ほらは吹かない使徒の冒険


「ありがとう。」
渚カヲルはこの言葉をよく使った。

ありがとう、生まれてきてくれて
ありがとう、僕の側にいてくれて
ありがとう、僕と一緒に過ごしてくれて

けれど、誤用も多かった。

「ありがとう。僕と付き合ってくれて。」
「え?僕ら付き合ってたっけ?」
「これから付き合うのさ、シンジ君。」
シンジの顔は真っ赤になった。

「ありがとう。僕とキスをしてくれて。」
「え!?ち、ちょっと待っ…」
始めてのキスは突然だった。

「ありがとう。僕と…ひとつになってくれて。」
「え…」
緊張した声でそう言われたら、シンジは何も言えなかった。ぎゅっと掌を握り締める。

カヲルがありがとうと伝える時にお断りの選択肢がない事をシンジは何故か受け入れていた。カヲルが大好きだったから。

「ありがとう…僕と結婚してくれて。」
「…はい。」
シンジはそんなプロポーズに何の疑問も抱かなかった。もう既に慣れきってしまっていたせいもある。

けれどそんなシンジでも、やはり驚くこともあるのだ。

「ありがとう。僕と月へ行ってくれて。」
「…は?ふらいみーとぅざむーん?」
「ジャズスタンダードの話ではないよ。」
「え…ジョルジュ・メリエス?」
「僕はトリックフィルムならカレル・ゼマンが好きだな。」
「僕が『ほら男爵の冒険』を貸したんじゃないか……あ、まさか…!」

そしてふたりは月までハネムーンに行ったのだった。カヲルはシンジに月面で一輪の薔薇を手渡す。

「A.T.フィールドって万能だなぁ。」
「ペガサスには乗れないけれどね。」
「カヲル君、新婚旅行に月まで行くなんて、僕らはりきり過ぎだよ…」
「シンジ君、木星や火星にはどんな春が訪れるのだろうね。」
それを聞いてシンジは笑いながらカヲルの手を取りキスをした。
「ふふ。僕の心を歌でいっぱいにしてずっと歌わせていてね。僕にはカヲル君だけだよ。」
次の言葉は、君を裏切ったりしないよ、愛してる、だとジャズ好きは誰もが予想するだろう。シンジもそう期待した。
「ありがとう。僕と…」
「わああああああああああああ!!」
「どうしたんだい?」
「ダメだよ、流れが違うじゃないか。月までどれだけかかったと思ってるのさ!」
「…楽しかったじゃないか。」
「カヲル君、ありがとうって言葉はね、事後に使うものなんだ。事前じゃないんだよ。」
「そうなのかい?ありがとう……」
「……僕とアンドロメダまで旅してくれて。」

シンジはとんでもないヤツと一緒になってしまった。彼の足元では、私を月に連れていって、なんて実際連れて行かれた人の身になってみろと言いたくなる歌が蓄音機から流れてくるのであった。

「…僕は地球が恋しいよ。」
in other words,I love you.


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