X[. アンドロジヌスの気紛れに
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Case.4  アルギュロスは苦悩する



カラン…廊下に響く金属音。

「アスカ、何か落ちたよ。」

ひょいっと拾って掌を広げたら小さな銀色の笛だった。あれ、これって…

「あれ、僕の持ってる笛と…」

「うっさい!何でもないわよ!」

むしり取るように手の中のそれは奪われる。

「あ、でもそれ、僕も持ってる…」

「勝手に話し掛けないでよ、バカシンジのくせに!」

「はあ?いきなり何言うんだよ。」

さっきまで一緒に歩いていたアスカは有無を言わせず先に行ってしまった。アスカの耳がピンク色だった。

ー意味がわからないよ。

ーただ、僕も同じの持ってるって言いたかっただけなのに。


なんで同じものを持ってるんだ?


あれは元々同じ形の物が対になっていたんだけど、気がついたらひとつになっていた。滑らかな銀製で、細長い勾玉みたいな形で逆さに重ねるとぴったり合わさるようなデザイン。小さい頃、母さんの部屋にあったのを気に入って遊んでいたら、母さんが僕にくれた。僕は小さい頃、毎日のようにそれを持ち歩いていたらしい。母さんが前にそれを思い出して笑っていたから、久しぶりに想い出の詰まった小さな収納箱を開いてみると、黒革のケースの中には銀の笛はひとつしかなかった。そして僕は何となくそれを抽斗に入れてそのままにしていた。笛は失くしたと思っていた。けれど、さっきアスカは同じのを持っていた。とても珍しそうな代物なのに。


どうして?


僕はその銀の笛が頭から離れなかった。僕の悠久の繰り返しの記憶が、たまに時間軸を混乱させて、今の世界の記憶をモザイクにする。その色模様の氾濫から小さな銀色をずっと色塗れになって探していたら、七日後、どこからかまっすぐに澄んだ音色が聞こえてきた。




ーーーーー…

「碇くん、これ、作ってきたの。」

綾波がそう言って両手にころんと乗っけたシンプルな銀色の包みを僕に差し出してくれた。僕はそのシンプルというよりも無造作に飾らないと言った方が正しそうな物体を最初はなんだかわからなかった。

「ありがとう、綾波。」

そうとりあえず感謝を伝えてぐちゃぐちゃに歪んだアルミホイルを恐る恐る剥がすように開いてみると、中には長四角の程よく焼けたプレーンなパウンドケーキが入っていた。

「すごい!綺麗に焼けてて美味しそうだ。綾波がお菓子作りが上手だなんて知らなかった。」

「この前碇くんがくれたお味噌汁がとても美味しかったから、それから料理の練習をしてみたの。昨日やっと綺麗に焼けたから。」

綾波にしては饒舌に、ほんのり桃色に頬を染めて言ってくれた言葉に僕はじんわりと胸が温かくなった。

僕は過去の記憶を思い出してから、以前綾波が気に入ってくれたお味噌汁をあげた。いつも彼女は昼休みは何も食べずに読書をしていて、栄養面がずっと気になっていたから良い機会だと思った。案の定、綾波はお味噌汁を気に入ってくれて、僕はそれからお昼には彼女にお味噌汁とおにぎりをセットで渡していたら、最近は僕に悪いからと自分から持ってきてくれるようになっていた。

「すごく嬉しいよ。実は僕も最近お菓子作りにハマって練習してるんだ。今度上手く出来たら綾波にも持ってくるね。」

「また交換しましょう。私、碇くんと交換するの、好きなの。」

不思議な響きを持った真っ直ぐな言葉が僕の胸に染み込んで、思わず照れてしまった。

綾波はカヲル君ともアスカとも違って、まるで僕の為の親友を用意してもらえたみたいに、波長が合って穏やかな気持ちになれる。好きなものも似ていて、お互いの趣味が重なる度に僕はとても楽しい発見をしたみたいに嬉しくなる。でもきっとこれは、綾波が僕の母さんとの因果があるからなのかもしれない。この世界の綾波がどのように生まれ生きてきたかは僕はまだ知らないけれど、たとえもしまた彼女が母さんのクローンだったとしても、綾波は綾波だと僕はわかったから僕はその事実を受け入れようと思う。今こうして綾波がパウンドケーキをくれることの方が大切だから。




「センセはほんとモッテモテやなあ。綾波と浮気してるなんて知られたら、渚のヤツが暴走しよるぞ。ま〜た面白くなりそうやな。」

「…シャレにならないから、言わない方がいいよ。」

「なんやケンスケ、急に大人しくなりおって。お前までセンセにメロメロなんか。」

「ま、まさか!お前が長生きできるように忠告しただけさ…」

そう言いながらも相田ケンスケは、席に着いたまま身を屈めて、机の下でもぞもぞ元気になりつつある自身と闘っていた。




ーーーーー…

「ああ、これかい?つい先日、葛城と婚約したのさ。」

目の前でほくそ笑む加持リョウジに告ぐ。見れば分かる。大の男が左手の薬指にプラチナシルバーを嵌めていたら。それでも黙っていたら、僕の視線を無理矢理捕まえてこれ見よがしに翳してくる。契った相手への愛おしさと、自己愛の自惚れを込めながら。

「…それは…おめでとうございます。」

「渚君も時が来たら素敵な子が見つかって、その相手への責任を取らなきゃならない日が来るさ。」

僕は小さく溜息を吐いた。

「…では、仕事の話に戻りましょうか。」

そう、此処はゼーレの第二新東京支部。恋愛相談室ではない。

「君は好きな子はいるかい?」

「…次回の国連総会初日のスケジュールにある晩餐会の件ですが…」

「君は碇シンジ君を知っているね?」

僕の鼓動が変に跳ねた。さっきからずっと僕の頭の中を占拠していた愛しい想い人の名前が突然鼓膜に響いたものだから。気づかれただろうか。

「…ええ。でも、今の話とは関係ないでしょう。」

「あるさ、大アリだよ。」

無精髭をざらざら掻き、にやりと笑うそのいやらしい顔に不快感を覚える。

「仲睦まじいふたりの姿を何度か見かけたよ。とてもお似合いだね、君とシンジ君は。」

「……」

シンジ君をぼんやり想った。僕は君のその華奢な左手の薬指に品の良いプラチナを嵌めていた。そして僕等は同じ物を同じ指に嵌めて、堂々と手を繋いで街を歩く。途中、人通りの激しい横断歩道の真ん中で見せびらかすような恋人同士の深いキスをする。止まらない接吻がふたりに羨望の輪を作り、僕等は世界の中心になる。その妄想が僕の身体を疼かせて、また胸を苦しくさせる。


「シンジ君は俺の知る限りじゃ、とても繊細な男の子だ。他人に裏切られる事に酷く怯えて、けれども、純粋な優しさのままで他人に接する…君のような大人びた賢さはまだ、彼には無いよ。」

その不真面目そうな形の眼は、ちらりと冷たい光を帯びて僕を見定める様に眺めた。

「何が言いたいんですか?」

その眼が僕の願望の世界を崩して、僕の不快感は今吐き気に変わろうとしている。

「…君が委員会を通じて、彼に接触しているのかを知りたかったのさ。」

「……」

僕はシンジ君への絶対的な想いを、預かり知らない他者に疑われる事程、酷い屈辱は無いと知った。

「ふむ。けれど、それはどうやら俺の思い過ごしだったようだ。」

そのごつごつと節くれた指が銀の指輪を手持ち無沙汰に弄る。

「なあに、シンジ君は可愛らしいだろう?俺も年の離れた弟みたいに思っているのさ。」

加持リョウジは僕を見据えて微笑んでいたが、その眼は珍しく真摯に輝いていた。

「シンジ君をよろしく頼むよ、渚君。」

「…貴方に頼まれる筋合いはありませんよ。」

「君は相変わらず手厳しいなあ。それと…」

徐に腕を高く伸ばしプラチナシルバーを陽射しに当てるとその光沢が眩しく乱反射した。

「これは想いの形に過ぎないよ。誓いの指輪なんて物は、他者へ宛てた牽制の為の、唯の拘束具なのさ。」


『大切なのは約束を果たそうとする意志と相手を想い続ける気持ちだよ。』





ーーーーー…

「ねえ、カヲル君、今日はどうかしたの?」

夕食の支度を終えてもカヲル君はなかなか帰って来なくて、君が好きだと言ってくれたホワイトシチューはすっかり冷めてしまった。仕方なく僕がお風呂に入って出てきたら、リビングのソファでカヲル君は項垂れたように座っていた。

僕はカヲル君のスーツ姿がとても好きで、元気のない君を尻目にドキドキしてしまっていた。まるで新婚みたいだ、なんて恥ずかしくて絶対に言えないことを考えながら、僕はエプロンを付けてすっかり冷めて固まった僕らの夕飯を温めていた。浮き足立つ僕とは真逆にどんどん沈んでいく君が気がかりで、僕はついそう心配の声を掛けた。

「ふふ、何でもないよ。仕事で疲れただけさ。君のエプロン姿はとても素敵だね。まるで、僕の奥さんみたいだ。」

「…なら、スーツ姿の君は僕の旦那様だね。とてもかっこいい旦那様だ。」

僕は無理に戯けて取り繕う君に胸がつんと痛んで、柄になく君の調子に合わせてしまう。

「君は、僕の最高の、奥さんさ…」

そう呟かれた言葉があまりにも哀しい響きだったから、僕はシチューを温めていたコンロの火を止めてカヲル君の居たソファの方に振り返ったら、君がすぐ側まで来ていて足が竦む程驚いてしまった。

「今日はどう過ごしたんだい?僕の奥さん。」

カヲル君は笑っていた。でも、迷子で立ち尽くして泣いているみたいだった。

「…カヲル君…」

僕はふたりの距離をゆっくり縮めてゼロにする。そして君を抱き締めると、その口から安堵と期待の溜め息が漏れた。

向き直って紅の瞳を見上げたら、君が押し込めた哀しみがうっすら膜を張って潤んでいたから、僕は黙って君の手を取って、君をだだっ広いリビングの奥にあるベッドへと連れて行った。そしてベッドに腰掛けた君は促されるままにそのまま横になったから、僕も君の上に重なるようにして横になった。スーツ姿の十五歳の君とエプロン姿の十四歳の僕は、まるでいかがわしいままごとをしているみたいだった。

君の胸に耳を当てると鼓動が聴こえる。どくんどくんと跳ねるように早い鼓動だ。君が手を添えるようにして僕をふんわりと抱いた。

「君の奥さんの今日はね…」

この夜を取り巻く不思議なオーラに僕も呑まれて、僕は君が始めたお芝居を続ける。それはまるで叶わない夢をままごとで叶えているみたいに切なくて僕の胸をざわつかせた。

僕は今日、学校に着いたら綾波から銀色のアルミホイルに包まれたパウンドケーキをプレゼントされた。そして廊下を一緒に歩いてたアスカが銀の笛を落として何故か僕も同じ物を持っていた。放課後に寄ったネルフでミサトさんに会ったら加持さんと婚約したと告げられて銀色にダイヤがキラッと乗っかった指輪を自慢げに見せられた。

そのことをさっくり話してから、今日はいっぱい銀色を見た、と呟いたら、君が僕を抱えてくるりと体を回し、ふたりの上下を逆さまにした。手を突いて僕をまざまざと見下ろす君は今にも泣き出しそうだった。

「僕は君を永遠に愛する事を誓うよ。それに僕の手で君を誰よりも幸せにしたい…君は僕が誓いの指輪を贈ったら、嵌めてくれるかい?」

僕はびっくりして瞳を見開いた。

「カヲル君、僕らはまだ中学生だよ。」

「それでも、僕は誰よりも長い間君を愛しているんだ…!」

声があまりにも悲痛で、君の心が悲鳴を上げているみたいで、僕は思わず君の頭を引き寄せて僕の胸に埋めた。

「カヲル君…」

少し長めのあちこちにふわふわ跳ねた銀髪をあやすように撫でていると、指先が毛束とじゃれ合った。

ーあ、……

「ねえ、カヲル君。僕は銀色なら君の髪の毛の色が一番好きだよ。すごく綺麗な月の色だよね。今ね、僕の薬指に君の毛が巻きついて指輪みたいなんだ。僕は指輪なら、これがいいな。世界一綺麗な君の色の指輪がいい。僕がこうして嵌められるように、君がいつまでも僕の側にいてくれれば、僕は誰よりも幸せだよ。」

僕が言い終えると、君は何かが外れたかのように、泣いた。



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