FRONT AND REAR
「ねえ、シンジ君って甘い匂いがするね。」
カヲル君は鼻を僕の首筋に埋めてからそんなことを言う。
「ミルクみたいな優しい香りだ。」
僕は何も言わない。言えないんだ。こうして君に近づかれて触れられると、僕は無力になる。
だから僕はいつも反撃のチャンスを待っている。
僕はカヲル君みたいに好きな人を目の前にして奔放に笑えない。心臓がおかしくなるし、指先だって震えてしまう。
なのに君は余裕たっぷりに微笑んで、好き放題。どうして?
「シンジ君とキスしたいな。」
「………。」
「君の黒曜石の瞳に僕をいつまでも映していて欲しい。」
「………。」
「君の恥らう仕草はとても可憐だね。」
「………。」
「君とキス以上の事もしたいのさ。」
「………。」
「きっと素肌の君はもっと甘い匂いがするんだろうね。」
「………あ。カヲル君、」
『その服後ろ前だよ。』
「………。」
「ね?僕の気持ちがわかったでしょ、カヲル君。」
「…なら、脱ごう。」
「え!?」
カヲル君は向かい合わせに立ったまま、徐にTシャツを脱ぎ捨てた。イタリア彫刻みたいにすべすべで美しくて、完璧なフォルム。眩し過ぎてくらくらする。発光してるみたいなそれに、僕の体はむすむずしてきた。顔が火照って喉がからから。
「どうだい?僕はいつだって、君に欲を持っているんだ。君の服を脱がせたくて毎日あくせくしているのさ。余裕がある君が羨ましいよ。僕は君に夢中で、つい口説いてしまうと云うのにね。」
それはまるで、僕の方が愛情が足りないと言われているみたいでむっとした。余裕があるのは君の方だ。
腹が立った僕は勢いよくTシャツを脱いでから、床に放った。
「余裕があるのは君の方だよ、カヲル君。本当に余裕がない時はね、人はそんなにたくさん話せないんだ。」
「………。」
カヲル君は驚いたままに固まっていた。何も話せずにただ僕をじっと見ていた。
「ほらね!僕の言った通りじゃないか!いつも僕がどれだけ大変な目に遭っていると思ってるのさ…」
僕が言い終わると同時にカヲル君は僕の投げ捨てたTシャツを手に持って、ばさりと僕の首に掛けた。
「…僕は君とキス以上の事もしたいと言ったんだよ、シンジ君。そんなことをされたら僕は君とキスをする前にそれ以上に親身な事を無理矢理にでもしてしまうかもしれない。僕の苦労もわかってほしいよ、シンジ君。これでも相当余裕がないんだ。君の前で格好つけているだけで、僕だって毎日大変な目に遭っているのさ。」
「カヲル君…」
そうして僕は促されるままに服を着た。着てからちょっとした違和感に気づく。
「…あ、後ろ前だ。」
僕がそう言うとカヲル君がそれを見て思わず噴き出した。
「笑わないでよ。さっきの君だって相当可笑しかったんだよ。」
カヲル君は少しだけ笑いを我慢した後、また噴き出した。
「…もう。君が笑えないようにしてあげる。」
ふと僕の顔が傾き加減で君に近づくと、君の不謹慎な笑いが消えた。
初めてのキスは、意外にも僕からだった。
前後逆転だって?まさか。僕は反撃をしただけだよ。その後に僕らが言葉を無くして夢中になる行為はいつだってお互い様で、やっぱりカヲル君から僕の手をとって先を歩いてくれたんだから。
服を後ろ前に着るのは恥ずかしくて消えちゃいたい気持ちだけれど、僕らの場合は初めてのキスを思い出す。その為かはわからないけれど、未だにカヲル君はちょくちょくTシャツを後ろ前に着てしまう。
「…わざと後ろ前に着てるの?カヲル君。」
「ふふ。こうして着るといつも君からキスしてくれるからね。」
「もう!君にさりげなく気づかせてあげようと今までそうしてたんだよ!僕の優しさを返して!」
「君がキスしてくれるまでこう着ているよ。デートもこれで行こう。」
「…ばか。」
僕はぐいっと君のTシャツの裾を引っ張って、唇を君へと寄せた。
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