喫茶店のマスター×絵本作家




 カーテンの隙間から差し込む、朝日の眩しさに目を覚ました。
隣には愛する恋人が眠っている。
日の光が眩しいのか疎ましげに寝返りを打ってシーツに潜り込むが、今のところ起きる様子はない。
まぁ、それはそうだろう。
彼はここ数日の間ずっと徹夜続きで仕事をしていて、漸く仕事が片付いたのが昨日の真夜中近く、それから後始末を済ませて眠りに着けたのはもう日付の変わる頃だったのだから。
最後の一枚を描き上げて封筒に入れ、それを送る為にコンビニへ駆け込んだかと思えば、帰ってくるなり玄関で倒れ込むようにして眠ってしまった彼を、着替えさせてベッドに寝かせたのは俺だった。
身動ぎ一つせず死んだように眠る彼の頬に触れた瞬間、少しだけ緩んだ表情に何ともいえない幸福を感じたのを覚えている。

 俺はベッドサイドのキャビネットに置かれたデジタル時計を見て時刻を確認すると、隣で猫のように丸まった体勢のまま未だ眠り続ける彼にお疲れ様と呟いてから一人ベッドを抜け出す。
そろそろ朝食の支度をしなければならない。
店を開けるまでにはまだ時間があるが、それなりに朝から混雑する店なので早めに準備をしておく必要があった。
早く朝食を摂らなければ、今朝は食事を抜いて仕事をする羽目になる。
俺自身は別に一食くらい抜いたところで然したる問題も無いが、文次郎はそういうわけにもいかない。
唯でさえ少食で、忙しいとすぐに食事を抜く彼には絶対に朝食を摂らせなければならなかった。
しかもここ数日は徹夜続きで机に向かっており、きちんとした食事をほとんど摂っていなかったようだから尚更だ。
一日の始まりである朝食には、きちんと栄養のあるものをしっかり食べさせたい。

 クローゼットから適当にシャツやズボンを引っ張り出して着替え、寝室を出て下の階に下りる。
店のカウンターに面したキッチンに入って壁に掛けてあるエプロンを身に付けながら冷蔵庫の扉を開くと、中から卵とハム、それからレタスやトマトなどの野菜類とチーズを取り出して再び扉を閉めた。
 フライパンに油を入れて火にかけ、ある程度温まったところで卵を流し込んで塩胡椒で味付けし、チーズを加えて手早く掻き混ぜる。
あらかた火が通ったところで火を止め、形を整えて皿に盛ればスクランブルエッグの出来上がりだ。
完成した卵の皿にトマトやレタスを見映え良く盛り付け、それをカウンターに乗せてから食パンを二枚並べてオーブントースターに入れる。
タイマーをセットしたところで、階段を降りる気怠げな足音と共にキッチンの陰から愛しの恋人が姿を現した。


 「おはよう」

「…おはよう」


 凝り固まった身体を解すように大きく伸びをしつつ眠たげに眼を擦る文次郎にコーヒーを淹れてやりながら声を掛ければ、寝起き特有の掠れた声で返事が返ってくる。
欠伸をひとつ零しながら近付いてきた恋人にカウンター越しにコーヒーを出して遣りつつ、トースターからパンを取り出して皿に乗せマーガリンと一緒にカウンターに置くと、彼はまだいくらか寝惚けた様子で手近な席につく。
先に朝食を摂るように促せば、ゆっくりした動作でサラダに手を付け始めた。


 「なぁ、留三郎」

「何だ?」

「今日、店開けるのか?」


 パンにマーガリンを塗りながら俺を呼ぶ文次郎に、キッチンを出て隣へ腰掛けながら返事を返す。
すると、彼はキッチンの壁に掛かったカレンダーを眺めながら小さく首を傾げた。
つられるように俺もそこへと視線を移せば、今日の日付が目に入る。
そして同時に視界に入ってきた水色の文字を見た瞬間、思わず持ち上げたフォークを取り落とした。
 今日の日付の欄の上に書かれた“水”という文字。
今日が水曜日であることを示す何の変哲もないその文字は、この店ではなかなかに重要な意味を持っている。

 ――水曜日。
つまりは、この店の定休日だ。


 「……そうだった。今日、休みじゃねーか」

「何だ、忘れてたのか?」

「あぁ、すっかり…」


 ここ数日の間修羅場に突入していた文次郎の心配や店の新メニューの開発で忙しく、曜日などいちいち気にしていなかった為、すっかり忘れていた。
どうりで常なら開店前に何本かは掛かってくる予約の電話が、今日に限って一本も無かったわけである。


 「ちくしょう、ちゃんと確認するんだった…!」

「まぁ、偶にはそんなこともあるだろう」


 最初から定休日だとわかっていればもう少し文次郎の隣で惰眠を貪っていられたし、そうなればこんなに早く文次郎を起こすこともなかったというのに。
カウンターのテーブルに拳を打ち付けて悔しがる俺を宥めるように、文次郎の手が俺の頭を撫でる。
その温もりと優しさで、みるみるうちに心が落ち着いていくのがわかった。


 「ほら、早く食って寝直すぞ」

「…おう」


 俺はまだ眠いと言ってトーストを齧りついた文次郎に倣って、俺も朝食に向かう。
スクランブルエッグを口に入れるとチーズの塩辛さと卵のまろやかな甘みが口に広がった。
うん、チーズを入れたのは正解だったな。
その味に満足しながら卵を咀嚼していると、一足先に食べ終わったらしい文次郎がコーヒーに口をつけていた。
空の食器を重ねて脇に置いてあるところが几帳面な文次郎らしい。


 「文次郎、それシンクに入れといてくれ」

「あぁ、わかった」

 スクランブルエッグの最後の一欠を口の中に放り込みながら食器を指して彼に言葉を掛けると、文次郎は一つ頷いて重ねられた食器を手にキッチンへまわる。
俺も残っていたトーストとサラダを胃に収めると、そのまま食器を洗い始めた文次郎を追ってキッチンへ向かった。


 「よし、寝るか」

「おう」

 食器を全て洗い終わって乾燥機にかけてしまうと、彼が手をタオルで拭いながら声を掛けてくる。
俺もエプロンを外して壁に掛けながら返事を返した。
 文次郎はまだ眠気が抜けきっていないのか、小さな欠伸を零している。
そんな彼に内心で癒されながら二人で連れ立って二階に戻ろうとした、その時――。



 「おい、留三郎に文次郎!映画見に行くぞ!!」

「――はっ!?」

「こ…へいた…!?」


 ガランガランとなんとも喧しい音を立てて店のドアが開かれ、張りのある元気な声と共に見馴れた友人が姿を現した。
よく見れば後ろには他の友人達の姿もある。
気が付けばいつも何かしら理由をつけては度々集まるメンバーが全員集合しているが、これは一体どういうことだろうか。
 状況がわからずに戸惑う俺達を見て仙蔵が説明をくれる。


 「実は先日、仕事上の知人から映画のチケットを頂いてな。人数分あるということを長次に話したら…」

……小平太にも伝わってこうなったわけか。
 俺は事の顛末を理解すると同時に、意図せず深い溜息を吐いた。
隣で一緒に話を聞いていた文次郎も、呆れた表情で遠い目をしている。
 俺も文次郎も経験上、これから己の身に起こることをこれ以上ないほど正確に理解していた。
そして恐らく、それを回避する術が俺たちにはないことも。


 「いや、今日は――」

「俺たちはちょっと…」

「何だ、用事か?細かいことは気にするな!」

「小平太……」


 それでも文次郎と二人きりの休日が諦め切れずに一応抗議してみたものの、人の話を聞かない暴君相手では全くもって意味がない。
文次郎も隣で諦めたように溜息を吐いていた。


 「……諦めろ。……ああなった小平太相手では、何をしても無駄だ」

「大人しく出掛ける支度をした方が身の為だぞ」

「ほら、早く着替えてきなよ。……小平太に引き摺っていかれる前に」

「………はぁ」


 他のメンバーから口々に慰めともつかない言葉を掛けられ、もう一度深い溜息を吐いて文次郎を見る。
同時に此方を見た文次郎が自分と全く同じ表情をしているのに気づいて、何だか可笑しかった。
互いに顔を見合せて、苦笑混じりの笑みを浮かべながらどちらともなく並んで歩き出す。
行先は二階。
目的は、…外出の準備だ。


「着替えて来るからちょっと待ってろ」

「おー。早く戻って来いよ!」


 背中越しに声を投げれば、後ろから小平太の楽しげな声で返事が返ってきた。
 二階への階段に足を掛けながら、すぐ後ろに居る文次郎の手をとって皆からは見えない位置でこっそり繋ぐ。
せっかくの二人きりの休日を潰されたのだから、このぐらいは許されるだろう。
文次郎も文句は言わずに、黙って手を握り返してくれた。


「なぁ、文次郎」

「ん?」

「…来週の定休日は、二人で過ごそうな」

「…おう」


 二階に上がって部屋の前に辿り着いたところで、そんな言葉を交わす。
来週こそは二人きりの休日を過ごそうと指切りで約束して、俺達は笑顔で部屋のドアを開いた。



end.




――――――――

“アレグロ”のJAM.さんに相互御礼に捧げます。
JAM.さん、大変お待たせしまして申し訳ありませんm(_ _)m
やっと完成致しました。
こんなもので良かったら、是非お持ち帰り下さい。

それでは、相互リンクありがとうございます(^^)
これからも雪壬と愚者の功名を宜しくお願いします!




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