ひたむきトラスター
いじわるツイスター 続篇



「はい。この前はどうもありがとう、シンジ君。」

カヲルの手からシンジの手へと渡されたそれは、三枚の百円玉だった。

「ふふ。負けちゃって罰ゲームも払えないカヲル君なんて、貴重なのを見せてもらっちゃった。」

それは数日前のことだった。トウジとケンスケが始めたツイスターを、カヲルはシンジと対戦するハメになったのだ。良いのか悪いのか、それは案外年頃の少年にはいやらしいゲームで、シンジの無邪気な応戦にカヲルの下半身は白旗を揚げてしまう。挙げ句の果てに、カヲルは勃起を抑えきれずにわざとシンジに負けたフリをしてからトイレに直行。溜まったものを抜かなければならない緊急事態。その後、友人ふたりがよそよそしかったのはカヲルにもしっかりとわかってしまっていた。

先にあのふたりに想いを暴露されてしまっては困る、けれど想いを告げて叶わなかったら友情も終わる、カヲルは数日間寝るのも忘れて悩み続けた。実際、答えなんてあの日のトイレで出ていたのだ。虚しく張り詰める自身を慰めていた時に、カヲルは思った。もっと、あのお尻に触りたい。それには友達の間柄じゃダメなんだ。


「…君にはあんな情けない所を見せたくはなかったよ。」


財布を忘れたカヲルはそう、罰ゲームで奢ることすらままならなかったのだ。そのマヌケな失態を告げてもボケ&ツッコミ担当の友人ふたりは不気味に押し黙りフォローはなし。そこで気まずい沈黙の後、愛しのシンジが渾身のジョークをひと言。

『仕方ないなあ、貸してあげるよ。こんな優しい僕に惚れないでよね。』

笑えなかった。


「あはは。カヲル君は完璧だから、少し抜けてる所がある方がいいよ。可愛くて。」

「君にはカッコイイって言われたいよ。」

「これ以上カッコよくなっちゃったら好きになっちゃうからやめてよね。」

「…本当かい!?」

「…冗談だよ。カヲル君、僕がボケても全然わかってくれないんだから。」

正直シンジにギャグのセンスは…無かった。

「……アハハ!面白い!」

「全く笑えてないよカヲル君。」

「…ごめん。お詫びに何かひとつ奢るよ。この前のお礼も兼ねてね。」

「ホント?やった!じゃ、さっそくコンビニ行こ!」

カヲルははしゃぐシンジを横目に炎天下のアスファルトの上を歩く。その頭の中は愛の告白をすることでいっぱいいっぱいなのだった。



「……こ、コレかい!?」

「え、なんでそんなに驚くのさ。カヲル君ってもしかして、ポッキー嫌い?」

コンビニのお菓子の棚には所狭しと色とりどりの新作スナック菓子。けれど、シンジの手には純然たる名菓、ポッキー。

「いや、シンジ君は、ほら、たけのこ味のチョコレートにすると思ってさ。」

「たけのこ味のチョコレートってなにさ!?たけのこの里だよ!しかも僕はきのこの山が好きなんだ。両者の争いは凄まじいんだよ。」

「ご、ごめん!僕は、君がそんなにきのこの里が好きだとは思っていなくて!」

「冗談だよ。もう。僕はたけのこ派。しかもきのこは里じゃなくて山だよ。もうどうしちゃったのさ、カヲル君。しっかりしてよ。」

カヲルはもう汗だくである。そんなカヲルにシンジは苦笑するだけで、さっさとレジへと行ってしまった。慌てて後を追いかける頃にはもう、無表情の店員がピッとバーコードを読み込んでしまっていたのだった。


カヲル君、ポッキーゲームしようよ!


悪魔がわざわざシンジの声でカヲルに囁きかける、そんな猛暑日。天を仰ぐ悩ましい赤い瞳。



「……ポッキーゲーム?」

「そう。知らないのかい?」

それからカヲルの部屋にやって来たふたりは麦茶を片手にベッドに座っていたのだった。カヲルの家にはギシギシ軋むこの安物のベッドしか家具がなかった。だからここはふたりの定位置だ。カヲルはさりげなくふたり分の麦茶を床に置く。

「ふふ。わかんないや。それ、ツイスターより面白い?」

「そうだね。僕はシンジ君とやってみたいな。」

ルールは簡単。両端からポッキーを食べていき、先に口を離した方の負け。

「…それって、面白いの?」

「度胸試しさ。君は僕には負けないんだろう?」

「でもそれってさ…」

シンジがポッキーゲーム最大のオチに気づいたかとカヲルは生唾を呑んだが、シンジはそれ以上何も言わず下を向いてポッキーの箱を開けた。

「…まあいいや。やってみようよ。負けないからね。」


こうしてふたりの戦いがまた、始まったのだった。


一回戦目。

「いくよ。」

ポッキーの先っちょを咥えるシンジ。

「…僕も、いくよ。」

その反対の端を咥えるカヲル。そして徐にふたりはポキポキとそれを食べ始めた。

しばしの沈黙。

「ねえ、途中で折れちゃったらどっちが勝ちなの?」

「……やり直すんだ。」

「ええ!?」

ポッキーをちょこんと咥えるシンジの可愛い顔が堪らない。近づく程に頬を染めて恥らうその顔の余韻に浸り、カヲルは汗ばむ掌を握り締めたのだった。


二回戦目。途中でまたポッキー折れる。残念な溜め息をつくシンジと熱い溜め息をつくカヲル。

三回戦目。折れた長さが自分の方が長いから勝ったと主張するシンジと、それを無視して次のポッキーを掴むカヲル。

四回戦目。ポッキーまた折れて、シンジが飽きて数本一気に食べ始めたのを無理やり静止するカヲル。

五回戦目。折れた音を聞いたシンジにつまらないと言われて焦り、ポッキーをその口に勢いよく差すカヲル。


そして、ポッキーは残り最後の一本。
十三戦目の最後の勝負。


「ねえ、これ、ちゃんと勝負つくかなあ。」

「最後だからね。キメてみせるよ。」

「…勝負がつかなかったら?」

「…もう一箱買ってくるよ。」

「ええ!?嫌だよ!もう飽きたよ!」

「……君が勝ったらたけのこの山をあげるから。」

「里だって。でも、わかった。じゃあ…カヲル君が勝ったら、君のほしいものをあげるよ。」

「その言葉、覚えていてね。シンジ君。」

そう。これはカヲルにとってはただのゲームではなかったのだ。


もう七回戦目くらいで軽く限界は超えていた。キスしたい。押し倒したい。体を触りたい。多感な時期に好きな子相手にこんなゲームはするもんじゃない。

けれどカヲルは試したかった。この恋に勝算はあるのだろうか。結果は白い指先で摘まんだ一本のポッキーが示していた。だからカヲルは涙目のまま汗を拭う。歪みそうな表情筋でどうにか笑顔を作ってみせる。

結果は惨敗。甘い空気になるかもしれない。もしかしたら流れでキスが出来るかも。そんな淡いカヲルの期待を裏切って、ポッキーは鮮やかなまでに折れてゆく。ポキポキポキ。

顔が間近に迫ると計らうようにポッキーは折れてしまう。それはつまり、そういうこと。シンジは意図的に折っているようだった。カヲルとキスするハメになるのは嫌なのだ。

一方的な恋だった。優しいシンジはやんわりとカヲルのそれを拒んでいる。告げる前に恋は終わろうとしていた。

ポッキーを咥えるカヲルの唇は震えている。心と体はちぐはぐなまま、カヲルは目の前の現実に小さなパニックを起こしていた。


カヲル君、ひと夏の恋の想い出に、キスしちゃおうよ!


頭の中の悪魔の声に天を仰いでも、もうしみったれた天井しか赤い瞳は映さなかった。


そして今、ついに十三戦目の火蓋が切って落とされた。シンジがポッキーの端を咥えてゆっくりと食べ進める。けれどカヲルは咥えたままだ。それを見つけてシンジは止まる。赤い瞳はじっとシンジを見つめていた。それに目を逸らしてシンジは伏し目がちにポキ…ポキ…とまたゆっくりと食べ始める。けれど、カヲルは食べない。ただシンジを見つめたまま、赤い瞳を揺らすだけだった。

残り1センチ。シンジは耳まで真っ赤にして立ち止まる。カヲルの頬も桜色に染まっていた。哀しい赤い瞳は涙を溜めて、濃紺の瞳を見つめる。少しの衝撃でそれは零れ落ちてしまいそうだった。

ポキ……

シンジはもう一口食べて、唇が触れそうで触れない距離に数秒耐えてから、ゆっくりと唇を離す。同時にカヲルの瞳からは一粒の涙がポロリと零れ落ちてしまったのだった。

「…わざと負けてあげたんだ。意気地なし。」

「シンジ君……」

「今日のカヲル君はテンパりすぎだよ。僕の渾身のボケにも気づかないでさ!」

「え…?」

「ポッキーゲームを教えたのは僕だったでしょ!何忘れてんのさ!ノリツッコミかと思ったら最後まで思い出さないなんて!ポッキーゲームのオチくらい知ってるよ!でもね……」

シンジは深呼吸してカヲルを見つめた。濃紺の瞳も涙でゆらゆら揺れている。

「僕のこと好きだったら、そんなノリでキスしようとしないでよ!」

「……知ってたのかい?」

「さっきまで知らなかったよ。でも八回戦目でやっと確信したんだ!」

八回戦目。シーツの上にあるシンジの手を握ろうとするカヲルとそれに驚き慌ててそれをかわすシンジ。視線を下げたその先にはーー

「好きじゃなかったらポッキーゲームで勃ったりしないよ。流石にわかるよ。僕だって。」

カヲルは今頃気づいたのか、慌てて前屈みになり自身のテントを片手で隠した。

「もう、テンパりすぎだよ、カヲル君。そこまで可愛くならないでよ。」

その苦笑する同情の響きに、カヲルは自身の恋が終わった、と思った。普段の憧れ混じりの声とは明らかに声色が違ったのだ。

「ん…ごめんよ……ずっとずっと、シンジ君のことが好きだったから…勇気が出なくて……」

耳まで桜色にして涙を掌で隠しながら、ついにカヲルはとても情けない愛の告白をした。

きっとこのおとぎ話から出てきた王子様のようなカヲルが、こんな残念な告白をするなんて、誰も予想しなかっただろう。本人でさえも。

「ねえ、僕なんかのどこがいいの?何もいいとこないよ。」

「全部好きだよ。君の何もかもが好きだ。」

「僕よりも綺麗な人や優しい人たくさん居るよ。」

「シンジ君が一番だよ。一目見た時から君しか考えられないくらい、君が大好きなんだ。」

「……そう。じゃあ、僕、勝負に負けたから、カヲル君のほしいもの、ひとつあげるよ。」

それを聞いて、シンジは自分を拒む代わりに何もなかったことにしてくれたのだとカヲルは思った。彼のその優しさゆえに。そう思い、カヲルの胸は悲鳴を上げる。

「…はは。そうだね。わかったよ…それじゃ、きのこのやーー」

「ちょっと待って!何言ってるの!?」

「ああ、ごめんよ。違ったね。たけのこのさーー」

「そういう意味じゃなくて…!」

シンジは勢い良く立ち上がった。

「君のほしいもの、あげるって言ってるんだよ!!」

カヲルは思案した。けれど失恋の痛みが強烈で全く頭が回らない。見上げるとシンジは真っ赤になりながら唇をわなわなと震わせていた。その激しい感情はどの色のものなのか。赤い瞳はぼんやりそう思いながら、そのふっくらとした淡い唇を眺めていた。

「……君とキス、したい。最後のキスだ。」

ポツリとカヲルがそう告げると、シンジは今度は力が抜けたようにベッドにしゃがみ込む。

「もう…今日のカヲル君はバカすぎる。それだけは絶対あげないよ。絶対に。」

「ふふ。何でもあげるってのは嘘だったのかい?君はそんなに僕とキスするのが嫌なんだね。」

カヲルは絶望のあまり顔を膝に埋めて頭を抱えた。数日前が懐かしい。三百円を渡す笑顔も、ツイスターでプリッと上がるお尻も。そうこのタイミングで思うくらいにカヲルの頭は混沌としていた。

「……僕はわざと負けたって言ったでしょ。」

そう言うと、シンジは両手でカヲルの顔を持ち上げて、とても優しいキスをした。ちゅっと触れ合うようなそのキスは、暗黒物質宜しく宇宙のカオスと化したカヲルの頭をスッと穏やかに鎮めてゆく。

「…シンジ、くん……」

「最後のキスじゃないよ。最初のキスだから。」

「え?」

「僕はポッキーゲームをしたくて、ポッキーを選んだんだ。」

「ええ?」

あの日、あの後カヲルが心配でシンジはトイレに向かったのだった。そうしたら自分の名前連呼する妙なカヲルの声を聞いてしまう。そしてあの友人ふたりの態度も明らかにおかしいと気づいたのだ。だから、カヲルの気持ちを確かめたくて、シンジはポッキーゲームをしようとした。けれども先にカヲルがそれを言い出して、ボケもツッコミも不在なまま、全くおかしなことになってしまったのだった。

「…カヲル君、僕、君のほしいものあげるって言ったんだから、冗談でも僕って言ってよ。僕だってカヲル君に好きって言うきっかけがほしかったんだから。」

「……僕が好きなのかい?シンジ君。」

「うん。言わないつもりだったんだけど、好き同士ってわかった…か、ら……」

シンジは急に逆上せたみたいに真っ赤になる。もう目の前のカヲルはいつもの通り完璧な王子様に戻っていたのだ。内気なシンジが調子に乗るのもここまでだった。

「もう…カヲル君はカッコ良すぎるから、少し抜けてる方がいいって言ってるのに…」

シンジは俯き加減でそう呟く。隣には生還したカヲルがほとばしる熱いパトスをみなぎらせて、シャキッと背筋を伸ばしていた。その自信に満ち溢れた微笑みはシンジを骨の髄まで火照らせるくらいの輝きを内側から発していたのだった。

「シンジ君は僕の何処が好きなんだい?」

「……全部、だよ。」

「他にも良い人は居るだろう?」

「…い、いないよ…そんなひと。」

「そう。なら遠慮は要らないね。さっき君も言っただろう?僕が勃起しているって。そんな僕に君はキスをした。ベッドの上でね。それがどんなに危険なことか、君に教えてあげようかな。」

カヲルの社会の窓はパンパンに張り詰めていてその形状を堂々と晒しているから、シンジは茹でダコのようになって思わずゴクリと喉を鳴らしたのだった。

「ふふ。冗談だよ。でもね、シンジ君。僕だって男だから、あのキスだけでは済まなそうだ。」

「うん。僕も男だから、同じだよ………Bまでなら、いいよ。」

困ったように照れながら真っ赤な頬でそう告げる可愛いシンジ。それを見てカヲルがシンジを押し倒すのは言うまでもない。ふたりはチョコレートとクッキーの味のする甘い甘いキスを堪能した後に、ちょっぴり大人なこともした。カヲルはちゃっかり念願のシンジのお尻を揉みしだいたのだった。Bの定義が上半身までとカヲルはちゃんと知っていたのに、見事なまでにとぼけたのだ。その確信犯は、少し抜けてる方がいい、というシンジの言葉をどんどん歪曲解釈してゆく。それは最後まで、止まらなかった。



昼下がりの微睡の中。窓の外に入道雲がそびえ立つ。真っ白な腕の中で濃紺の瞳は恥ずかしそうに小さく瞬く。

「…Bまでだって言ったのに。」


足元には汗をかいて床を濡らしたふたつのグラスが、薄い黄色の麦茶を湛えているのだった。



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