しゅうまつがやってくる!



 『えー、次のニュースです。現在、国会では…』

 プツンと小さく音を立てて、テレビの電源が切れる。
画面の中でこぞって机とにらめっこしていたお偉いさん方が、そろって目の前から消え失せた。
どれだけやっても何の進展もないことなんてわかりきっているだろうに、たった一つだけ明確な事実には知らんぷりだなんて全く役に立たないやつらである。
 俺は真っ暗になったテレビの画面を冷めた気持ちで眺めながら、まだ熱いコーヒーを飲み干した。
そろそろ家を出ないと、朝の楽しみを一つ逃すことになってしまう。
 空になったマグカップをシンクに放り込んでジャケットをはおると、ギターと鍵を手に家を出る。
しっかりと戸締まりを確認して駅の方へと歩き出せば、一番初めの曲がり角を曲がったところで文次郎とでくわした。

「よ、偶然だな。おはようさん」

「おぉ、お前か。最近よく会うな。おはよう」

 偶然を装って声を掛ければ、朝だというのに全く眠気の含まれないしっかりした声で返事が返ってくる。
夜に強いこいつのことだから、きっとまた徹夜したのだろう。
目の下の隈がまた少し濃くなっている。
 それにしても、今日は危なかった。
いつもならもう少し早くここへ来て文次郎が通り掛かるのを待つのだが、今日は少しばかり家を出るのが遅れたせいでギリギリだった。
次からは気をつけねーと。

 文次郎は俺の幼馴染みで、この地域の最寄り駅から2駅先にある公立高校に通っている。
俺なんかじゃ逆立ちしたって入れないような、かなりレベルの高い進学校だ。
 そういう俺は中学を卒業した後、高校へは行かずにミュージシャンを目指して路上でストリートライヴを繰り返している。
この進路を選んだ時、もちろん親には大反対されたが文次郎だけは“お前らしい”と笑って背中を押してくれた。
結局俺と文次郎の説得に折れた両親が夢を追うことを許してくれ、今は家の近くにアパートを借りて一人暮らしをしている。
このことに関しては両親にも文次郎にもすごく感謝していた。
いつかは何かしらの形で恩返ししたいと思っている。
応援してくれた文次郎と俺のわがままを許してくれた両親のためにも、俺は夢を実現すべく毎日のように駅前でうたを歌い続けていた。
 だが、いくら情熱を注いでいるとはいっても本来ならばこんな朝早くに家を出る必要はない。
平日の通勤ラッシュの時間帯に若者の路上ライヴへ目を向ける余裕のある奴なんて、そうはいないからだ。
それをわかっていながら、俺が毎朝この時間に家をでるのには当然理由がある。
この時間に駅の方へ出掛ければ、文次郎と会える可能性が高いのだ。
 文次郎はいつも始業の30分前には学校に着けるように家を出るが、いかんせん学校が近いため家を出る時間は比較的遅い。
それでも俺からすれば十分に早いのだが、互いに何かと忙しく以前のように一緒に遊びに行くことがなかなかできなくなっている今、ほんの少しの間だけでも顔を見ることができるのであれば多少の不都合くらいどうってことはなかった。

 いつの間にか定位置となっていたこいつの左隣をいつも通りキープして、他愛ない話で笑い合いながら込み上げてくる幸福感に酔いしれる。
そう遠くないこの距離がどうしようもないほど愛しくて、二人で歩く駅までの五分間と文次郎の穏やかな笑顔が何よりも大切な宝物だった。

 「じゃあ、またな。学校がんばれよ」

「あぁ、お前も頑張れ。週末にお前のうた聴きに行くから」

「おう、待ってるぜ!」

 駅で文次郎と別れた俺は、とりあえず腹ごしらえを済ませてからいつもライヴをしている駅前の広場へ向かう。
途中、腰に提げたアンティークのラジオから何とかという有名な学者が世界の終わりについて話す声が聞こえていたが、今の俺はそんなことには全く興味を持てなかった。
文次郎が、今度の週末にライヴへ来てくれるのだ。
俺のうたを聴くためにわざわざ、貴重な休日を使って。
これを喜ばなくて、何を喜ぶのか。
 ずっと、それこそ何時からかわからないくらい前からずっと好きだった文次郎が俺のうたを聴いてくれる。
これは、チャンスだ。
あいつに俺の想いを伝える、絶好の機会。
絶対にこのチャンスを逃すわけにはいかなかった。

 『――であるからして、終末は…』

――ブツリ、

 俺は未だぐだぐたど小難しいことを語り続けるラジオの電源を切ると、背負っていたケースを地面に降ろして愛用のギターを手に取った。
俺にとっては何時くるのかもわからないような世界の終わりよりも、必ずやってくる今週末の方が何倍も大切なのである。



 『さて、今回は○○先生にお越し頂きましたこのコーナーですが、先生は終末論についてどのようにお考えでしょうか?現在世間では…』

 単調なテレビの音を聞き流しながら、お気に入りの黒いソファーに腰掛けてコーヒーを飲む。
画面の中では相変わらずどこかの偉い学者が終末論について喋っていた。
いいかげん他の話題はないのかとテレビ局に抗議したくなるほど、最近この話題が多い気がする。
それだけ世間は終末論に関心があるのだろうか。
まぁ、俺は全く興味ないが。
 世紀末の大予言もオオハズレして人類は未だ健在だし、終末論だってきっとどこかの馬鹿かそうでなければ宇宙人か何かの悪戯なんだろう。
 そんなどうでもいいことより、今は2日後に迫った週末のほうが問題だ。
ちゃんと、文次郎に想いを伝えられるだろうか。
 胸の中を渦巻く不安と期待を溜息として吐き出しながら、マグカップをテーブルに置いて立ち上がる。
電源を切ろうとテレビのリモコンに手を伸ばしたところで、電話が鳴った。

 「もしもし、食満ですが」

「もしもし、留さん―ッ?大変だよ!文次郎がっ…!」

「伊作…?文次郎に何かあったのか!?」

 電話の相手は中学からの友人で大病院の院長の息子である善法寺伊作だった。
伊作は酷く混乱している様子で何を言っているのかよくわからなかったが、それでも文次郎の名前が出た瞬間俺はすぐさま伊作の言葉を遮って事の詳細を尋ねていた。
あいつに、いったい何があったのだろうか。

「うん。あのね、文次郎が…」



 電話を終えて受話器を置いた俺はもたらされた情報を上手く呑み込むことができず、ただ茫然とした表情でその場に崩れ落ちる。
つけっぱなしだったテレビから流れる世界のニュースなど、耳に入ってすらいなかった。
 だって、信じられるわけがないじゃないか。
文次郎が、突然『遠く』に行ってしまっただなんて。
それも、どうしたって俺の手の届かないようなところへ。

 伊作の話によれば、文次郎は猫を庇って車に轢かれたらしい。
信号を無視して突っ込んできた車から道を歩いていた野良猫を守って、代わりに轢かれたそうだ。
何ともあいつらしくて、思わず笑みが零れた。
あまりにも白々しく響いた笑い声に、胸の奥から何かが込み上げてくる。
心臓を経由して瞳から零れ落ちたそれを拭うことすらできなくて、頬を伝って落ちる涙もそのままに俺は今度こそテレビの電源を落とした。
 “世界”なんてどうでもいい。
今はただ何より大切だったあいつとの距離を、あの温もりを失ったことに対する喪失感が胸を満たして息が詰まる。
終末論なんて興味がなかった。
必ずやってくるはずだった週末の方が、何倍も大切だったのに。
結局、週末がくる前に、あいつは遠くに行ってしまった。
俺は、文次郎に気持ちを伝えることができなかったのだ。
考えれば考えるほど涙は零れてきて、俺は床に座り込んだまま一晩中泣き続けた。

 翌日、俺は泣き腫らして真っ赤になった目を擦りながら朝日が昇るまで泣き続けても消えなかった文次郎への想いをてがみに書こうとした。
だが、書いたところで誰に送ればいいかなんてわからない。
送りたい相手はもうどこにも居ないのだから。
そもそもてがみ一つに納まるような軽い想いじゃないし、どれだけ書いてもあいつにはもう伝わらないのだ。

 ならば、いっそのこと世界中にばらまいてしまおうと俺はギターを手に駅前へ向かう。
いつもと同じ時間に家を出たが、いつもと違って曲がり角で足を止めることはしなかった。
いくらそこで待っていても、文次郎はもうやって来ないから。
 駅前の広場に立った俺は、ギターを掻き鳴らしながらあいつへの想いを全部うたに詰め込んでひたすらに声を張り上げた。


 「そこのアンタ、愛のうた一つ要らないか」

 来る日も来る日も、俺は毎日同じ時間に家を出て同じ場所で変わらない愛を歌い続ける。
あいつはもうやって来ないけれど。
こんなうたで誰かがちょっとでも笑顔になれるような世界なら、まだ救いはあるんじゃないだろうか。


 終末がやってくるらしい。

 あいつはもうやってこないのに。

 また、週末がやってくる。

 何回やってきても、あいつはもうやってこないのに。

 終末なんか、こなければいい。
週末なんか、こなければいい。

 週末が何度やってきても、あいつの笑顔はもう二度とやってこないのだから。

 あぁ、しゅうまつがやってくる!



end.

song by sasakure.UK/『しゅうまつがやってくる!』

top






戻る





- ナノ -