現パロ



 留三郎が風邪をひいた。
俺がその事実を知ったのは、昼休みを報せるチャイムが響いてから5分ほど経った時のことだった。
 いつもなら休み時間の度に何かと用事を作っては絡んでくる奴が今日に限って一度も姿を現さないことが気にかかって昼休みに奴の教室へ出向いてみたところ、奴のクラスメイトである善法寺伊作からその情報が齎されたのである。

 曰く、

「留さんなら今日は風邪で休んでるよ。もんじにもメールしたって言ってたけど」

 そう言われて今日は携帯の電源を切ったままだったことを思い出す。
ポケットから普段はあまり使わない携帯を取り出して電源を入れると確かに奴からメールが届いていた。
どうやら昨日伊作の不運に巻き込まれてバケツいっぱいの水を頭からひっ被ったことが原因で熱を出したらしい。
 一緒に水を被ったはずの伊作がこうして何事もなかったかのように登校してきているのは保健委員長だからなのか、それとも単に不運慣れしているせいなのかは悩むところである。

 「もんじ!ちょっと、聞いてる?」

「あぁ、いや…何だ」


 少しばかり強い語調で呼ばれた己の名前にハッとして思考に沈んでいた意識を引き上げると、目の前には些か不機嫌そうな表情で此方を睨む伊作の姿があった。
先ほどからずっと呼び掛けていたらしく、なかなか返事をしない俺に痺れを切らしたらしい。

 「はぁ、全く留さんのことになるとすぐこれなんだから」

「そんなんじゃねェ…で、何だよ?」

 購買のメロンパンを齧りながら呆れたような溜息を吐いた伊作に少々不機嫌な声音で話を促すが、彼は気にした様子もなく机の横に掛けていた鞄の中から市販の風邪薬だと思われる長方形の小さな箱を取り出して俺に差し出した。
何のつもりだと首を傾げれば、伊作は紙パックの紅茶を啜りながらストローをくわえたまま器用に言葉を紡ぐ。

「それ、留さんに渡しといて」

「は?何で俺が」

「え、だってもんじが行くんでしょ?」

 留さんのお見舞い。


 ズゴーッと間抜けな音を立てて紅茶を飲み干した伊作が放った予想外の言葉に、思わず動きが止まる。
 俺が奴の見舞いに行くなんて、一体いつ決まったのだろうか。
俺はそんなこと一言も言っていないのだが。

 「おい、何で勝手にそんなことになってんだ」

「何でもなにも、留さんが具合悪いんだからもんじが行くのが普通じゃない?」

「…看病なら伊作の方が得意だろ」

「僕、今日は保健室当番だから帰り遅くなっちゃうし。」

 だからといって何故俺なのか。
いやまぁ確かに俺と奴は世間一般でいうところの恋仲という関係にあるのだからおかしくないといえばおかしくはないのだが、だがしかし。
そもそも今回奴が風邪をひいたのは半分くらいは伊作のせいであるのだし、看病するにしても勝手のわからない俺よりも保健委員長である伊作の方が相応しいのではないだろうか。


 「だが…、」

「それに、留さんは僕が行くよりもんじが行った方が絶対喜ぶと思うし」

「………」

 猶も食い下がろうとした俺の言葉を遮るように落とされた伊作の台詞に思わず黙ると、彼はその隙にさっさと俺に風邪薬の箱を押し付けて教室を出て行ってしまった。
「じゃあ、宜しくね」という言葉を残して。


 「……はぁ」

 他クラスの教室に一人残された俺は、手の中の箱に目をやって深い溜息を吐く。
こうなってしまっては仕方ない。
面倒だが、放課後にでも留三郎の様子を見に行くしかないだろう。
 それに何だかんだ言っても一応は俺の恋人なのだ。
伊作にはあんなことを言ったが、全く心配をしていない訳ではない。
独り暮らしで看病してくれる人間も居ない状態で、奴は今どうしているのだろうか。
面倒見は良いが己に頓着しない奴のことだ、どうせろくな飯も食わずに居るのだろう。
きっと薬すら飲まないでいるに違いない。
 その光景があまりにも容易く想像できてしまい、俺は再び深い溜息を吐いた。

 ――帰りにスーパーでも寄るか。
こうなりゃとことん看病してやるかと腹を括った俺は、仕方ねぇなと小さく呟いて手付かずの弁当を手に3組の教室を後にする。
それと同時に、始業5分前を知らせる鐘の音が辺りに鳴り響いた。





 そして、放課後。
授業が終ってすぐに学校を出た俺は、学校から二駅先の駅のすぐ側にある奴の住むアパートの前に立っていた。
片手には駅前のスーパーのビニール袋が提げされている。
中身はお粥の材料とスポーツドリンクのペットボトル、それからゼリー飲料や果物等の消化に良さそうな食べ物とロックの氷だ。
鞄の中には近くのドラッグストアで購入した、伊作に渡されたものとは別の市販の風邪薬も入っている。
保健委員長の伊作は確かに病気や怪我に効く薬に詳しいのだが、いかんせん不運な上しょっちゅう化学部の仙蔵と結託して妙な薬を作っては俺と留三郎を実験台にする為いまいち信用できない。
渡された箱は市販品のようだったが、万が一ということもあり得るので敢えて別の種類のものをドラッグストアで購入してきた。
薬剤師に相談して購入したので間違いはないはずだ。

 そんなことを考えながらアパートの階段を登って奴の部屋の前に立つと、ポケットから合鍵を取り出して鍵を開ける。
インターホンを鳴らしても良いのだが、具合が悪いのにわざわざ玄関まで出て来させるのもどうかと思い鍵を使った。
留三郎は俺にこれを渡した時、いつでも勝手に入って来て良いと言っていたので問題は無いだろう。
 因みに奴も俺のマンションの合鍵を持っているが、大抵の場合俺の方が帰りが早いのであまり使った試しはない。

 すんなりと開いたドアを潜って玄関で靴を脱ぐと、勝手知ったる部屋とばかりにまっすぐキッチンへ向かい買ってきた物を冷蔵庫へ放り込む。
空に近かった冷蔵庫が、あっという間にいっぱいになった。
冷蔵庫の整理が済むと、それにしても何故ここまで冷蔵庫に何も入っていないのかと普段の奴の生活を思って溜息を吐きながら買ってきたロックの氷を砕いて氷嚢と氷枕に詰めていく。
尖った氷が入らないよう注意してそれらの準備を終えると、ひんやりしたそれらを抱えて寝室へと足を向けた。
 奴のことだからリビングのソファーで寝ていないとも限らなかったが、いくら留三郎でも流石に具合の悪い時くらいはきちんとベッドで休んでいるだろう。
というか、そうじゃなかったら一発殴る。
俺はそんな決意を胸に少し緊張しながら寝室のドアに手を掛けた。


 「よう。生きてるか、留三郎」

「もん…じ、ろ?」

「あぁ、不本意ながら見舞いに来た」


 すんなりと開いた扉の先でベッドに転がっている留三郎に声を掛けると、酷く掠れた声で名を呼ばれる。
それに(いつもよりは)素直に頷いて手にしていた氷枕と氷嚢を掲げて見せれば、ふにゃりと情けなくも嬉しそうな笑みをみせた。
どうやら相当参っているらしい。
あちこち捲れて半分ほどベッドからずり落ちていた掛け布団を直して氷枕を枕の上に置いてから額に氷嚢を乗せてやると、多少楽になったのか荒かった息が少しだけ整う。

 そのことに内心で酷く安堵しながらそんな様子はお首にも出さずに食事はできそうかと尋ねれば、「お前が作ったもんなら食える気がする」と何ともふざけた答が返って来たので思わず氷嚢の上から軽く額を叩く。
だが仮にも病人のリクエストなので無下にも出来ず、まぁ最初からそのつもりではあったしたまには甘やかしてやるかと一つ頷いて仕方ねぇなと呟きながら部屋を出る。
去り際にちょっと待ってろと言い残して一旦キッチンへ戻ることにした。




 「よし、こんなものか」

 キッチンへ戻って来た俺は冷蔵庫の中から仕舞っておいた材料と、米びつにあった米を(勝手に)取り出して簡単なお粥を作る。
丁度スーパーで葱と卵が安かったのでメニューは卵粥だ。
たぶん奴も嫌いではなかったと思う。
例え嫌いだったとしても奴は俺の作ったものなら残さず食うと言っていたから問題はないだろう。
 そんなことを考えながら水と米を入れた土鍋を火に掛け、葱を刻む。
ついでに買ってきておいた留三郎の好きな林檎も皮を剥いてすりおろした。
後は米が炊けた頃に葱と卵を入れてかき混ぜれば完成だ。
俺は火から目を離さないよう気を配りつつ棚から食器と盆を取り出してカウンターに並べ、卵粥が完成したところで火を止めて鞄から購入した風邪薬を取り出して一回分を盆の隅に乗せた。
それから火から降ろした土鍋と水の入ったコップを乗せ、レンゲを添えて盆を持ち上げる。
一人用の小さなものとはいえ土鍋や瀬戸物の食器が乗せられた盆はそれなりの重さがあったが、普段から鍛えている為か運ぶのに苦労はない。
最後に火が着いていないことを確認すると、俺は盆を抱えて留三郎の待つ寝室へと再び足を向けた。



 「留三郎、起きろ。飯作ってきたぞ」

「……おう」

 運んできた盆をベッドの脇にあるテーブルへ置いて留三郎に声を掛ける。
奴は俺が戻って来たことに気付くと、気怠げな返事をしながらゆっくりと身体を起こした。
やはり辛そうではあるが、ややふらつきながらも一人で起き上がったところをみるとどうやら先程よりはいくらか回復したらしい。
ならば今のうちにしっかり栄養を摂って身体を休めるべきだろうと盆に乗せた土鍋から卵粥をよそってレンゲと共に渡してやれば、留三郎は腕を動かすのも億劫なのか素直に受け取ったものの一向に手をつけようとしなかった。


 「……はぁ、仕方ねぇ」

「……?」

「ほら、さっさと食え」


 ほかほかと湯気をあげる卵粥を口に運ぶことなくただぼんやりと眺めている留三郎に溜息を一つ吐いて椀を取り上げると、レンゲで一口分を掬い適度に冷ましてから口許へ運んでやる。
奴は少し驚いたような表情をしたものの促されるまま口を開いて粥を口に入れた。
何回か咀嚼してから噎せないようゆっくりと飲み込んで胃の中へと落としていく。
熱のせいで味など碌にわからないはずだが、それでも奴は美味いといってふにゃりと蕩けた笑みを見せる。
その表情に若干の気恥ずかしさを感じつつ、俺はまた一口分の粥を奴の口許へ運ぶ。
それを繰り返して土鍋が半分ほど空になったところで、留三郎が満腹を訴えた。

 「もういいのか?」

「あぁ、美味かった。ありがとな」

 気怠げながらもどこか満足げに笑って腹に手をやる留三郎に一つ頷きを返して水の入ったコップと市販の風邪薬の錠剤を手渡すと、留三郎は受け取った錠剤をさっさと口に入れ、一息に水で流し込む。
途中で少し噎せそうになったが、薬を吐き出したりはしなかった。


 「薬が効いてくるだろうから、ちょっと寝とけ」

「おう、俺が起きるまで帰るなよ」

「わかったわかった。」


 留三郎からコップを受け取って奴を再びベッドへ横たえると、食器を片付ける為に席を立つ。
寝ている間勝手に帰るなと念を押す留三郎に内心苦笑しながら頷いて軽く髪を撫でてやると、心地良さげに目を閉じてそのまま寝入ってしまう。
俺は来た時に比べて幾分か穏やかな奴の寝顔と静かな寝息に安堵して、次に目が覚めた時にはいつも通りの奴の姿が見られることを願いながら食器を乗せた盆を手に部屋を出るのだった。



end.


――――――――

藤波さんへ相互御礼に捧げます。
大変お待たせした上にこんなわけのわからない文章しか書けなくて本当に申し訳ありませんm(_ _)m

こんなもので良かったら煮るなり焼くなり好きにして下さいませ。
では、これからも雪壬と愚者の功名を宜しくお願いします!



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