赤い海から生まれゆく生命のかたち。境界線を持った限りある個体。波打ち際に打ち上げられた真っ白な肢体を晒した、銀色の濡れた髪。見開かれるその海の色に似た紅い瞳。

彼は徐に立ち上がる。何度か握り緩めた両の手を見やってから、宙を見上げる。そこには残酷な程美しい蒼穹を舞う、一羽の鳥。大きな翼を広げて碧の青さを切り裂くようにして遠くへと消えた。

「何で僕は生きているのだろう…?」



泡影



渚カヲルは第十七使徒、タブリスとしてその宿命を終えた。彼が最期に瞳に映したものは、彼を殺そうとする初号機の中で疲弊して涙すら枯れ果てたひとりの少年の姿だった。

ー君には悪い事をしてしまった…

ー出来る事ならそんな顔をさせたくなかった…

彼は最後の最後に自分へと頬を染めて微笑む少年の面影を脳裏に映してこの世界を去るのだった。彼の望んだ絶対的自由へと向かうために。その為にひとりの少年の掌を自らの血で染めたのだから。

けれど今、彼は赤く染まった波打ち際に立ち尽くしている。

「どうして僕は自由を手離して此処に存在して居るんだ?これは彼への裏切りじゃないか。」

彼は死して尚、人類の補完へと向かうその少年へ励まし対話した記憶を所有してはいた。けれども自らが個体へと望む過程については混沌と曖昧で、結局のところ己の心の中の意思と云うものをわかっていなかったのだ。

彼は薄く嘲笑してから裸足のまま歩き出した。永い永いひとりの少年へと続く道を。


「…やあ、シンジ君。」

「…うそ……」

彼が少年へと辿り着いたのはそれから三日目の事。少年が陸に上がって一年が過ぎた頃の事だった。彼は何ひとつ変わっていなかった。エヴァシリーズに乗ると身体的成長が止まってしまうらしい。彼は永遠の十四歳として、補完を促した張本人と世間から揶揄されるのを恐れてひっそりと以前彼の住んでいたコンフォート17と云う名のマンションで暮らしていた。街の復興はまだまだ目処が立たずに文字通り世界の終焉のような形でどうにか営みを繋ぎ止めていたようだった。瓦礫を内包して壊れかけた要塞都市は人工灯や生温い水道水を普及させ、辛うじて必要最低限の暮らしを上陸した人類へとあてがっているのだった。

「…ふふ。嘘みたいだろう?正直僕もそう思っている。君に会いたかったよ、シンジ君。」

「…カヲル、君……」

わなわな震えて目を見開いたまま固まってしまった少年を使徒は優しく抱き締めた。少年が恐る恐る指先を、銀髪の彼の何処かで拾って着用したカッターシャツに這わせてみると、確かに人の背中の感触だったのだ。だから少年は泣いた。噎び泣きながら何度も何度も使徒の名前を叫んで謝った。彼を殺してしまった事を。そして彼にとても会いたかったと、恋しかったと、そう口走ってしまう。

「…ありがとう、シンジ君。もう大丈夫だよ。僕は何処へも行かないからね。本当さ。ずっと君の側に居て君を守ってあげよう。ガラスのように繊細な君だから。」

彼は本心を言った。彼は他にする事も宿命も持ち合わせていなかったのだから。けれども彼は段々にどうして自らがあの赤い海から生まれる事になったのかを知る事になるのだった。


「…ねえ、シンジ君。どうしたんだい?」

「…別に、何でもないよ…」

シンジはカヲルの名前を呼ばなくなった。カヲルがいくら、シンジ君、シンジ君、シンジ君、そうやって彼を呼称しようとも、シンジはただ、え、何、どうしたの、などと言うだけだった。

「…僕の名前を呼んでよ。シンジ君。」

「どうしてさ。僕と君のふたりしか居ないんだから、必要ないじゃないか。」

すると使徒の胸がぎゅっと何かに締め付けられるのだった。彼はそんな事は初めての経験だったので心底驚いた。自らのコアにヒビでも入ったんじゃないかと思った程だった。

ーシンジ君は僕が死ぬ時こんな風に胸が痛んだのだろうか…

カヲルはゼーレの命令通りサードチルドレンに近づいた。彼にとっては人類補完計画も人類と使徒との闘いでさえどうでも良かった。ただの傍観者として面白半分でリリンの行く末を参観しているだけだったのだ。彼の思惑通りに碇シンジは彼になびいた。なびくどころか依存のように彼に傾倒していったのだった。カヲルは掌でシンジを転がすような快感を味わっていた。彼の云う好意とは死にゆく小鳥を慈しみながら笑顔で見届けるような痛みの無い達観したものだった。けれどもシンジはそうは思わなかった。友情や愛情と理解した。それは必ずしも外れてはいない。ただカヲルの好意はそう云うには決定的な何かが足りなかったのだ。だから逆説的に云えばカヲルはシンジを騙していた事になる。それが例え彼の意図していなかった事だったとしても。

けれどもそれだけではなかった。カヲルはシンジと心を通わすうちに自らも気づかない程の微かな変化を重ねていたのだった。それはシンジのはにかむ笑顔や触れ合う指先、交わす言葉から生まれた奇跡。彼のタブリスとしての自由な心はリリンの少年の繊細な心に触れて感化してしまったのだ。渚カヲルは碇シンジに知らず知らずに恋をしてしまっていた。その恋故に、自らが赤い海から生まれた事を彼はまだ理解してはいなかった。


「…ねえ、シンジ君…」

「なに…」

「どうして僕を見てくれないんだい?」

シンジは何も答えなかった。再会の日からふたりの関係は明らかに変わってしまった。シンジは最初の数日でカヲルの名前を呼ばなくなった。それからまた数日が経ち、今度はカヲルから目を逸らすようになってしまった。カヲルは焦った。あの日、名を呼んでもらえずに締め付けられた胸は、じくじくと化膿したように痛みが止まらない。毎日一緒に同じ部屋にいても、名も呼んでもらえずに目も合わせてもらえなくなり、カヲルはシンジがどんどん遠くへと行ってしまうような錯覚に眩暈がしていた。焦る彼は段々と余裕を無くすのだ。

「シンジ君、君が好きだよ。」

「僕らはもう二度と離れられないよ。」

「ずっと一緒だと、言ってくれないかい。」

「お願いだよ、シンジ君。僕に好きだと言っておくれ。」

「ねえ、シンジ君…好きなんだ、シンジ君…」

彼は毎分のように好意の言葉を囁き続けた。好きという雨を降らせては、それが伝わるようにシンジに触れた。シンジの髪、手の甲、頬、唇、背中、太腿、ありとあらゆる処に触れてはシンジを熱い眼差しで見つめた。けれどもシンジは俯いたまま耐えるように眉間に皺を寄せるだけだったのだ。

「…シンジ君……」

カヲルの胸は深い穴が空いてしまったようだった。苦しくて息が出来ない。そして彼はひとつ行動を起こすのだ。

「…シンジ君、君を愛しているんだ。本当だよ。シンジ君……シンジ君…」

ある夕立の後の燃えるような茜色の夕暮れを、今日もシンジは窓辺から眺めていた。日に日に無口になっていった彼は何も語らない瞳に毎日夕陽の色を映すのだった。その日はふたりの出逢った日と同じように残酷な程朱が赤かった。カヲルはシンジのその後ろ姿にあの日の彼を重ねた。自分の名前を呼び、自分を見つめ返して照れ臭そうに笑うあの日のシンジを想った。だから、彼は背中からシンジを抱き締めたのだった。

「…やめて、放してよ。」

「…シンジ君、大好きだよ。」

「…嫌だ。離れて。」

「…シンジ君、君を愛しているんだ。本当だよ。お願い。信じておくれ。」

「…嫌だって言ってるだろう!」

シンジは思いきりカヲルを突き飛ばした。カヲルはよろめきながら、シンジからその白い手を離す。そして力を無くしたように立ち尽くした。

「…どうして信じてくれないんだい?僕が君を愛していると云う事を…」

カヲルは知らなかったのだ。あまりに多すぎる科白は嘘のように聞こえてしまう事を。実際シンジの耳には既に、もう一度自分を騙す為の甘い罠の囁きにしか聞こえていなかった。

「…君が僕を裏切ったんじゃないか!それなのにどうしてまだ信じてもらえるなんて思っているのさ!」

カヲルはその言葉を聞いて足元から自らが崩れていく感覚に襲われた。あまりの苦しさにカヲルは部屋を飛び出したのだった。


けれど、カヲルは真夜中に帰ってきた。いつもそうしているように、シンジの布団に潜り、背中から彼を見つめるように少しの距離を空けて眠った。彼には行く宛も頼る先も無かったのだ。何よりもカヲルはもうシンジから離れる事が出来なくなってしまっていた。


シンジは眠っていなかった。シンジはガタガタと自動では無くなったマンションのドアを開けて、自分の布団に潜り込む床擦れの音を聞いて心底安心したのだった。カヲルが帰ってきたのだと。

シンジは内心ではカヲルを好きなままでいた。むしろ再会してから想いを更に募らせていた。多分自分はカヲルを愛しているんだとも感じていたのだ。けれども過去は変えられない。自分が心を許してから突然に酷い裏切りをしたカヲル。使徒であることも、ゼーレの差し金である事も秘密にして、ただのシンジへの好意だけだという風に近づいてきたカヲル。そんな彼をシンジは信じられなかったのだ。自分を裏切らない事を。自分を愛していると云う言葉そのものを。彼が自分に近づく程に怯えるのだった。もう一度悪夢はやってくると。カヲルは自分の目の前で消えてしまう。まるでそれまでの淡い恋心までが全て夢だと云うように。紅い瞳が微笑んだ優しい時間が全て嘘だったと云うように。だからシンジは今日も無表情で無口の鎧を被る。もう一度失うのが怖いから。

「…シンジ君、起きているのかい?」

シンジの心臓は飛び跳ねた。咄嗟に寝たふりをする。

「君の寝息を毎日聞いているんだ。君が本当に眠っている時はもっと穏やかに呼吸をするんだよ。」

「……なに。」

「僕は君が好きなんだ。」

「…そればっかり。」

「僕にはそれしかないからね。君を愛する気持ちしか。」

「…嘘ばっかり。」

「嘘じゃないさ。本当なんだよ。僕は君を愛している。」

「…そうやって、僕を騙してまた、裏切るんだろう。」

「まさか!そんな筈ないだろう。君を好きなんだから。」

「君はそう言ってから僕を裏切ったんだ。好きって言ってから。」

カヲルは何も言えなくなった。シンジの云う通りだから。シンジは小さく鼻をすすった。

「僕は初めて好きって言ってもらえてとても嬉しかったのに…」

シンジは耐えるように嗚咽を噛み締めて泣いていた。カヲルの目の前に涙を我慢するように薄く頼りないシンジの肩が震えていた。

思わずカヲルはシンジを背中から抱き締めた。数時間前とは違い、シンジは抵抗しなかった。ただカヲルの優しい腕を感じて涙を我慢出来ずにいた。彼は声も無くひたすら泣いた。

「…シンジ君…」

カヲルは上体を起こし、シンジの肩を引いて彼を仰向きにさせた。シンジは顔を隠すように腕で覆って泣き続けている。

「シンジ君、僕を見て…」

カヲルはシンジの腕を優しく解き広げると自身の手を重ねてシンジの耳の横で繋いだ。愛おしく指で指をあやすように撫でていると、泣き濡れた黒の瞳がゆっくりと開かれる。

「僕を、見て…」

シンジはじっとカヲルを見つめた。それだけでカヲルは胸が張り裂ける程に嬉しかった。その黒曜石の瞳に自分の顔が映っていれば、他に何も要らないとすら思った。

カヲルは嬉しさのあまり、唇を重ねた。本能の赴くままに唇を食み、舌を這わせて、シンジを誘うように舌と舌を重ねては、ちゅっちゅっとその舌先を吸ってみた。

彼の指先はシンジの身体のかたちを確かめるように動き回った。その動きはたどたどしく、腰や尻肉を摩ってはまた、手を繋いでみたりした。

カヲルは性交の知識を持ち合わせていなかった。彼は繁殖の要らない生物だ。永遠の命を持つ使徒に生殖は不要だった。けれど、彼は恋をしたのだ。その身体は好きな相手とひとつになろうとする。それなのにどうしていいかも分からずに、彼の肉体を作った遺伝子情報のみが彼の本能をかたちにするのを手伝っていたのだった。

そうしているうちに、カヲルは初めて勃起した。シンジに口付けをする程に身体を弄る程に素直にそれは膨らんでいった。シンジはカヲルのその反応を感じて、その熱情に悶えて自身も熱を昂らせてゆく。カヲルが喜ぶようにその膨らみをシンジの膨らみに押し付けて前後運動を繰り返した後に、彼は思いついたかのように自身の服をかなぐり捨てて、シンジの服を丁寧に脱がした。そしてふたりとも素肌になり身体を重ねると、その熱を帯びてしっとりとして吸い付くような互いの肌の感触にカヲルは全身を震わせたのだ。

「あ……シンジ君…シンジ、君……」

カヲルは声も体の動きも恥らうことなく我慢をしなかった。やり方もわからずに熱に浮かされて彼は上昇する熱に焦ったそうに身を捩る。けれど、シンジも自慰のやり方しか知らなかったのだ。恐る恐るシンジの指がカヲルの性器を握ると、カヲルは驚いた声を上げた。

「あ!…し、シンジ君……」

「…ん……カヲル、君……」

シンジが握りしめた指をゆっくりと上下に動かすと、カヲルはあまりの気持ち良さに喉を反らせた。そしてやり方を覚えたカヲルは真似るようにシンジの性器を握り締めてゆっくりと扱き出す。

「あ!ああ…!カヲル君…!」

「気持ち、いいかい?…シンジ、君、ん!」

ふたりの手は段々と速度を早めて先走りに濡れてちゅくちゅくと水音を鳴らした。そしていつの間にか互いにシーツの上で向かい合い、互いの肩に顔を埋めて、互いの高まる絶頂の予感に熱い呼吸を早めるのだった。ふたりの嬌声がどちらのものかもわからない程に重なってから、ふたりはほとんど同時に果てた。互いの腹に白濁した熱を勢いよく吐き出せば胸までそれらは飛沫した。

カヲルは射精してぐったりとしたシンジを抱き寄せて、歓喜のままに熱にとろけた瞳から透明な涙を零した。そしてそのふたりの愛の行為が終わらないようにと汗と精に塗れた身体を擦り合わせて、シンジの乳頭を口に含んで吸ってみたり、尻の割れ目に自身のまたすぐに固く立ち上がったものをなすりつけたりした。そして舐めることを覚えたカヲルはシンジの全身に隈なく舌を這わせて、シンジが堪らず泣くように喘ぐと、嬉しくて言葉を漏らすのだ。シンジ君、気持ちいいかい、ここが好きなのかい、と。その度にシンジは、カヲル君、カヲル君、としか言えなくて、それがカヲルにとっては堪らなく幸せだった。やっと自分を見つめて名を呼んでくれるその行為が、彼を満たしてゆく。実際シンジはカヲルの名を呼びながらふにゃりと嬉しそうに笑っていたのだった。こうしてふたりの拙い性交なのかませたじゃれ合いなのか曖昧なものはいつの間にか眠りの中に消えた。


そして明け方シンジははっと目覚めるのだった。彼は目の前で自分を抱きながら幸せな夢に微笑むように眠るカヲルを見て、酷く苦しい眩暈に襲われる。

ー僕は、やってしまった…!

ーこれじゃ、カヲル君が居なくなってしまう!

ーカヲル君が死んでしまう…!

シンジはカヲルが居なくなることをこの上なく恐れた。好きな人を自身の掌で潰す感触は生涯消えないトラウマを彼の胸に深く植え付けたのだ。

ーどうしよう!嫌だ、嫌だ…!もうカヲル君が死ぬのは嫌だ!殺すのも嫌だ…!

目の前で眠るカヲルを見つめた。美しい寝顔に愛しさが込み上げる。

ー…僕が居なければ…カヲル君は、僕に殺されなくて済むんだ……

そうしてシンジは少ない荷物をカバンに詰めて、日の昇る前にカヲルを残しマンションを出て行った。行く宛はない。けれども、カヲルが死んでしまうよりは何だってマシだったのだ。野宿だろうと、晒し者になろうとも、好きな人が死ぬよりはマシなのだ。

そして朝、気怠さに遅く目を覚ましたカヲルは腕の中にシンジが居ないのに気がついて飛び起きる。焦って何度も彼の名を呼ぶけれど、返事がない。気が動転して部屋中駆け回って気がつく。シンジの荷物がない。彼は部屋を飛び出して何度も愛しい名前を叫んで荒廃した街を駆け回った。夕方になると叫ぶ声は悲痛な泣き声に変わっていて、夜には愛しい人を怯えながら待ち続けて、一日前に熱いキスを交わした時間になってもシンジが戻らないのを知ると、声もなくいつまでも泣き続けるのだった。

カヲルはシンジを失くしたんだと思った。失恋をしたのだと。身体を重ねたことを自分だけが喜んで、シンジは嫌がっていたのだと。そう考えるとカヲルは死んでしまいたかった。あまりの苦しさにもう一度シンジに自分を殺してほしいとすら思った。どうして自分はまた生きることを願ったのか。シンジを失うくらいなら、死んだままでいればよかった。あの赤い海に溶けてしまっていればよかった。そしてカヲルは生殺しのような苦しみの中で知っていくのだった。自分がシンジに与えた苦しみを。自分がまた生まれてきた訳を。


一ヶ月が過ぎた。シンジは廃れた要塞都市の一角を歩いていた。シンジはあれから寝床を点々として、歩き続けていた。そうしてようやく決意したのだ。

カヲルはもう二度と居なくならないと言った。ならば信じてみようと。もう一度悪夢が起こるかもしれないと不確かな予感に怯えて逃げ出すんじゃなくて、悪夢がもう二度と起きないようにカヲルと向き合っていこうと。シンジは初めて身体を重ねた日のカヲルを想えば想う程信じてしまうのだ。彼が何度も何度も重ねた言葉は真心から生まれたものなんじゃないかと。その想いを強める度に確かめてみたくなるのだ。カヲルともう一度向き合って彼の心を聞いてみたい。そして彼は高鳴る鼓動のままに、自動ではなくなったドアをガタガタと開けるのだった。

ところがシンジの目に飛び込んできたものは見るも無惨な残骸だった。ありとあらゆる物が投げつけられて割れている。壁は穴がどこもかしこも空いて崩れかけていて、全ての窓ガラスは割れていた。カーテンを始め見渡す限り布は散り散りに破けて床に散乱している。その床の真ん中でカヲルは独りきりで蹲っていた。床には涙の水溜りが出来ている。もうどれくらい彼はそうしていたのだろう。彼の周りのフローリングには幾重にも爪で引っ掻いたような線状の痕が残っていた。

「…カヲル君?」

「………しんじ、くん?」

彼の力無い声に思わずシンジは駆け寄った。彼の側で座り、その崩れ折れた身体を起こして覗き込むと、カヲルは痩せこけて落ち窪んだ赤い瞳を微かに輝かせたのだった。

「うれしい…シンジ、君…戻ってきてくれたんだね…ごめんよ…僕はようやく、君の心を、知れた……辛い想いをさせてしまって、ごめん…シンジ君……」

「カヲル君!」

シンジは思わずそう叫んで彼のやつれ果てた身体を抱き締めた。そのままカヲルはずるずるとシンジの膝に頭を寝かせて涙を流しながら彼の腰に腕を回して抱き付いた。

「許してくれ…僕が悪かったんだ……もう二度と君を裏切らないから…本当だから…君の側に居させてくれ…愛してるんだ、シンジ君…君の事が、好きなんだ…」

「わかったよ。もう、全部わかったんだ…ごめんね、カヲル君。君にひどい事をしちゃったね…僕はもう何処にも行かないよ。本当だよ。君の側にずっと居るから、信じて、カヲル君……」


そうしてふたりはおあいこに傷ついてから、新しく愛を育み始めたのだった。





今日も復興を遂げた都市の片隅で、永遠の十五歳の使徒と永遠の十四歳の少年はひとつの部屋で愛を交わす。

「ねえ、カヲル君。明日は水族館に行こうよ。新しいのがオープンしたんだ。」

「昨日はプラネタリウムだったし、君はおねだりが上手だね。」

「今日はカヲル君のお願いを聞くから。ね?」

「君は本当、そういうのを何処で覚えたんだい?…じゃあ、そうだな、またアレをやって欲しいな。」

「アレ?」

「そう、この前お花見をした日の夜にしてくれた、アレ、だよ。」

「…もう!カヲル君はいやらしいなあ。」

「君が僕をそうさせたのさ。明日は水族館なんだろう?」

「ふふ。じゃあまず僕をその気にさせてよ。」

「いいのかい?じゃあさっそく…」

「あん!バカ!まだ朝食食べてる途中じゃないか!…あ!ダメだってば……ふふ。」


悠久の甘い営みを考えれば、あの再会の苦しみは泡影のようだった。それくらい、彼らの新しい時代は末長く続いたのだった。



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