黄昏と屋上
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 コツ、コツ、コツ、


妙に靴音が響く階段。別に意識をして聴いているわけでも無いのだけれど、真っ白で無音で延々と続くような感覚に陥るこの階段は、天国に通じてるんじゃないかと惑わせるくらいに、なにやら異質な空気を纏っている。先に、陽の光が入ってきているのがわかる。出口だ。俺は無意識にか、顔をしかめた。今まで、と言ってもほんの2、3分だけど暗闇に慣れきっていた俺の虹彩は急に入ってきた光にびっくりしてるらしい。

俺は変わらぬ動きで、残りの何段かをゆっくりと登っていく。ドアの向かいのスペースにたくさんの段ボールやら使わなくなった車イスなんかがあって、人間らしさに安心すると同時に俺は何を期待していたのか、少しがっかりしていた。


 コツ、カチャ、

ドアを開ける。そこは冷たさを感じさせる人工的なねずみ色の地面と、どこか存在の薄い簡易ベンチ。ちょっと緑まじりの乳白色とでも言っておこう。あとはシーツを干すための物干し竿。それくらいかな。ああ、もう一つあった。自殺防止の緑のネット。どこかテニスコートの廻りにあるあのネットを彷彿させて、嫌気がさす。歯痒い、疎ましい。自殺防止用の網なのに、それを見て腹立たしいってのもなんだか皮肉だよね。ちょっと笑えるかも。



俺はそのままいつものベンチへと向かう。傾きかけた太陽の光でオレンジに染まっている。意識しないと気付きもしなかったこの存在感の無いベンチは、今や一番の憩いの場になってたりする。ふうっ、と風が通り抜けていく。思わず体を振るわせる。そういえば看護師さんが今日は風があるから、って言ってた気もするな。カーディガンを羽織って来たけど、もう一枚なにか来てくれば良かった。て言うか、この緑の寝間着は異様に寒い。良いように言えば、風通しが良い。今の状況じゃただ寒いだけだけど。だいたい俺の趣味じゃ無いんだけどな、この寝間着。ナマエのように普通のジャージが良い。今度母さんに頼んでみようか。



ベンチに腰を下ろす。空を見上げながら思うのは、さっきまであっていた仲間のこと。

二週間前の校内戦。正直ナマエが、赤也に赤目を出させるまでになっていたとは思わなかった。あそこであいつらを当てたのは完璧な俺の采配ミスだ。赤也も随分と赤目を抑制出来るようになっていたと思うし、ナマエはナマエで努力に努力を重ね実力を伸ばしていた。良い勝負になると思った。互いが競い、良い結果を生むと。


ここで一つ、首をふる。
否、正直に言おう。俺は赤也が勝つと確信していた。だからこそ、ナマエを当てた。もし、ナマエがダブルス専門のブン太やジャッカルと当たっていたならば、勝っていたかもしれない。今ごろ、真田や柳や赤也なんかと立海のコートで大会に向けて打ち込んでたのかもしれない。ナマエと赤也を当てたのは俺なりの、ちょっとキツい警告だった。



ナマエは全国から選りすぐりの天武の才が集まる立海において、異色な存在だった。彼はテニスの才など持ち合わせていなかったのだ。そもそもスポーツと言うのは、身体を動かし楽しみ競い合うものだ。しかしスポーツの頂点を巡る戦いにおいては、生まれ持ったセンスをどこまで磨けるかという問題になってくる。つまり、頂点に立つには絶対的な力が無ければいけない。そう、生まれ持った力が問題になってくるのだ。例えば、俺。自分で言うのもなんだけど、通り名は『神の子』。なんか自分もちょっと笑っちゃう。そんなふうに言われてるけど、別に実力は天からのものだけじゃない。努力をしていない訳じゃない。ただ、ナマエを見てると、なんと言うか、切なくなる。


奴が毎日遅くまで残って汗にまみれ一生懸命になって、やっとの思いで手に入れるものを、俺はまるで呼吸でもするかのようにやってのけれる。俺だけじゃ無い。『皇帝』の真田、『達人』の柳、『詐欺師』の仁王だって。そういえば前にそんな話を柳にしたことがあった。ナマエは余りにも可哀想だ、と。そしたら柳は言ったんだ。そんなこと言ってたらミョウジに殴られるぞ、ってね。そうミョウジナマエはそんな奴だった。二人して部室で笑ってたら、そこにちょうどナマエが入ってきて、それでまた俺たちは笑って。


奴はわかってる。自分が才を持たないことを。それは酷だけど、変えようのない真実で。でも奴は、才能に勝る努力をする。だから俺たちは才能に溺れた天狗にならなくてすんだ。だって近くに自分達のレギュラーの座を脅かす存在がいるのだから。救われてたのは俺たちだけじゃない。レギュラーを諦め、生意気な後輩をサポートするしかない3年の先輩や、来年の立海を共に担うであろう2年、入ってきたばかりの1年だってみんなナマエを尊敬していた。もちろん、俺も。


 でも、



「憐れ、としか言えないなぁ。」


おっと、口に出てしまったようだ。一人で良かった。時々おしゃべりなナースがシーツを干してるから。聞かれたら、見舞いに来てるテニス部の奴等にも話されかねないしね。



奴は、ナマエは、翼も持たないのに太陽に近づきすぎた。ギリシャの英雄の話があるだろう。蝋で固めた鳥の羽を両手に広げ飛びたった。けれども上へ上へと飛びすぎたせいで、太陽の熱で蝋が溶け、憐れにも海に落ちてしまったという、英雄の話。


奴は、これ以上の上を目指せば身を滅ぼすことになる。怠ることを知らない彼奴のことだから、きっと手に入れるまで、身体を壊すまで、ボールを打ち続けるのだろう。届かないと、知っていながら太陽に手を伸ばすのだろう。


俺は立海の部長として、テニスプレイヤーとして、またミョウジナマエの友人の一人として。ナマエを失いたくはなかった。翼を持っている俺が、翼を渇望する彼奴に手を差し伸べるなんて皮肉でしかないな。思わず苦笑する。


あの試合、赤也が赤目になることは予想外だった。そんな切羽詰まった試合展開にはならないと、思ってた。でも彼奴は俺が思う以上の努力を重ねたのだろう、また胸が傷んだ。




「本当、神様って残酷。」

嘲笑とともに空に呟いた。ねぇ、神様?あなたは残酷なお方ですね。最も必要している者に与えないなんて。ねぇ神様?俺が神の子ならあなたは俺の親なんでしょう?俺の願いを聴いてください。彼奴に力を与えてやって、なんてね。彼奴が聞いたら殴るから言わないけど。神様、あなたは残酷だ。


『俺がいなくなっても立海は何も変わらねえよ。』


ナマエはそう言ったけれど、きっと全てが壊れてしまう。大袈裟だ、とナマエは笑うだろうが、これは真面目な話だ。だからいつまでも、俺に縛り付けて、いつまでも俺の背中を追わせてやる。そう、彼奴をなくしたりなんかしない。



いつの間にか沈みかけてる太陽と、あの緑のネットが重なって。ネットが太陽を捕まえたように見えた。


俺が太陽を捕まえたら、真っ先にナマエのところに行こう。まず見せびらかして自慢して、それで彼奴にあげよう。だってそれはナマエが一番欲しいものだから。でも、ナマエはきっと怒るんだろうな。自分で取りに行くって言って聞かないんだろうな。


 ふふふっ


知らず知らずのうちに笑いが溢れる。嘲笑にも似たそれはオレンジに染まる屋上に響いた。さて、戻るとするかな。そろそろ看護師さんが探しに来るだろう。あの人、普段は平然としてるくせに、心配性だから。ナース失格だよね、って苦笑してたっけ。一度、ナマエに会わせて見ようか。随分と物の見方がかわるだろうから。



俺はあの夕日を一瞥すると、ドアを開け下界に下っていった。




地に舞い降りた神の子と、
太陽に近づきすぎた英雄。


バタンと音を立ててドアを閉める。階段までも茜に染まり、このままじゃ俺までオレンジになってしまうんじゃないかと思った。



ねぇ、ナマエ?
お願いだから、もう×××××で。







100124 MANY THANX!!
100812 改定

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