目が覚めたら、留三郎がどこにもいなかった。
いつもなら俺が起きる頃にはまだ隣で眠っているというのにベッドの中はもぬけの殻で、部屋中を見回してみても主の姿は影も形もない。
珍しく早起きでもしてリビングで珈琲でも飲んでいるのかもしれないとも思ったが、それにしても物音が全く聴こえてこないのは可笑しいと思う。

 どこかに出かけてしまったのだろうか。
以前話していた伊作という魔導師のところにでも遊びに行ったのかもしれない。でもそれなら、己も連れて行ってくれれば良かったのに。
やはり、気心が知れた友人と話す時には己は邪魔なのだろうか。
そんなことを考えて少し哀しくなったが、泣いてしまわないよう慌てて首を振る。
大丈夫、留三郎はちゃんと己を認めてくれている。
あいつは、外の人間達とは違うのだ。

 「腹、減ったな…」

 負の方面に傾きかけた思考を振り払って、何とはなしに呟いてみる。
時刻はとうに逢魔時を過ぎていて、星の鏤められた夜空に月が浮かんでいた。
今日は半月だ。
 カーテンの隙間から差し込む月光によって俺の身体は既に人に近い姿へと変化しており、口を開けば言葉を喋ることもできるようになっていた。

 俺は今まで蹲っていたベッドから抜け出すと窓に近付いてカーテンを引く。
それに伴って勢いを増した月の光を存分に浴びながら、窓の外に広がる街を眺めて溜息を吐いた。
考えるのはもちろん留三郎のことだ。
今頃、どこで何をしているのだろうか。
用事で出かけるならそう一言伝えてくれれば、大人しく留守番していたというのに。
そう思ってはみたが、現に留三郎が何も言わずに出かけてしまった今もこうして大人しく留守を預かっているのだから結局のところ留三郎が声を掛けようが掛けまいが結果は同じなのである。
俺が己の主であり命の恩人でもある留三郎の意に沿わぬことなどするはずがないのだ。

 だがまぁ、正直寂しくないと言えば嘘になるだろう。
野良だった頃は独りなのが当たり前でむしろ自分以外の生き物は全て餌か敵の二択でしかなかったのだが、留三郎に拾われてからはずっとあいつが側に居てくれた。
だから、留三郎の温もりを知ってしまった今になって急に独りにされてしまうとやはりどうしても独りでいることに寂しさを感じてしまう。
そんな己を弱いとは思うが、そんな思考にさえ勝るほど今は主の温もりが恋しくて仕方なかった。


 ――ガチャリ、

 そうこうしているうちに魔力の補充が終わったためリビングの方へ行こうかと考えていると、玄関の方で鍵の開く音がして思わず耳を澄ます。
次いで聴こえてきた扉の開く音と靴を脱いでいるらしい衣擦れの音に主の帰還を悟った俺は、気持ちがはやるあまり咄嗟に猫の姿へ戻ると玄関の方へ急ぐ。
玄関では予想通りの人物が靴を脱いで廊下へと荷物を降ろしたところだった。

 「おー、文次郎ただいま…って、おわっ!?」

「にゃー、にゃー」

「寂しかったのか?急に留守番させちまってごめんな」

 待ち望んでいた主の姿に思わず猫の姿のまま飛びつけば、留三郎は驚きながらもしっかりと受けとめて頭を撫でてくれる。
その温もりに安堵して主の胸に頭を擦りつけると、くすぐったいと笑って俺を抱きしめている腕に力を込めた。


 「腹減ったろ、今飯にするからな」

「にゃー…」

「よしよし、ちょっと待ってろ」

「にゃぁー」

 暫くは楽しそうに俺の頭を撫でていた留三郎だったが、やがて俺が腹を空かせていることに気づくと少しすまなそうに苦笑しながら俺を床に降ろして一度玄関に置いていた荷物を手に取った。
それをそのままキッチンへと運び込むと、荷物の中から近くのスーパーで購入してきたらしい惣菜の類を取り出してダイニングのテーブルに並べながら俺に声を掛ける。
俺はそれにいちいち返事を返しながらダイニングのテーブルの前に大人しく座り込んでいた。
テーブルの上から漂う揚げ物の香ばしい匂いに思わず腹が鳴る。
その音を留三郎に聞かれなかったかと焦りながら、今の己がまだ猫の姿だったことに心の底から安堵した。

 「よし、文次郎。飯にするから手伝ってくれ」

「おう」

 大量の荷物をあらかたキッチンの中に片づけ終わったところで、留三郎が俺を呼ぶ。
再び人型になった俺は主の言葉に従ってテーブルの上の惣菜を大皿に移し、その周りに箸や取り皿を並べていく。
そして留三郎から受け取った白米の盛られた茶碗を落とさないように注意して食卓へ運ぶと、椅子に座って手を合わせた。
後から席についた留三郎も俺に倣って手を合わせる。

 「美味いか?」

「美味い、けど…」

「けど?」

「留三郎の料理の方が美味い」

「はは、嬉しいこと言ってくれるじゃねーの」

 せっせと箸を動かしながら問うてきた主に俺は素直に頷く。
確かにスーパーの惣菜にしては美味いし、野良だった頃はこんな豪華な食事にありつけること自体そうそうなかった。
が、しかし。
いつの間に舌が肥えてしまったのか、やはりいつも留三郎が作ってくれる朝飯の方が何倍も美味いと感じる。
留三郎の料理の味が何だか無性に恋しくなった。
そのことを正直に口に出すと、留三郎はそうかと機嫌良さそうに笑ってまた俺の頭を撫でた。
 いつもそうなのだが、留三郎は俺が人型をとっていても変わらずスキンシップを取ってくる。
全く嫌ではないのだが、大して体格も変わらない人型の時に頭を撫でられるというのは何だか気恥ずかしい。
だが、同時に心地好くもあるのでその手を拒むことはできないのである。


 「あ、そうだ文次郎。お前に土産があるんだ」

「土産?」

「あぁ、結構いいものだぞ。食い終わったら渡すから楽しみにしてろ」

 首を傾げた俺の言葉に悪戯っぽい笑顔で頷いた留三郎はそう言ってグラスに注がれた麦茶を飲み干す。
何だか愉しげなその表情に俺も好奇心を刺激され、少しでも早く食事を済まそうと茶碗に残っていた白米を一気に掻き込むのだった。


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