細身だが、男のものと判る指先が、薄い唇に紅をのせる。
その指先に踊る華美な装飾のネイルも、唇を彩る紅色も、俺は好きになれなかった。

「……見惚れた?」

俺が見ていることに気付いた男、留三郎が…いや、今は留子か。
留子が、顔を上げる。
女顔というわけではないが、綺麗に整った涼しげな美貌が此方を向いた。
少し小首を傾げて微笑む仕草は女であれば大層魅力的であったろうが、残念ながら俺がこいつのそれに魅力を感じることは無い。
……少なくとも、今は。

「馬鹿たれ。誰が見惚れるか」

「えー、何で? 私、綺麗じゃない?」

俺の返答に酷く不満げな表情で可愛らしく頬を膨らませるこいつに、思わず溜息を吐く。
全く、こいつはどうしてこうなのだろうか。
わざわざ女のように着飾らずとも、こいつのルックスならば男女問わず引く手数多だろうに。
現に、自他共に認める面食いである俺も、留三郎の外見には好意を抱いている。
そう、「留三郎の」外見には。
正直、留子には何の魅力も感じない。
恵まれた容姿をしているのだから、わざわざ女を真似ることなんてないのに。
別に、留子が美しくない訳ではない。
もとが良いのだから醜くなるはずがないのだが、俺としては留三郎の、あるがままの姿の方が好きだった。
装飾なんて何も要らない、留三郎はそのままで格好良いのだ。

「じゃあ、行ってくるわ」

俺がそんなことを考えているうちに化粧を終えた留子は、女もののブランドバッグを肩に掛けて立ち上がる。
あれだけ鏡台に並べられていた化粧品の類は、全て綺麗に片付けられ、鏡台の引き出しに収納されていた。

「おい、留子」

「ん?…なぁに」

「お前…今の仕事、辞める気はないのか」

俺の声に応えて首だけで振り返った留子は、続く言葉に少しだけ困ったような笑みを浮かべる。
それは、わからずやの子どもをどうやって諭すべきかと考えている母親の顔に少し似ていた。
いや、俺だとて解ってはいる。
例え留子が今の仕事を辞めたところで留三郎が留子になることを辞める訳ではないし、今の仕事を辞めて一般企業に就職したところで、それは留三郎にとっても留子にとっても負担にしかならないだろう。
そんなこと、俺が解らない筈がない。 だからこれが俺のわがままに過ぎないこともきちんと理解しているつもりだ。

だが、しかし…しかしである。
俺は別に、留三郎が留子になることを無理やり辞めさせるつもりはない。
留三郎の一部である留子を否定することは留三郎自身を否定することと同義であるから、留三郎のことが好きな俺にそんなこと、出来る訳が無いのだ。
俺が留子にこんなことを言う理由は、留三郎にずっと留三郎のままでいて欲しいとかそんなことではなく、ただ、自分の恋人が他者に媚びるのを良しとしたくないという、ある趣男として当然とも言える、心配と嫉妬と独占欲とがない交ぜになった何とも言えない仄暗い感情のせいなのであった。

「そうね…文次郎が貰ってくれるなら、すぐにでも辞めるんだけど」

「…お前が、時々は“留三郎”として俺の側に居るならな」

俺の表情から言いたいことを悟ったらしい留子が、身体ごと此方に向き直ってソファーに腰掛けている俺に近づく。
そのまま鞄を脚下に落として正面から抱きつく形で、俺の首に腕を回した。
俺は応えるように留子の背中に腕を回しつつ、彼女の言葉に返事を返す。

「……っ!! 文次郎っー!!」

「とめっ…ふっ…む…っ」

俺の言葉を聞いた瞬間、留子は感極まったような表情で首に回した腕に力を込めると、俺をしっかりと抱き締めた状態で紅い唇を寄せる。
止める間もなく俺の唇と重なったそれは、のせられた紅の僅かな苦味と俺が求めて止まない温もりを残してすぐに離れていった。

「ばかたれっ…」

「何よ、恋人にキスしちゃいけないっていうの?」

頬に宿る熱を自覚しながらお決まりの罵声をぶつけて留子を睨むと、彼女は不満げな表情で俺を見つめたが、首に回した腕を解こうとはしなかった。
俺も、無理やり引き剥がすようなことはしない。


「こういうのは、化粧落としてからにしろって言ってるだろ」

「ほんっと、相変わらずなんだから」

そう言って苦笑した留子は俺から離れると、脚下のバッグから携帯電話を取り出して何処かへと電話を掛ける。
そして、幾ばくかの遣り取りの後、携帯の電源に切ってバッグに戻すと、今まで座っていたカーペットから立ち上がって部屋の奥へと歩き出した。

「おい、何処に行くんだ」

「化粧落としに行くに決まってるでしょ」

「お前、今日は仕事だって…」

「辞めた」

「……は、」


何処か寂しそうな、それでいて幸せそうな複雑な表情で紡がれた留子の言葉に、驚きのあまり思考が一瞬固まる。
咄嗟に言われた内容を理解するのに少し時間が掛かった。
まさか、自分の一言が彼女にそこまでの行動力を与えるとは思ってもいなかったのだ。

「辞めたって、お前…」

「だって、文次郎が貰ってくれるんでしょ?」

それとも、さっきの言葉は冗談だったの?と不安げな瞳で此方を見る留三郎に、そんなことはないと慌てて首を振る。
確かに留三郎の行動力には驚かされたが、だからといって先程の己の言葉を後悔しているかと聞かれれば、答えはノーだ。
留子が今の仕事を辞めるということは、留子が、留三郎が俺だけのものになるということである。
俺にとって、それ程嬉しいことは無い。
留三郎がそばに居てくれるなら、一生彼を養ってもいいと思っている。
尤も、留三郎はそれを望まないだろうけども。


「じゃあ、化粧落として来るから…ちょっと待ってろな?」

「ーーっ、…あぁ」

洗面所へ向かい掛けていた留子が、一度俺のそばに戻ってくる。
耳許で囁かれた声は留子のものではなく留三郎のもので、その優しく甘い響きに、俺は真っ赤になって頷くことしかできなかった。
紅く染まった俺の顔を満足げに眺めた留子は、艶のあるが女のものではない、「留三郎」の笑みを浮かべて、今度こそ洗面所の方へと去って行く。
俺はその後ろ姿を見送りながら、突然進展したとも複雑化したともいえる留三郎との関係に、半ば呆然とした面持ちで留三郎が戻ってくるのを待つことしかできなかった。





end.



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ついったーで話題に昇ったニューハーフ留三郎と面食い文次郎のネタを書いてみました。
ジョニー、掲載許可ありがとう!







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