俺の飼い主は人間ではない。
そういう己もただの猫ではないのだがそれは一旦置いておくとして、俺の飼い主―名を食満留三郎という。人間嫌いの変わり者だがいい奴だ―は吸血鬼である。
だが吸血鬼なのに極度の人間嫌いで、魔力の源であるはずの人の生き血でさえ直接は飲むことができないほどらしい。
今の世はなかなか便利なものが揃っているため餓え死にするようなことはないと主は言うが、俺としては心配だ。
もし種族的に問題がないのならば、今度からは俺の血を飲ませることにしようと思う。
決して美味くはないだろうが多少なりと魔力が宿っているし、新鮮なぶん少なくともあんなパック詰めの血液なんかよりは色々とマシなはずである。
それに何より、留三郎にはあまり人の生き血なんてものを身体に入れて欲しくなかった。
あいつも人間が嫌いだが、俺も大概人間を怨んでいる。
「もんじー、飯にするぞ」
「にゃー」
そんなことを考えながら毛繕いをしているとキッチンから件の俺の主、食満留三郎の俺を呼ぶ声が聞こえてきた。
どうやら朝食の時間らしい。
とはいえ留三郎も己も主な活動時間が夜中であるため朝食といっても時刻はもう夕方なのだが。
まぁそんなことはどうでも良い。
俺は御主人様の呼び掛けに応えるべく、すぐさまダイニングへ脚を向けた。
「ほら、今日はピザトーストにしてみたぞ」
「…美味そうだな」
「だろ?」
月光により人の姿となった俺が留三郎の持つ皿から漂う匂いに思わず言葉を零せば、留三郎は皿をテーブルの上に置いて得意気に笑う。
その瞬間、なぜか心臓が跳ねたような気がした。
「どうだ、美味いか?」
「あぁ」
「そりゃあ良かった。足りなかったらまだあるからな」
お手製のピザトーストを一口囓って咀嚼すると、焼けたチーズとケチャップの味がふわりと口いっぱいに広がって思わず頬が緩む。
留三郎はそんな俺の様子をにこにこと機嫌の良さそうな表情で眺めながら自分のピザトーストに手をつけている。
その視線に少しばかり照れくささを感じながら黙ってトーストを食んでいると、あっという間に食事を終えた留三郎が席を立った。
相変わらず驚くほど食べるのが早い。
俺もどちらかと言えば食べるのは早い方だが、その俺より後に食べ始めたにもかかわらず既に皿は空になっているのだから驚くより他はない。
「ゆっくり食ってていいぞ」
空の食器を流し台に運ぶ主の姿を見て食べるスピードを上げた俺に、留三郎は笑いながらそう言って冷蔵庫の扉を開ける。
そこから取り出された血液パックを目にした瞬間、意図せず眉間に皺を寄せてしまった。
もう流石に見馴れた光景ではあるのだが、やはりいい気はしない。
俺は先ほどの己の思考を思い出して留三郎に声を掛ける。
「なぁ、」
「どうした?」
「お前が飲んでいるそれなんだが…」
「ん、これか?」
「俺の血じゃ、駄目なのか?」
ドサッ――ビチャッ、ボタボタッ―
なんとも形容しがたい音と共にパック詰めの血液が床にぶちまけられ、キッチンとダイニングの床が真っ赤に染まる。
俺は掃除が大変そうだと思わず顔を顰めるが、その光景を作り出した当の本人にそんなことを気にする余裕はないようでただ呆気にとられたような表情で俺を見つめ続けていた。
「どうした、留三郎」
「いや、どうしたってお前…」
なぜか酷く動揺した様子の主を不思議に思って声を掛けると、まだ混乱から抜け出せないのか狼狽えたような声音で返事が返ってくる。
俺は何か言ってはいけないことでも言ってしまったのだろうか。
「…何だっていきなりそんなこと言い出したんだ?」
「あぁ、結構前から考えてはいたんだがな。そんなパック詰めの血液なんて身体に悪そうだし」
「あー、まぁ確かに良くはないが」
「そうだろう?俺の血じゃあ美味くはないだろうが、多少なりと魔力が通ってるぶんそんなものよりはマシなんじゃないかと」
先ほどよりはいくらか落ち着いたらしい留三郎が不思議そうな表情で聞いてきたので朝食前の己の思考を語ると、留三郎はようやく納得した様子でなるほどと頷いた。
「だが、文次郎。お前、本当にいいのか?」
「あぁ、構わん」
「俺がお前から血を飲むってことは、魔力も一緒に奪い取ることになるんだぞ」
「大丈夫だ。俺はお前達と違って月の光をそのまま魔力にできるから、新月でなければ問題ない」
俺のような化け猫は通常なら使い魔にされるような存在であり、吸血鬼などの高貴な種族と比べれば魔物としての序列は低い。
だが取り込んだ血液を体内で変換しなければ魔力を得ることができない吸血鬼とは違い、化け猫は月の光をそのまま魔力として蓄えることができるため月さえ出ていればいつでも魔力を補充することができる。
つまり、他の魔物に比べて遥かに生命力が強いのだ。
それが少しばかり奪われたところで、そう簡単に命が危険に晒されるようなことはない。
留三郎もそのことに気づいたのか心配そうな表情でこちらを見るものの、それ以上何も言うことはなかった。
「それに、これは俺の我儘なんだが」
「ん?」
「お前には、正直言ってあまり人間の血液なんてものを身体に入れて欲しくない。――だから、俺の血が代わりになるのなら喜んで差し出そう」
「文次郎…」
俺の話に納得はしたがそれでもまだ気が乗らない様子の留三郎に焦れた俺は、思わず言わなくてもいい本音まで零してしまう。
何とも身勝手で自分本意な考えなどできれば晒したくはなかったのだが、口に出してしまったものは仕方がない。
半ば自棄になって開き直ると、今まで冷蔵庫の前に立ち尽くしたままだった留三郎がゆっくりとした足取りでダイニングへ戻ってきた。
留三郎が足を踏み出す度、先ほど床にぶちまけられた血のせいで真っ赤に染まった靴下が濡れた音を立てる。
俺は椅子に腰掛けたまま、床に血の足跡を付けながらこちらへやってくる留三郎をただ待っていた。
「―――――」
「――あぁ」
目の前に立った己の主が耳許で囁いた台詞に笑って頷けば、ふわりと嗅ぎ馴れた匂いがして首許に鋭い熱が宿るのを感じ、目を閉じる。
そして数瞬の後に訪れるであろう痛みに備え、身体から力を抜いた。
end.
.戻る