わたしは物を壊さない。

物を壊すと、その物体のことが可哀想という哀れみの気持ちが生まれてしまうし、自分がその物体によって傷つくかもしれないし、相手を傷つけてしまうかもしれない。

折原臨也という人間のことが大好きな人間は、周りのものを壊したくないから凶器に言葉を使っているんだろう。


暴力より言葉の方が、何倍も心に残るのに。

暴力は数年経って跡が消えるとすぐに暴力を受けたということすら忘れてしまう。でも、言葉は違う。一生心に貼りついて離れない言葉だってある。


わたしはずっと貼りついている言葉もなく生きてきたけれど、臨也さんに会ってからは色々な感情や言葉が貼りつきすぎて混乱している。


この前の泣いていたわたしに、臨也さんは「もうちょっと待ってて」とだけ言うとわたしの部屋から出ていって3日帰って来ない。

寂しかったわけじゃないけど、朝は臨也さんがいないから起きられないし、行くところもないし、やりたいこともない。
ただ寝ながら臨也さんの帰りを待っている。

これじゃあ、本当にペットみたいだ。


自嘲し始めた頃、まるでお手洗いに行って来ましたみたいなノリで臨也さんがけろりと露西亜寿司の握りセットというお土産と共に帰って来たときには、純粋に殺意が芽生えた。





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