朝露と浄化
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誰もいないテニスコート。名前も知らない鳥の囀ずりと、全てを照らす朝日が俺を包んでいる。結局此処に来てしまった。

苦々しい感情がドライアイスのように湧き出ては、心の奥底に溜まる。その感情はそこから動いてはくれず、とぐろを巻いた蛇のようにして触れるものを威嚇する。

しかしその一方で、朝露でキラキラと光るテニスコートを、一目見ただけで高揚したのもまた事実だ。どこまでも相反する感情、板挟みにも似たそれはあの日から、否ずっと前から俺を苛まさせる。



「ナマエ?」


やっべ。変なところを見られちまった。誰だよ、こんな朝っぱらからコートに来てるのは、


「…お前か。」


ノートを小脇に抱え、さも当然とでも言うように俺の目の前までやって来る。サラサラとした髪が朝日に照らされて所謂、天使の輪ってやつを綺麗に作り出している。女子が見たらさぞ羨ましがるだろう。


「久しぶりだな」
「そうだな、」

見上げねば為らぬ身長差が辛い、ならば最初から見なければいい。俺は真正面にコートを見据えたまま、奴に応答する。身体がテニスをさせろと叫んでいるのが聞こえてる気がした。ずいぶんと飢えているらしい、だが俺はそれを無視した。無意識に拳を握り込んでいる。


「今日から復帰か?」
「学校はな。部活は当分無理だ。」

嘘じゃない。あと一週間は部活には参加できない。しかし一週間後本当に部活に参加してるかは定かではない。正直、入院中俺はもうここには来ないだろうと思っていた。でも案外俺は図太いらしい。無様な姿を曝したのに、学校に来たとたん、この場所に足が向かってしまうなんて。


「テニス馬鹿」
「なっ」
「お前のことだ。違うか?」

違わねぇ、違わねぇけど。

「お前に言われるとムカつくわ」

俺は馬鹿みたいに必死でテニスやってんのに、結局お前らのいる「そこ」には届かねぇ。涼しい顔して「そこ」に君臨するやつらの顔をぶん殴りたいと思ったのは、一度や二度じゃない。汗にまみれて、怪我だらけになって球追い掛ける俺なんかより早く、涼しげな横顔でやつらは球を掠めとる。呆けてる俺に「これくらいもできないのか」って目と嫌な笑みを残して、やつらは背中で俺に立ち去れと告げる。ここはお前の場所じゃない、背中から嘲笑とともに耳に入ってくる。


「随分卑屈になっているようだな」
「あ?」
「一年前から変わってない」

お前はすぐ卑屈になって、まっすぐに物事を見ようともしない。そう告げた柳にちょっとムカついて、柳を仰ぎ見れば口端を僅かにあげていた。


「卑屈にならねぇとやっていけねぇよ。これで素直にレギュラー狙ってってんなら、そいつはただの馬鹿だ」

激昂している感情を内心に留め、冷静を装いつつ、眉に皺をよせながらそう言うと、柳はもっともだな、と言った。真田のように、己の鍛練が足らぬからだ、とは言わない。

わかってるからだ、努力すればいつかは「そこ」に届くと信じ、俺がここまでやってきたということを。そして、結局「そこ」には届かなかったことも、届くはずがないことも。



「病院は退屈だっただろう?」

「…そうでもなかったな。担当の看護師がなかなか色っぽい美人でな。」


柳とこの手の話をするのは初めてだ、と言ってから気づく。ご盛んな中学生だ。興味がないはずないだろうが、エロいことを考えてる柳の顔がどうも想像できない。少しテニスができるからと言って、「そこ」にいるやつらだって俺と同じ中学生。こんな話をするときだけ、俺は彼らを近しく感じる。

柳の言うように、俺は卑屈になってるのだ。自分と寸分と変わらぬただの中学生であるのに、勝手に手の届かぬ存在と決めつけ、己の限界を定めたのだ。結局、俺は弱いのだ。


「なぁ柳、俺ってかなり自己中?」
「かもしれないな。立海の為を思うなら、辞めようとは考えないだろう。」


俺がいつか辞めるということを、柳は予感していたのだろう。柳との問答はムカつくけど、間違ったことを言わないから反論のしようもない。柳は小さくため息をついて言う。



「お前がいることで、今のレギュラーも必死になってその座を奪いに行ったんだ」


そもそも、全国で上位に食い込む学校というのは、部全体の雰囲気が良いものだ。昨年は幸村や真田が良い具合に上級生を刺激したからな。先輩たちも半分躍起になってレギュラーを奪いに行った。その結果、前年までベスト8だった部が優勝できたんだ。


「それがどういうことかわかるか、ナマエ?」


柳は普段閉じてる(ように見える)眼を見開いていった。しかしそこにあるのは、憎悪や憤怒でなく、親しみを含んだ友情だった。


「お前は、」


お前は立海に必要だということだよ。


朝練に来たらしい真田が柳に声を掛ける。気を使ったようで、俺には軽く挨拶しただけだった。柳は真田と今日の練習メニュー表を見ながら俺に背を向ける。


「柳、」


俺はその背に声をかける。



「まだここにいていいか」

立海大附属テニス部という

青春の場であり
戦いの場であり

俺の居場所に


顔は見えないが、柳が笑った気がした。


もちろん。


しばらくそこから動けなかった。


まだ、俺は手を伸ばす。
届かないと知りながらも、伸ばすことに意義があるということも同時に知っているから。




朝練に遅刻してやってきたらしい赤也が俺のもとにやって来るまであと15分。頬をつたったのは、汗だということにしておいてくれ。



また、駆けるよ。
あの星が照らしてくれるなら。





20110612
本編は一旦完結

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