Curse

「なに見てるの?」
 声。意識の表層を裂き、再び世界とピントを合わす。指先を見つめ呆けていた俺を彼女、――いや、彼か?――は下から覗き込んで、問う。なに見てるの、蔵未さん。爪になんかついてた?
「いや。違う、ちょっとぼーっとしてた」
 照れ隠しに笑う素振りでその実、考えていたのは昨夜のことだ。正確に言えば今朝、蠍の子と床を共にしたあと。まだ温いベッドの中で、服も着ず浅い眠りに落ちて、しばし游泳、じきにふと、微睡みの底からゆるり浮上して重く瞼を開(あ)けば、レサトが俺の手を取って、指の先に口付けていた。親指、人差し指、中指、……順々に。一つ、二つ。爪を舐めるみたく撫ぜてから唇に軽く触れさせて、そのくすぐったさに起きたのだとやがて判った。
「レサト。何してる?」
 呟くと、彼は驚くでもなく刹那瞳をこちらへ向けて、すぐまた瞑る。「おまじない」。レサトの声は酷く甘い。喉に焼き付いて、乾く。
「まじない?」
「そう。コーイチにだけは、いつでも俺が見えるように」
「お前が?」
「そうだよ。確かめて」
 長い前髪の覆いを逃れ露になった三白眼、その蜥蜴めいた小さな瞳孔が俺に何かを期待している。悪戯を仕掛けた子供のように。褒美を待つ飼い猫のように。言われるがまま手を引いて、指を折り曲げ目を遣ると、真朱を認めた。爪が、赤い。
「それは、君にだけ見える。君の他には誰も知らない」
 女人のものに、よく喩えられる、自分には不釣り合いなほど細く頼りない指指の先は、ねっとりとした、熟れた果肉の、蠍の色に染まっていた。君は、寂しがりだから、と悪魔は得意げに、特別に契ろう、よく覚えていて、それは俺がいつだって君の傍に居ることの、証だ。
「そう、……ありがとう。凄く、綺麗」

「昨日はあまり寝れなかったから。頭働いてないのかな」
 訝しげに目を逸らさぬ彼を、あるいは紫の髪の彼女を、尚もはぐらかし額に触れると、意地の悪い笑みを返された。糸で引くように口の端を上げ、愉快げに咲いて、一言。蔵未さんの、ウソツキ。
「遊びに行ってくるね」
 虚をつかれ瞬く隙に紫音は俺を軽く押し退け、塔の外へと駆け出していく。早々去っていく背を送りながら、おまじない、と唇の、形だけをなぞって、飲む。なるほど本当に君のことしか、考えられなくなったらしいな。
 ああ、喉が焼ける。
 部屋へ戻ろうと踵を返せば、どこからか蜜の香りがする。“×い”のかかる指先にキスをしようと近付いて、――そういえば、白雪姫は、林檎程度じゃ死ななかったな。そう思うと、少し、笑えた。