G.B.M
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あなたのこと、好きでした。泣きじゃくる先輩の背中にそう声を掛けた。あなたの未来が、どうか幸せで溢れていますように。柄じゃないけれど、そんなことを心の中で思うくらい、許してくれるだろうか。
テスト期間が終わって、久々に部室に行くと、中から人の気配がする。扉の前で立ち止まれば、騒がしい、けど楽しげな声が部室いっぱいに溢れてるのがわかる。懐かしいと感じてしまう感情を押し殺して、神妙な顔を作る。そうでもしないと、顔が緩んでしまいそうだったからだ。それは下克上を信条とする俺にとって非常に不本意なことである。
「あ、日吉、遅いよ」
扉を開けた俺を出迎えたのは雑巾を手にした鳳。でかい図体に似合わない、可愛らしいエプロンを付けられていて。そのまま扉を閉めてやろうかと思ったが、部室の角に小さな影を見つけて、扉に伸ばした手を引いた。
「テストお疲れさん、」
どないやったか。相変わらずの低音で聞いてくるのは忍足先輩。いつ切ったのか、高校になって伸ばしていた彼の長髪は、中学の時のように中途半端な長さになっていて気持ち悪い。そんなことを言えば、彼は賭けに負けてもうてな、と言って肩を竦める。その言葉を聞いたのか、奥のソファで一人ふんぞり帰っていた跡部さんがふん、と鼻を鳴らした。
「ずいぶん綺麗に部室を使ってるようじゃねぇか」
「ええ、まぁ。今の部員には教育を徹底してますから」
鳳が、日吉は厳しすぎるよ、と棚の上を雑巾で拭きながら抗議する。年末に鳳のロッカーに溢れるほどに貯まっていた楽譜を、勝手に処分したのをまだ根に持ってるらしい。年末だからと、点検がてらロッカーを開けていったら、雪崩のごとき楽譜の山に飲み込まれた俺の気持ちも考えてほしい。管弦楽部やら榊監督やらから譲ってもらった楽譜を、持って帰らずにロッカーにストックしていっていた鳳のほうが明らかに悪いだろう。確かに貴重なものもあったんだろうが、部室に関係ないものを持ち込んでいたほうが悪い。
「そんな風に言うと俺たちが部室を綺麗にしてなかったみたいじゃないか」
苦笑するのは、滝先輩。久しぶりに顔を会わせるが彼もまた、柔和な雰囲気とか落ち着きだとか世話焼きなところだとか、全然変わってない。変わってないことに少なからず、嬉しい気持ちが込み上げる。それは悔しいから、先輩たちには絶対に言ってやらないけれど。鳳だったらきっと、先輩たちの来訪と相変わらずな性格を、素直に嬉しがるんだろうな。なんて思って、心の中で舌打ちする。
「ナマエ、そんなところで寝てたら風邪引いちゃうから。跡部がソファ譲ってくれるって」
「ああ?」
「いいじゃん、そろそろ跡部も働いて」
そう言ってナマエ先輩を起こし、雑巾を跡部さんに手渡す滝先輩は相当手慣れてる。こんな人たちとずっと一緒にいると、嫌でもこうなってしまうのだろうか。ソファで丸くなるナマエ先輩の頬を、忍足先輩が長い人差し指でつつく。
「昨日ナマエから連絡があってなぁ、“最後に部室行こう”って」
優しい目になった忍足先輩は、ナマエ先輩の細い髪の毛を指に絡ませるようにして弄んだ。身動ぎ一つしないナマエ先輩は熟睡というより、爆睡していて、無防備に晒される寝顔に苛立つ。
こんなたくさん男がいるなかで、簡単に隙を見せるなよ。あんたはそんな、安い女じゃないだろう。俺以外に隙を見せないでほしいなんて、自己中で我が儘なことは言わないから、せめて誰にもあんたの魅力に気づかせないでくださいよ。そんな思いを苦々しく思いながら、胸中に留める。
「高総体終わった後も、全国終わった後も、ここの掃除なん数えきれんくらいしたんになぁ」
「本当だよね、後輩たちが綺麗に使ってるおかげで掃除のしがいもないし、」
滝先輩は肩を竦めて、結局はここに来たかっただけなんだよな、と笑った。そういえば、彼らの卒業式まであと二週間を切っている。今回はもう大学が決まった面子で集まったらしい。当然のように推薦で氷帝学園大学に合格を決めた3人。けど、ナマエ先輩だけは、AOで受かった関西の大学に行くらしい。それを知ったときの俺ときたら、おそらく中学で全国を逃した時以来の、鈍く重い衝撃を受けた。
「受かった」
「…聞きましたよ」
おめでとうございます。俺の出せる精一杯の冷たい声で。震える喉を、苦しくなる左胸を、絶対に悟られてはならない。
「これで、諦めさせる理由を作れたってわけですね、」
「な、ちっ、違うよ!!」
ずいぶん前に、好きだと告白してから、振り回されるばかりだった。いっこうに答えを出してくれない先輩。黙って待てるほど俺は大人じゃなかった。大学一年と高校三年の差は、意外と大きい。あなたとの距離が開く前に、あなたは俺のものだと知らしめたかったのに。俺以外の男なんて、見えなくなるくらいあなたを愛したかったのに。
離れる理由を作られたんじゃ、素直に愛せるものも愛せないじゃないか。
「もう、いいです」
呟いて、先輩の横を速足ですれ違う。彼女がこんなにも迷うくらいの恋愛なら、もういいじゃないか。そう自分に言い聞かせた。あなたが、好きでした。後ろで先輩がなにか言う声が聞こえたけど、それすらもう、聞きたくもない。
いっこうに起きる気配の無いナマエ先輩を見つめていると、忍足先輩が苦笑気味に話し出す。
「昨日遅くまで、これ作っとったみたいやねん」
紙袋から出したのは、丁寧にキルティングされた、今の三年の写真が入ったフォトフレーム。マネージャーだった頃から、揃いのお守りを作ってくれたり、繕ってくれたり器用な先輩だったけど、いままで見た先輩が作ったものなかじゃ一番、綺麗で手が込んでる。
「部室に飾っとくんだって」
捨てないでやってね、微笑む滝先輩。自分達のここにいた軌跡を、証拠をナマエ先輩は残したかったんだろう。
「…用を思い出したので、帰ります」
手に持っていた雑巾を鳳に押し付け、荷物を背負う。戸惑う鳳に背を向け、部室のドアを開けた。
「逃げるのか」
跡部さんが呟いたのが耳に入ったけど、聞こえなかったふりをした。
先輩、先輩はずるい人ですね。12月に比べてもうずいぶんと明るくなった空のしたを、苦々しく思いながら歩く。
部室や、俺の心には、あなたの確かな存在を残していくくせに、あなたの心には、俺の存在なんて残しちゃくれないんだから。苦しくなった左胸。こんなにもあなたが好きなのに。
「ひよしっ!!」
聞こえたのは、俺が誰よりも欲していた声。
「…先輩?」
ナマエ先輩は俺の前まで駆けてきた。体力無いくせに、なんでそんなに一生懸命走るんですか。勘違いしてしまうじゃないですか。
「日吉…」
「…何ですか」
斜め下を向いた俺の頬を、先輩が両手で挟んだ。中学からの冷え性は相変わらずらしく、さっきまで部室で寝ていただろうに、指先がひどく冷たい。離してください、そう言おうとして、先輩が小さくなにか呟いた。聞き取れなかったので、聞き返すと、先輩は真っ赤になった頬と、潤んだ目で俺を見た。
「好き、だってばっ」
さっきまでの胸の痛みはどこへやら。心臓が跳ねる。
「遠距離は不安だけど、離れても、日吉を好きでいれる自信もある!!けどっ、けど日吉が、私のこと好きでいてくれるか不安でっ…」
俺の頬を挟んでいた手は、萎れたようにしていつのまにか俺の襟にある。俺は、目の前にある小さな身体を抱き締めた。まだ学校の敷地内で、人もいるだろうけど知るもんか。先輩がここまで言ってくれたんだ、その気持ちに答えるだけの甲斐性は、俺だって持ってる。
「…俺がいつから、先輩のこと好きだったか、…わかります?」
「…知らないよ」
「…中一からです、先輩は全然気づいてなかったけど」
俺は、抱き締めていた力を弱める。先輩は顔を上げて、俺を見つめた。頬が赤くなってるのは、寒さのせいだけじゃないだろう。
「距離に負けるような、そんな生半可な思いであなたを好きになったんじゃありません」
それを聞くと、先輩は弾けたように泣き出してしまった。狼狽える俺の耳に聞こえたのは、
「あーあ、泣かした」
「けど、あないなん聞かされたら普通に泣いてまうやろ、さすが日吉や、ぐずっ、」
「忍足先輩っ、俺に鼻水つけないでくださいっ」
「ふんっ、俺様ならもっと上手く落とせるぜ」
「あ、気づかれた」
「聞かれちゃったね」
笑う先輩の目は赤い。全くです、そう返すと、 先輩はさらに笑って続けた。
「けど、跡部には感謝しないとなぁ」
「なんでですか?」
「跡部がね、今起きないと一生後悔するぞ、って叩き起こしてくれたの」
仮にも女の先輩を叩き起こすって…、跡部さん。けど、跡部さんが叩き起こさなかったら、こうして俺と先輩は一緒に帰ってないわけで。
ちょっとくらい、感謝してやってもいいかな
「え、日吉なに笑ってんの」
顔に出ていたらしい。先輩が顔を覗き込んでくる。そうすると、必然的に上目遣いになるわけで。
「教えてあげません」
今日で何度俺のことをドキドキさせたら気が済むんだろう、この人は。こんなことを言うのは、似合わないから言わないけど、やっぱりこの人が好きだと思ってしまう。
隣で拗ねてるのがかわいくて、しばらく教えてあげなくても良いか、なんて思う俺は相当重症。
先輩の空いてる手を取って、ポケットに突っ込む。カイロ代わりです、なんて言ったけどカイロどころか保冷剤みたく冷たい先輩の手。
少しでも温かくなればいい、そう思いながら、先輩の隣を嬉しく思う俺がいた。
good-byeーmoment
20120220 */秤
<反省>
・日吉が迷子
・話も迷子
・秤も迷子
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日吉とマネージャーの先輩の恋物語…に見えたらいいなぁ。藍葉さんに捧げます。お気に召さなかったら、何回でも書きますので、またリクエストしてくだされ。
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