朧月と帰路
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練習の終わった部室で、俺はある友人に思いを馳せている。

全ての努力が報われるなら、この国はプロで溢れかえるだろう。プロのテニス選手だって、ごまんといるだろう。そうならないのは、努力だけが全てではないことを意味している。同時にそれは、凡人が必死に努力して高みに昇ろうとすることを、嘲笑っている。



「絶対負けねぇ、」


止めどなく流れる汗を美しいと思ったのは後にも先にも、あの時だけだった。俺は、自分を天才的だと格好つけて言ってるけど、それを決して自惚れだとは思ってない。

傲っている、そう言われたことがある。俺たちに負けたやつや、俺たちをよく知らない人間からは、皮肉ともとれる言葉を漏らされることが多い。しかし、お前らが俺たちの何を知っていると言うのだ。君臨する王者と呼ばれ、相応の努力を重ね、大きな代償を払いここまで来た。強くて、何が悪い。

結局世の中の大半の人は皆、スマートに物事をこなす要領のいい天才肌に成りたいと思いながらも、愚直なほど不器用で泥臭い努力家を好むのだ。そして俺の目の前にいたあいつは確実に後者なのだ、いまはそう思う。



「まだやんのかよぃ」


俺はドアの隣の壁に寄りかかる。トレーニングルームの鍵を人差し指で回しながらマシン、通称・自転車漕ぎに跨がって一心不乱に漕ぎ続ける深山を見た。背中は広く、汗は滝のように流れている。トレーニングルームに入った瞬間、空気の相違を感じた。張り詰められた弦のような、緊張感。そこにあるのは一人の男の熱だった。執念というほど禍々しくはなく、熱気という言葉はどこか軽々しくてそれに似合わない。言い知れない「熱」がたった一人の男から放たれているのだ。


「あと、ちょいっ、」

スパートをかける。無駄の無いしなやかな筋肉を使って、変わらぬ景色の中を漕いでいく。俺はどうしてここまでこいつが必死なのか、わからないわけではなかった。しかし、俺が深山の立場だったとして。確実に深山ほどの必死さには、到達しないとも思った。



「おいっ。丸井、どうかしたのか?」


ジャッカルが俺を呼んで、沈んでいた意識が現実に戻される。視線が集まっているのに気づく。真田に柳生に仁王に、切原、俺を呼んだジャッカル。何処かに出ているのか、柳はいない。当然幸村くんもいない。


「わり。ちょっと考え事、」

そう言えば、仁王が、丸井が考え事なんて珍しいのぉ、と言った。言い返そうと思って、なんだかそんな気分じゃなくなって、うるせぃ、としか返せなかった。


「スンマセン、お先に失礼します、」

切原が、そそくさと部室を出ていこうとする。俺はその背に声を掛けた。



ちらほら、部活帰りの高校生や中学生が行きかう立海近くの、ちょっとした店舗が立ち並ぶ街。繁華街というほど栄えてるわけでもなく、かといって商店街というほど安っぽくは無い。コンビニとかファミレスとか、大手のチェーン店も並ぶ割と若者向けの店も多い。


「お前、今日金持ってる?」

「は、はい。ちょっとなら…」


じゃあ、ここ入るぞ。俺は切原を連れてファミレスに入った。ジャッカルや仁王ともよく来る店。向かい合って、メニューを見る。俺はデラックスイチゴパフェを頼もうとして、後輩の前だと思い直す。でも甘味の誘惑に勝てるはずも無く、オススメだという札のついたガトーショコラとドリンクバーで手を打った。切原は本当に金が少ししかないのか、ドリンクバーを頼んだだけだった。飲み物を取りにいって、再び席に着く。切原の顔が少し緊張しているのがわかる。


「わかると思うけど、深山のことだ。」


切原の身体が揺れる。
俺にとって深山は大切な友人でライバルで、切原も俺にとって後輩で、ライバルだ。深山はお前を恨んじゃいない、と言ったら嘘になる。でも、深山はいつまでも私怨を引きずるような男じゃない。それはみんなわかってることだ。でも、深山は同時に常に危ういバランスを保ってる男でもあった。努力と諦念の間で葛藤して、結局ラケットに伸びる手を止められなくて、テニスをしているような、そんなヤツだった。赤也との対戦後、深山の危うさを知っている2年の間で懸念されたのが、そのバランスが崩れてしまうこと。偶然入院した病院が同じだった幸村くんが、ちょくちょく様子を見に行ってるのだという。深山のバランスは、いまや諦念のほうに傾いてしまっている。


「お前はさ、深山のことどう思ってた?」


正直に話せ。そう言って俺は赤也を見つめる。相変わらずアチコチにうねった髪に、八の字になった眉。いつもの生意気さは、どこへやら。どうやら、深山との対戦は、赤也にも大きく影響を与えたようだ。


「・・・正直、幸村部長とか真田副部長とか、柳先輩とかがいたのもあって、深山先輩はあんまりテニスが強いとは思ってなかったっす。でも明るかったり、優しかったりするから、1年もみんな深山先輩のこと慕ってて。1年だけじゃなくて、2年の先輩も3年の先輩も深山、深山って言うし。弱いくせになんで、ってずっと思ってたんす。」


実力もあり、プライドも高い赤也のことだ。自分より下だと感じた深山が部の中心にいるのが、気に食わなかったんだろう。俺も、一時期そう思ったことがある。でも、


「でも、深山先輩との試合が終わったあと、満田から話し聴きました。そこで先輩がすごい努力家なの知ったんす。俺これまで、ずっとレギュラーとしか関わり無かったから、他の先輩とかレギュラー以外の奴らとか知らなくて。深山先輩が、夜遅くまで残って自主練してるのとか、朝一番に来て部室開けてるとか、そのときに初めて聴かされて。」


嫌ってたことを後悔しました。そう、努力を体現したようなあの男は、部長やレギュラーといった普通に見れば、組織の中での位置が高いような中心になるべき人より、他の人間から好かれるのだ。それは彼の愚直なまでの努力と、素直で爽やかな人となりから自ずとわかる。その努力が、全て報われていれば、彼は俺なんかよりもずっと上手い選手だ。神様はそんなところで嫌に意地悪だ。



「俺は、お前のプレースタイルとかとやかく言う気はねぇ。そこらへんは柳がしっかり考えてるだろ。俺が言おうと思ってんのは、ちゃんと深山と話せよってことだ。」


このまま深山を嫌っていれば、余計に部内に居づらくなる。赤也の戦力は貴重だし、失うのはもったいない。かと言って、このまま部内で同じ学年同士ギクシャクしてもらうのも困る。1年のほかの部員に関しては、深山が帰ってくれば、あいつなりにフォローを入れるだろうから、考えなくてもいい。問題は、これからの赤也の動きだ。下手に動けば、これからの部活動に支障をきたす。深山と話すことで、他の1年からの印象も悪くはならないだろうし、深山自身も赤也にたいするフォローを入れやすくなる。



「謝って、どうなるんでしょう・・・。」

「は?」


「謝れば、俺は深山先輩から許して貰えるんすか?許されて、練習に身が入るようになるんすか?」


赤也はもう泣きそうだ。


「・・・それはお前の行動しだいだと思うぜぃ。これからのお前の行動しだいで、お前に対する部内の印象も変わる。誠意を見せろ。」


それだけしか、言えねぇよ。俺はメロンソーダを一気に喉に流す。喉の奥に噛み付いては消える炭酸が、やけに痛い。俺と赤也は、その後一言も交わさずにファミレスを出た。気づいたら1時間近く話していたらしい。どうりで従業員のオバチャンが睨みつけてくるわけだ。ドリンクバー二つとパフェで一時間も居座られちゃ堪ったもんじゃない。


駅までまた無言が続く。俺は石を蹴りながら、さっきファミレスで偉そうに語ったことが本当にあってるのか、不安でたまらなかった。後悔とはそうじて後からやってくる。偉そうなだけの先輩になってるんじゃないかと、悩む。


「あ、」

赤也が声をあげた。


「ん、どうした?」


「流れ星がいま、」


え、どこだよぃ。そう言って見上げた空にはもう流れ星なんて見つからない。いつもそうだ。光るものは通り過ぎてからしか気づかない。決まって後から気づくのだ。流れ星なんて、もう随分と見ていないのに。惜しいことをした。赤也は決心がついたというふうに、俺の名を呼ぶ。


「俺、深山先輩とちゃんと話して見ます。謝って、相談して、また戦ってもらえるようになります。」


そう言って笑う。俺は、赤也のぐちゃぐちゃ頭をさらにぐちゃぐちゃにかき混ぜたあと、じゃあまた明日といって赤也に背中を向ける。ありがとうございました。暗闇の向こうで赤也が叫んでいるのがわかった。空を見上げても、流れ星は見えない。真っ黒な空に月が浮いているだけ。それすら、ビルの光や鮮やかなネオンに邪魔されて霞んで見える。本当に輝くものがあるのに、俺たちは周りで喚く品のない人工の光に邪魔されて、本質を見失ってしまってはいないか。俺は背を反らせながらビルの立ち並ぶ空を見上げる。月と黒とビル。いっそのこと壊したいと思った。


まだあの星は光ってますか。
一緒に行こうよ×××。


20110502 MANY THANKS!!

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