第十八話から第十九話の間のふたりの物語
テンポは始まりへ
ふたりの甘い時の中へ
まるで王子様やお姫様が優雅に踊っている舞踏会。そんなものは夢や御伽の国の出来事で僕には無縁だと思っていた。
けれど今、僕はそんな夢の出来事の主人公になっている。僕等は羨望の眼差しを浴びて賞賛の輪の中にいた。
まるでふたりの皇子が祝福を受けるように。
ーーーーー…
「ねえ、だから、仕方が無いんだってば。」
「嫌な仕事なら断ればいいだろう?」
「直属の上司のミサトさんの命令だから、断れるわけないじゃないか!」
僕等は細やかな喧嘩の真っ最中。この犬も喰わないものの出処は今日の昼まで遡る。
「さーて、皆揃ったわね。では説明するとしましょうか。」
ミサトさんからの招集の命令が僕らの携帯を鳴らして、僕とアスカと綾波は放課後にネルフに集まった。それで指示通りにミサトさんのデスクの前に僕らは並んだ。
「実はね、今週末にパーティーがあるのよ。
ネルフへの寄付金を募る、早い話が資金集めのぱ・あ・てぃ・い、が!」
「ええ!何よソレ!土日はヒカリんちで女子会する予定なのに!」
「パ、パーティーって何するんですか?」
「まあ、お金持ちの方々が集まるからドレスコードで社交ダンスみたいなものよ。あ、未成年はフォーマルな場でお酒はダメよ。」
「しゃこうダンス…!」
僕の頭はその言葉を理解するのに時間が掛かった。そんなもの、日本の普通の中学生には全く馴染みがない。
「ええ!?冗談じゃないわよ。社交ダンスなんて知らないわよ。なんで未成年が酒の席に呼ばれんのよ?」
「まあ言い分はわかるわよ。でも可愛らしい少年少女のパイロットはネルフの売りなのよ。お金持ちにも受けが良いのよ。」
「そんなの、あのナルシスホモにホストでもやらせなさいよ!私達にも予定があんのよ!」
「アスカはすぐカヲル君に当たるんだから。ミサトさん、カヲル君も行くんですよね?」
今日の夜にしかカヲル君は出張から戻らない。だからこの招集にだけ呼ばれていないんだと思っていた。
「渚君はゼーレの大事なお仕事がその日あるのよ。ひっじょーに残念だけどね!」
ミサトさんはいかにも悔しそうにそう言っていた。無理もない。僕だって残念だ。きっとフォーマルな服で踊るカヲル君は大金を集めるだろう。絶対に世界一かっこいいから。
「…私、ドレス、持ってない。」
ぽつりと綾波が呟いた。
「それは勿論支給するわ。15時に全員ネルフに集合してドレスに着替えて、第二東京市までリムジンで行って、21時に解散して家まで送るわよ。未成年ですからね。」
「…私、踊れないわ。」
「それは今から練習よ!」
「「ええ!?」」
「ほら、みんなついて来なさい!」
そして僕らはネルフ内のマルチスペースなる所へ連れていかれて、待ち受けていた加持さんにみっちり社交ダンスの手ほどきをされたのだった。
ーーーーー…
「何故加持リョウジと踊ったんだ、君は!」
「え、そこ?だって加持さんが先生だったんだからしょうがないじゃないか。」
「…僕の居ない間に。もう少し待ってくれていたら僕が君に教えてあげられたんだ…」
カヲル君は本当に悔しそうにそう言うと、意気消沈したまま俯いてしまった。
「…僕、まだ基礎しか教えて貰ってないんだ。それにもう忘れちゃったみたい。ねえ…」
僕は項垂れているカヲル君の手を取った。
「…よかったら、僕にダンスを教えてよ。僕と一緒に踊ってくれない?」
するとカヲル君は水を得た魚みたいに瞳をキラキラ輝かせて嬉しそうに笑ってから僕の手を握り返したのだった。
ほら、最初のテンポはこのくらいだよ
こうやって左足を出すのさ
シンジ君はとても上手だね
踊っている君はとても愛らしいよ
…好きだよ、シンジ君
そうやって僕らは何時の間にか互いに抱き合ってキスに溺れてしまうのだった。
「本当はシンジ君には当日誰とも踊って欲しくないよ。」
僕らは今日も同じベッドの上で眠りにつくまで寝物語を囁いていた。
「だから、僕だって嫌だけど、ネルフの資金繰りの為だから仕方ないんだよ。」
「平和な世界では平和を守る為にお金を掛けようって意識が希薄だからね。」
「…ねえ、カヲル君はどうしても来れないの?僕、君が来てくれたら君と踊るよ。」
カヲル君は心底驚いた顔をして僕を見つめた。
「シンジ君、社交ダンスについて知っているのかい?」
「え、踊り方しかまだ知らないけど。」
「一般常識的には男女がペアになって踊るのが通例さ。外国のプロムの延長線みたいなものだよ。」
「プロムってあの、よくわからないけど映画とかで卒業前に開くパーティーのあれ?じゃあ僕らが踊ったらおかしいの?恋人だってわかっちゃうかな?」
「どうだろうね。それでも、君がいいなら、僕は君と一緒に踊りたい。」
カヲル君は真摯な表情で僕を見つめて、愛の告白のようにそう囁いてから僕の指先にキスを落とした。僕は月明かりの下で潤んで煌めくルビーのような瞳に思わずぼうっとなる。吸い込まれそうなくらいとてもロマンティックだった。
「…僕も…君と踊りたい。」
そうして僕は寝る前だと言うのにカヲル君にきつく抱きしめられて息も出来ない程の熱烈なキスをされてしまうのだった。
けれど、カヲル君はその週末は仕事に行ってしまった。僕はやっぱり寂しくて胸がすんと冷えてしまったのだった。
ーーーーー…
「アンタまだタキシードも着れないの?おっそいわねえ。私はメイクまで終わってんのよ?」
「もうちょっとだよ。初めてだからよくわかんないんだよ。カフスなんてした事ないんだから。」
そうやって僕らは初めての社交界デビューを迎えようとしていた。
「やってやるわよ。入るわよ!」
「あ、え、ちょっと…」
ガタンとドアを開けてアスカは男子更衣室に勢い良く入ってきた。
「…まあ、馬子にも衣装って感じじゃない。」
「どういう意味さ。孫?」
「アンタ勉強してんの?ほら、カフス貸しなさい。」
そう言ってアスカは僕の腕を掴んで器用にその装飾品を切れ込みに嵌めていく。その俯いた顔は少しピンク色だった。
「あら〜、ふたりともお似合いじゃない。まるで王子様とお姫様ねえ。」
ミサトさんと綾波もドアから入ってきた。ここの女子達は男子更衣室の意味を知っているのだろうか。
「ふん。私はお姫様よりもグラマラスなプロムクイーンって感じだけど、シンジなんてただの七五三じゃない!」
「それで孫!?失礼だなぁアスカは!」
「馬子にも衣装、でしょ。」
意味ありげにミサトさんが笑ったのでアスカは真っ赤になっていた。僕にはよくわからないから取り敢えずタキシードを整えた。
ミサトさんはシックな紺色のタイトなドレスを来ていて化粧もばっちりでとても綺麗だった。綾波は夜明けのようなドーンピンクと淡いラベンダー色のグラデーションのすらっとしたドレスでとても可愛かった。アスカはワインレッドの胸元が開いていて腰回りを絞ったドレスで背中から首に掛けて伸びたリボンを襟元で結んでいてとてもセクシーだった。けれど、こんな高いヒールの靴で踊れるのだろうか。
僕はと言うと、黒のタキシードにダークグレーのストライプのベストを着て黒の蝶ネクタイをしていた。胸元に白いハンカチを差して、いざ完成。着させられてる感が半端ないペンギンの姿になった。
「さーて、いざ、社交パーティーへ、出発よ!」
そうして僕らはネルフ主催の社交親睦会、別名資金集めに向かったのだった。
ーーーーー…
「こんな広い会場だったんだ…」
第二東京市は国の主要機関が勢揃いした、洗練された都市だった。厳かなビルや何が目的なんだかさっぱりわからないような立派な建物が列をなしている。その一角の映画に出て来そうな大理石のだだっ広い階段のレッドカーペットを登っていくと、楽団の奏でる上品なクラシック音楽と共に最上階級と云う振る舞いの着飾った大人達がシャンパングラスを片手に談笑をしていた。そんな中で十四歳の少年少女は珍しくて、ロビーに入るなり注目の的となる。僕らは見た事も聞いた事もない人たちに愛想笑いで会釈をし、話を合わせながら挨拶回りをさせられた。何度か冗談でシャンパンを勧めてくる大人にアスカがグラスを手に取るとミサトさんは嗜めていたけれど、そう言いながら自分は片手にグラスを持って、水のように次から次に手当り次第にそれらを空にしていた。
僕らはいよいよ大人達がくるくる回って踊り笑う優雅な大ホールまでやってくる。様々な色のドレスが揺らめいて、至高の旋律の中を行き来している。会場の隅々まで花や布で装飾された華やかな空間。そんな喧噪の裏側では大人達の欲が蠢き暗躍しているなんて、今は考えたくなかった。僕はこんな中でカヲル君が隣に居てくれたらどんなに幸せだっただろうと思ってしまう。
君のタキシード姿や銀髪が音楽の中でなびく様子。紅い瞳が僕だけを見ている景色。
「バカシンジ、ボケっとしてんじゃないわよ。ほら!」
アスカが僕の目の前で手のひらをかざす。
「何?」
「はあ?何じゃないわよ!踊るわよ。この美しいレディをエスコートしなさいよ!」
「ええ?踊るの?」
「その為に来たんでしょうが!バカね!加持さんの努力を無駄にするわけ!?」
「なら加持さんと踊りなよ。」
踊ってみたい気もするけど、カヲル君の手前すんなりいいとは言えない。
「加持さんはあそこよ、ほら!見なさいよ!あの飲んだくれとくるくる回ってるでしょ?」
ミサトさんはフィアンセの腕の中でうっとりともたつきながら踊っていた。加持さんはデレデレに目尻を垂らしている。
「あ〜、見てられないね…」
ー僕だってカヲル君とああしたかったのに。
「だから、私はアンタと踊るしかないのよ!行くわよ!」
アスカは無理やり僕を引っ張って踊りの輪の中に入った。僕はカヲル君とあれから毎日のように踊っていたから、随分ステップが上手くなっていた。
「アンタやるじゃない。見直したわ。」
「秘密の特訓をしたんだよ。」
「踊りたくないって言ってた割には乗り気じゃないの。やらしいわねぇ。」
「べ、別にいやらしくはないだろ!?あ、痛!アスカ、わざとだろう!」
「ふん。アンタが鈍臭いからよ。」
「ヒールで踏まれるのすっごい痛いんだからな!」
「あ〜ら、ならもっとちゃんとリードしなさいよ。スケベシンジ。」
「スケベじゃないよ!人聞き悪いなぁ!」
「あ。今私のグラマーなおっぱいを見たでしょ!エッチ!」
「誤解だよ!僕は踏まれてヒリヒリしてる靴を見たんだよ、穴が空いてないか。」
「失礼ね!私の体重で革靴に穴が空くわけないじゃない!バカ!」
そうしてまたいつもの夫婦喧嘩をしていたら、会場の雰囲気は一転、スローバラードが始まって、色とりどりのドレスがゆったりと花が舞うように寄り添い揺れている。
「…交代よ。次は碇くんと私が踊る番だから。」
「綾波…」
綾波がぐいっと僕らの間に入り、僕の手を掴んでより会場の真ん中へと縫うように歩いていく。そして僕らは会場の真ん中で手を取り合った。綾波は初レッスンの時、びっくりするくらいぎこちないダンスをしていたけれど、今日はとてもしっとりと流れるように踊っていた。
「…綾波、上手くなったね。」
「碇くんと踊りたくて、家で毎日練習したの。」
「え!?そうだったんだ。」
綾波は何に関しても直向きな努力をする、素直な子だ。
「碇くんも、上手になってる。」
「僕も特訓したんだよ。あれから毎日ね。」
「…碇くんは、誰と踊りたかったの?」
それを聞いて僕はどきりとしてしまう。胸の中で銀髪が揺れた。紅いルビーが煌めいた。
「…いや、今日はネルフの代表で来たからさ、恥をかきたくなかっただけだよ。」
「…そう。なら、その心配はもう要らないわ。私達、輪の中に居るから。」
僕は最初、綾波の言っている事がわからなかった。けれど周りを見渡してみて、ようやく気がつく。僕らが踊っているスペースは円のように空間を作っていて、着飾った大人達が溜息を吐きながら僕らふたりを見守っていた。口々に囁かれる、まるで天使ね、お伽話の中みたいだわ、お似合いのカップルじゃないの、なんて感嘆の声が聞こえてしまって、僕は真っ赤になってしまった。手にも汗が滲んでくる。意識すると僕は急に緊張して逃げ出したくなったけれど、案外きつく僕の手を握る綾波の手が僕を離してくれそうになかった。
僕らはそのまま踊った。会場の空気がまたざわめき出すまで。
がやがやと異様な空気のどよめきに僕らはふと立ち止まると、群衆を掻き分けて、シルバーの輝くタキシードが僕らの前に立ちはだかった。焦ったそうに僕らふたりを引き離して、僕の奪うように肩を抱いて体を寄せる。
僕はあまりの衝撃に、一瞬我を忘れてしまった。
カヲル君は光沢のあるグレーのタキシードに白のベストと淡い桜色のネクタイをしていた。ポケットに差すハンカチまで同じ淡い桜色。見るからに童話の中から飛び出して来た王子様が、息を切らして頬まで桜色に染めて、僕だけを見つめていた。
「…遅れてごめん。夕方までに仕事を片付けたかったのに、老人達が呑気でね。」
「…カヲル君、来れないって言ってたじゃないか。」
「どうしても休めない仕事だったからね。けれどこっちにもどうしても来たかったのさ。だから仕事を無理に早く終わらせて来たんだよ。確かな事では無かったから、君には言えなかったんだ。」
カヲル君は照れ臭そうに笑っていた。少し頬が緩んでいる。
「…とっても素敵だよ、シンジ君。まるで、御伽の国の王子様みたいだ。」
「それはこっちのセリフだよ、カヲル君。すごく、かっこいい。」
「僕と、踊ってくれるかい?碇シンジ君。」
僕の前で少し跪いた君は耳まで桜色にして、僕の胸の前に真っ白な指先をふわりと差し伸べる。まるでお姫様にプロポーズする王子様みたいに。僕を見上げるルビーの瞳は潤み、無数の星を散らして瞬いている。
「…喜んで。渚カヲル君。」
だから僕は君の手を取る。だって、本当に踊りたい相手を目の前にして、その手を取らないなんて本物のバカじゃないか。僕は踊らないバカになるならいっそ、踊るバカになろうと密かに覚悟を決めた。
黒のタキシードと銀色のタキシードが踊り出すと、場内は感嘆の溜息と、喝采の拍手と、不思議な笑いに包まれた。僕らの息はぴったりと合って、まるで永遠にオルゴールの上で踊っているふたりの踊り子のように回って揺れて、長い間周りの注目を一身に集めた。そうして幸せな幸せな時をたゆたってから、突然、黒と銀色がぴたりと隙間なくくっついた。
わあっと驚きの歓声が上がってからしんっと辺りは静まって、それからまた温かいざわめきに賑わっていく。
「…本当にするかと思った。」
「ふふ、して欲しかったかい?」
音楽の終わりと同時にカヲル君は僕の腰を思いきり抱いて倒れるくらいに後ろに反らせて僕に覆いかぶさるように身体を重ねたのだ。もう少しで唇が触れてしまうくらいに、その綺麗に微笑む顔が目の前にある。
「…してほしかった、かも。」
僕がそんな事を口走った途端にまたカヲル君の顔は隈なく桜色に染まる。
「…シンジ君。そんな可愛らしい事を言われてしまっては、我慢が出来ないよ。もう、ふたりの王子様はお城に帰らなくては。」
その物欲しそうに切なく歪んだ表情に、今度は僕の心臓が飛び出して、顔を真っ赤に染める番だった。
「…あ〜あ、やってらんない。何よ、アレ。バッカじゃないの。あ、シャンパンちょうだい!」
「ダメよ、アスカ。未成年でしょ。」
「ミサトだって、隅の方でブチュブチュいやらしいことやってたじゃない。あれはイケナイことじゃないの?」
「ハハハ、バレたぁ?私はやめろって言ったのに、あの馬鹿がね〜…」
「惚気てんじゃないわよ!どいつもこいつも。」
「フフフ、碇くんが攫われちゃったわ…あの変態に。」
「あ、アンタ何呑んでるのよ!?」
「…三杯目。なかなかイケるわ。」
「あちゃー…」
僕とカヲル君がその後リムジンで直帰の道中、車内でいちゃいちゃしている間に、間もなくひとりの不機嫌とひとりのお惚気とひとりの酔っ払いを載せたリムジンが出発したらしい。ふたりの王子様の物語はお城に帰っても終わらずに、何度も唇を重ねながら小さな舞踏会を開催して、魔法が解けると云う時間には踊り疲れてふたりして抱き合いながら眠っていた。
「シンジ君!」
翌朝上機嫌なカヲル君は僕に報告してくれた。
「ネルフからゼーレに報告が来たよ。かなりの資金が集まったらしい。」
「良かった。これで当分は平和なのかな。暫くは社交ダンスもお預けだね。」
「まさか!僕はこれを定期的に開催する様にネルフにもう通達したよ。」
「…はい?」
「僕はね、シンジ君。夢だったんだ。皆に見守られながら僕らふたりが恋人として抱き合う事が。」
「なんか表現がおかしいよ、カヲル君。僕らは社交ダンスを踊ったんだよ?ダンスパーティーで。」
「ああ、そうさ。僕らは包み隠さずに恋人の熱い抱擁を交わしたのさ、社交場でね。」
カヲル君は意気揚々を頬を紅潮させてルビーの瞳を恒星のように輝かせた。
「だから、僕らの為に、ネルフ社交親睦会は末永く続くのさ!ふたりの恋人達の為に!」
「カヲル君!それは職権濫用だよ!」
Dorce,Tempo Primo
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