空白に恋した愚かな男、そんな話
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それはひどく人間味の無い人間だった。銀糸から覗く目の色は月のようで、壊したくなる衝動に駆られた。張りつめているものを壊したくなる、穢れないものを汚したくなる、それだけが昔から私にあるもので、それだけが私だった。それを感情と呼べたなら私はどれだけ幸福だっただろう。周りから見たらただのエラー、失敗作でしかないというのに。

気がつけばあの月が目の前にあった。月は冷たい手で私の喉を締めた。ひどく強く悲しい力だったのを覚えている。狂人か、としげしげと見つめたその瞳には狂気なんて孕んでおらず、そこにあるのは哀に溺れた理性であった。彼の心は低音を奏でた。

「目が覚めたのですね」

彼は脅し半ばで自分を私の家に住まわせた。朝インスタントコーヒーを出してやれば、すまん、と言って口づけた。私にはそれが美味いのか不味いのか判別がつかないが、彼があまりにも美味そうに飲むので、初めてその味を確かめてみたくなった。

「お前さん、この屋敷に1人か?主人はどうしたんじゃ?」
「主人を含め、ここに住んでいた一族は流行り病で亡くなりました」

ほうか、それでこの街は。男は小さな声でぶつぶつと呟いている。現状の確認をしているのだろう。なんせこの街は何十年も前に全廃したはずなのだから。西部訛りのある男は、食料の調達や水の出所を聞いてきた。どうやらこの屋敷に居座るつもりらしい。私は構わない。なんせ主人はもういない。仕えるだけの使用人なのだから。


「夕食をお持ちしました」

雅治、と名乗った男は厚かましく、旦那様が使っていた部屋をねぐらにしている。ほこりが1つも落ちていないことに、男は感動したようだ。当たり前だ、この私がいるのだから。そう言えば男はそれもそうじゃな、と笑った。その瞳が、和音を奏でた。

「おんしはまっこと、綺麗じゃのう」

半年がたったある日、雅治様は言った。彼は1日の大半を屋敷の外で過ごし、夜になると両手に野菜やら肉やらを抱えて帰ってくる。それを私に調理させ、部屋でそれを食べる。半年でわかったことは、彼は肉を好むこと、そのくせ食が細いこと、猫舌なこと、くらいだろうか。

「わしが生まれ育った家はのぉ、」

彼は唐突にいつも話始める。それは昔話であったり、友人の話であったり、哲学の話であったりする。

わしはこのとおり異端じゃ。銀の髪に金の目なんて、どう考えても普通に生まれやしない。最初は神の使いとも騒がれたようじゃが、その年が不作でな。すぐに忌み子といって嫌われたよ。耐えきれなくなった母はわしを売った。もの珍しかったのだろう、すぐに買い手がついた。わしはある金持ちの家の奴隷になった。奴隷という身分だったが、主人達はわしに優しかった。そこの親父は変わり者だったが軍の少将でな、お偉いさんだったわけじゃ。奥様も綺麗で料理上手な人で、特にポトフが美味かった。主人達には子供がいなくてな、親戚が養子を、と言って何人も連れてくるのを断って、親父はわしを選んだ。今日から息子だと言って、名まで与えてくれた。そう、雅治じゃ。雅に治めると書いて雅治。嬉しかったき。今思えばあのときが一番幸せだったのかも知れん。それから士官学校に入れてもらった。容姿に対する目は幼いときと変わらんかったが、そのぶん死に物狂いで勉強した。大した苛めがなかったのは、親父の後ろ楯があったからだと思う。上に賄賂を送ってのしあがる下衆ばかりだったけど、わしは賄賂を出してくれなんて親父に言えるはずがなかったから、わしは身体を売った。見映えが良いってわかっとったけぇの。毎晩のように男の上で腰を振った。それだけ必死だったんじゃ、利用できるもんは全部利用しての。そのうち、士官学校を首席で卒業して軍に入った。軍の中でも目は変わらんかったが、身体目当てに言い寄ってくる男が増えた。大佐を相手にしたこともあった。士官学校時代の人脈もあって、わしは次々昇進した。そのうち大総統付きの秘書までになったが、そのとき親父が殺された。親父が進めていた北部開拓の反対勢力だったらしい。これ幸いとばかりに、わしの昇進を妬む、いや恐れていたのかもしれん、古株の上司がわしを僻地へ飛ばしおった。そっからは地獄じゃ、それまで案外上手く切り抜けてきたからかも知れんが、わしには拷問のような毎日だった。何年かしてわしは軍を抜け出した。耐えれんかった。辺境を旅して廻るうちに、敵国にスパイとして雇われた。親父も奥様ももういないこの国に対する愛はなかった。わしは名を変え容姿を偽り、再び軍に入った。だが、妙にわしを詮索してくる奴がおっての、紳士と名高い中尉じゃった。士官学校で一度だけ関係も持ったことがある、何重にも仮面を付けた食えないやつじゃった。ある日、中尉はわしを雅治だと見抜いた。しかも、現在敵のスパイで潜入しているともな。中尉はわしを逃がしたが、ある条件をつけた。敵国の情報を流すこと。つまり二重スパイすることを条件にわしを軍から遠ざけた。わしは名ばかりの諜報部に配属され、敵国ともやりとりをしながら、中尉とも駆け引きをした。諜報部の狭いベッドで抱かれながら尋問されたこともあった。そしてわしは敵国に嘘の情報を流し、敵国は今潰滅状態じゃ。血眼になってわしをさがしとるだろうよ。書類上じゃ、死んだことになっちょるがの。中尉とは連絡が途絶えたが、そのうち会う気がする。

なぁ、わかるか。わしはとっても穢れとるんじゃ。

「それに比べてお前さんは綺麗じゃ」

抱き締めてもええか、と言われた。彼の月色の瞳はいまにも壊れてしまいそうで、私は瞳に触れたい衝動に駆られるかと思ったら不思議と私は彼を抱き締めていた。彼は私の腹部に顔を埋めた。彼はそれから私を抱き締めて寝るようになった。どこからか漂う甘い香りは、媚薬を彷彿とさせる。

彼がこの屋敷に住み着いて一年がたつ。相変わらず昼間は退廃した街を歩き回っているらしい。私は屋敷の掃除から始まり、雅治を起こし、食事を与え、再び昼間は屋敷の掃除をし、雅治の衣類を洗ったり、部屋の布団を干したり、というのを毎日繰り返している。
ある日雅治の部屋を掃除していると、小さな通信機を発見した。

「今夜は豪華じゃの」
「ええ、」

彼がソテーを見て目を輝かせたので、嬉しくなる。スープも力をいれたので食べてほしい、そう言うと、彼は目を細めて「ずいぶん変わったもんじゃの」と愉快げに言った。

「これは…」
「通信機ですよね、直しておきました」
「は?」
「…いけませんでしたか」

不安になって聞けば、雅治はそんなことはなか、嬉しかよ、と笑ってくれたから、私も嬉しくなった。

その夜、雅治の部屋から話し声が聞こえた。

「ずいぶん……じゃのう、…ああ、敵国には……」

通信機はちゃんと直ったようだ。彼の役に立てただろうかと、嬉しくなる。

「ああ、…戻るぜよ」

雅治は今、戻ると言わなかったか。どこに戻るのだ、敵国にも軍にも、家にも、もう戻れないはずだ。

「わかった…中尉」

私は絶望した。彼は中尉のもとへ戻るのだ。彼を利用し、苦しめた男のもとへ帰るのだ。しかし私は一使用人。彼のことを止められるはずもない。

「…聴いとったんか」

いつのまにかドアが開いていて、彼は私を凝視していた。

「お前さん、」
「戻ってしまわれるのですね」
「っ!!…入り」

手招きする彼についていけば、彼は私を抱き締めた。
「わしは、ちぃとばかし幸せ過ぎたようじゃ。毎日上手い飯が食えて、身の心配しなくていい寝床があって、お前さんがいて、」

幸せじゃった。

「本当はもっと早く戻らないといかんかった、通信機の故障を言い訳にして、この幸せに浸ってた」

「わ、私が直してしまったから…」

「お前さんのせいじゃなか、わしが甘えとったんじゃ」

雅治は強く私を抱き締めた。

「お前さんの首を締めた日から、お前さんに惹かれとった、人でもないお前さんに」

私の頬を彼の涙が伝った。月色の瞳から零れる涙は月色ではなく、透明だった。私は涙は出ない、人ではないから。身体中が悲鳴をあげるように軋んでいるけど、もう何十年も前からだ。
彼は私の冷たい唇にキスを落とすと、いつものように抱いて眠った。


翌朝、彼がベッドを抜け出すのがわかった。彼はペンを取り、何かを書いていた。書き終わると、彼は私にその紙を握らせて、頬を撫でた。

「愛しとった、」

彼は少ない荷物を持って、屋敷を出ていった。私は彼が出ていってすぐ起き上がり、手紙を見る。彼は私が起きていることを知っていたのに。だって私は人ではないから。彼の手紙には、今までありがとう、いつかまたここにくる、という内容が書かれていた。多分彼も知っていただろうけれど、私の寿命は残り少ない。電力なんて退廃したこの街に通ってるはずもなく、今まで動けていたことは奇跡に近い。それでも彼は迎えに来るというのか、人ではない私を。私は、愛してる、と呟いてみた。ああ、この感情は愛なのか。私にも人のように感情と呼べるものが出来たのか。人のように涙は出てこなかったけれど、もし人であるなら号泣というものをしていたかもしれない。雅治、雅治、愛してる。1つだけ彼を待つ方法がある。それは使用人の仕事を放棄することになるけれど。もう主人はいないもの。私は彼が戻るその日まで休止する。もう一度だけ、あの月色を拝みたいがために。


空白に恋した愚かな男、そんな話




20110821 */秤

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