けると、私は片手を振ってポアロを出て行く。来た時と同じように、耳障りの良い扉のベルがカランカランと鳴った。



喫茶店の前の通りは、あのニュースが嘘のように静か。

時計を見る。





はい、ちょうど40秒。




後ろの扉が開く前に立ち去ろうと、タクシーを止める。
乗り込む前に、上を向くと、目一杯に空気を吸い込んだ。朝の匂いが気持ちいい。









20180429

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