X[. アンドロジヌスの気紛れに
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Case.2  マンダリンオレンジの憂鬱



暗がりの部屋に怒号が響く。機械音が劈き、女性の叫び声が辺りを切り裂くと、重なる複数の足音、足元を軋ませて、何かが勢い良く割れた、銃声が数発轟き、欠伸も一発。

ー眠くなってきちゃった…

「横になりなよ。足をここに乗せて。」

そう言って膝をぽんぽん叩く君。

ーカヲル君のせいで眠いんだ。いつもは眠くならないのに…

映画を見るためだけに、今日殺風景な部屋には、大きなテレビとデッキ、そしてふたりで座るには広くて横になるには小さいふかふかの革張りの焦げ茶色のソファがひとつ突然に現れた。

借りた映画はいつもひとりで観る。だから集中できる。けれど今日はカヲル君とふたりで、いきなり現れた居心地良すぎる品のいい柔らかさのソファで腰を並べてふたりで観ている。正確には、君に腰を抱かれて君の肩に頭を預けていつの間にか絡んだ指先をそのままにして観ている。温もりがじんわりと伝わって、ひどく安心して、気がついたら瞼が重くて今のシーンが意味不明だった。


「…うん…」

君がソファの腕にこれまたふかふかに羽根のように柔らかいクッションを傾けて僕に頭を乗せるように促すから、僕はぼんやり従うと、クッションに頭が埋れて、なるほど、気持ちいい。君が僕の足をひとつひとつ丁寧に自分の膝に乗っけてくれて、なるほど、かなり、気持ちいい。でも、ちょっとした意地で僕は重く垂れ下がった瞼のまま、画面を見やる。シネマの緊迫してそうなワンシーンは霞んでただの色むらになる。君が僕の足を若干いやらしく摩っている気がして、ひとつ身動いだ。



ーーーーー…

「碇〜、またお前のダーリンのせいで騒ぎが起きてるぞ〜。」

「知らないよ、僕に言うなよ。」

「お前らが付き合っとることをはよ言わんと、委員長がぶっ倒れるぞ。」

「そうだよ、大々的に公式発表してくれよ。」

「僕もその方が嬉しいな。」

「わっカヲル君!いつの間に!」

カヲル君がいかにも嬉しそうにふんわり微笑んでいる。教室の外から悲鳴が幾つか轟いて、僕の肝を冷やした。カヲル君は見世物のように、クラスの外にまで見物客を増やしていた。転校してから噂が噂を呼んでエスカレートしたそれは一行に冷める気配がない。

ケンスケが僕らはバカップルだとか言い出して、勝手に秘密で付き合ってるとか言うから、僕はバレたんじゃないかと心底驚いたけれど、冗談めかして冷やかすだけだから、真意はわからない。だけど僕はケンスケが千里眼を持っているヤツだとも知っている。トウジは、きっと何も考えてないでただ楽しんでいる。カヲル君はそのからかいが何故か大好きで、このパターンが来る度に心底嬉しそうに周りの目を憚らずに僕にいちゃつくから、僕まで変な歓声を浴びて、もうなんだか消えてしまいたい。もしケンスケが全てを見越してこんなことを言い始めたなら、ヤツは本気でエヴァのパイロットの座を狙っている。

「きっとクラスの為にも僕らの事は打ち明けるべきだよ。委員長さんも困っているよ。」

そう言ってどさくさに紛れて僕の腰を抱き寄せたから、クラスメイトまで、ヒューヒューと野次を飛ばして盛り上がる。それを聞いてカヲル君の顔がまた一段と幸せそうにぱあっと明るくなった。絶叫の嵐。これは、まずい。

ーみんなは冗談だと思っているけど、彼は本気なんだ…やめてくれ…これは、ユーモアのある切り返しなんかじゃない…彼の笑顔は演技なんかじゃない…一歩間違えたら壮絶な悲劇になるんだよ、みんな…やめてくれ…

「あ〜アホらし!」

鮮やかにこの場を切り裂いたのはアスカだった。

「いやらしいったらありゃしない。アンタもされるがままになってんじゃないわよ。ケツが狙われてんのよ。」

そう言って僕の腕を引っ張ってカヲル君から無理矢理引き剥がして、前のめりになった僕の突き出たお尻を見事に蹴り上げた。

「いったあ…!」

またぎゃあぎゃあ歓声があがって、三角関係だ、だの、元の鞘に収まった、だの、罪なヤツだ碇は〜、だの、渚様頑張って〜、だの身勝手な野次が次々に飛び交う。

ーみんな、当事者の僕はただお尻を思い切り蹴られただけなんだよ…

「シンジ君が可哀想だろう。僕が狙っていると言うならシンジ君のお尻に少しは配慮したらどうなんだい。」

ーカヲル君、論点ずれてる…

「はあ?何気持ち悪いこと言ってんのよ!アンタゲイなの?」

「君こそシンジ君の恋人なのかい?」

「ただの幼馴染みよ…!幼馴染みの私にはコイツのケツを蹴り上げる権利があるの。アンタこそ、なんだっつってんのよ!」

「僕はシンジ君の恋人だから、シンジ君のお尻を守る権利がある。」

「ついに認めたぞ〜!委員長〜!」

「ハイ、みなさん、そういうことだそうですので、各自の教室へ戻ってください!他人の立ち入る隙はありません!それにもうすぐ次の授業が始まりますよ!」

「もうお前らの渚様〜はヨソサマのもんや!頼むからもう帰ってくれ〜!」

しっしっとトウジが厄を追っ払うように手を払ったら、みんな渋々と空気を読んで帰っていく。僕はカヲル君を見た。あれ程内緒と言ったのに…!君はあっさりと認めて勝ち誇ったほくほくの笑顔をしている。

「センセはいい旦那を見つけたなあ。感心やわ〜。自らを差し出して場を収める自己犠牲の精神!たまらんわ〜。」

「渚君、ありがとう!」

委員長が僕らに手を降ると、クラスから何故か拍手が沸き起こった。

「碇も料理上手のいい奥さんになるから、きっともうこのふたりもクラスも安泰だな、おめでとう!ふたりとも!」

ケンスケが悪ノリしてそう続くと、おめでとう!と野次半分感嘆半分の不思議な歓声が起きて、僕はこのカオスに口をあんぐり開けて目を見張っていた。すると、カヲル君が、僕達祝福されてるね、と耳元で囁いて調子に乗って僕を抱き締めるから、悲鳴と笑い声が教室中に響き渡った。こんな騒ぎを収めるのが委員長のはずなのに、彼女まで褒めるように僕らに拍手を送っている。

ーやめてくれ、彼は本気なんだ、空気を読み違えて勘違いしてるかもしれないんだ、本当に…

「バッカみたい!なんなのよ、みーんなイカれてるわ!」

ぷいっと踵を返したアスカを僕は見ていた。なんとなく寂しそうな背中だった。チャイムまでが哀しく響いて僕には聞こえた。

「何をしている!そこのふたり!やめなさい!破廉恥極まりない!」

先生の声で我に返り僕が飛び退いたら、教室中が笑った。


それにしても、カヲル君は、すごい。あのアスカを封じ込めて、男同士で恋人だという爆弾発言をしても、何故か温かく受け入れられてみんなから英雄視されてしまっている。僕はカヲル君を少し見くびっていた。彼には場を変えてみんなを導く天賦の才がある。


ーーーーー…

静まり返った教室で、帰ろうと机に引っ掛けていた鞄を机に置いて中に今日配られた課題を入れようとしたら見慣れないものがあった。赤い女の子らしい小さなバッグがあって、中身を見たら、映画のディスク。ライトグリーンの小さなメモが幾つか貼ってあって、拙い字で映画通そうなチェックポイントと、ドイツ語のサインと、メッセージがひとこと。

『アイツにヘンなことされたら、わたしがころしてやるから、ちゃんといいなさいよ!』

「相変わらず品がなくて、汚い字だね。」

アスカが拙い字なのは幼少期の前半と小学生の半分以上をドイツで過ごし、日本とドイツを行ったり来たりしていたため、日本語を書くのがまだ苦手なのだ。

「カヲル君!覗かないでよ。」

「もう僕は君と晴れて恋人同士なんだから、構わないだろう?」

「恋人でも、手紙は勝手に見ちゃダメだよ。」

「これは落書きだろう?」

「もう、カヲル君はアスカに厳しすぎるよ。」

「君のお尻を蹴った恨みは一生残るのさ。」

「お尻お尻うるさいよ、もう!…わ!」

機嫌の良い君は盗むように僕のお尻をするっと撫でた。

「カヲル君!」

「ふふ、ごめんごめん。で、それはなんだい?」

「これは映画だよ。昔からアスカが貸してくれるんだ。」

「…なんでセカンドが君に貸すんだい?」

「それは、アスカが映画が趣味で詳しいから、良い作品はいつも、観なさいって貸してくれるんだ。」

「主観を君に押し付けている訳なんだね。」

「違うよ、色々知ってるしセンスがあるんだよ。貸してくれるのはいいものばかりだよ。」

「…ふうん。じゃあ、僕もそれを確かめたいから、一緒に観ようよ。」

「うん、いいよ。今日僕の家に来る?」

「いや…明日観よう。明日僕の家へおいで。」

「うん、わかった。楽しみだね…でも、昨日みたいなことをしたら、僕はもう一生君と映画観ないから。」

「わかったよ。君といつか映画館へデートに行きたいから、ちゃんと我慢する。」

僕が睨め付けて口を尖らせたら、カヲル君はみんなが卒倒するような綺麗さで、にこりと笑った。


そして次の日にはカヲル君家のリビングで、大きなテレビとデッキとソファが僕を出迎えることになる。



ーーーーー…

シンジ君は寝てしまった。今日はふたりで部屋着を着ながらまったり君の好きなハーブティーを飲んで映画を観ていたけれど、君は途中で夢の中。カモミールやラベンダーが入っていたから、鎮静効果があったのかもしれない。ぐっすり眠る君の横顔。

君を起こさないように君の足の下から抜け出して、ソファから立ち上がる。すると君が微かに呻いて身動いで身体を縮めて横向きになる。大きめの部屋着から臍が顔を覗かせている。風邪を引いてしまうかも。

裾を下に引っ張る前に腰の括れたラインを見る。神秘的で美しい繊細な曲線だ。僕の心を掴んでもう二度と離さない甘美な誘惑。すっと裾を捲り上げ、背中を露わにする。そっと指先で撫で上げると、ぴくりと背中をが反った。

ー指先、冷たかったかい?

「おやすみ、シンジ君。」

背中に優しいキスを落とす。

ー君は、僕の恋人だよ、シンジ君…

ーけれど、君はたくさんの好意を集めているから、僕はまだまだ安泰ではいられないね…

僕は映画を消して君を抱いてベッドに運んだ。マンダリンオレンジから君を隠すようにして。



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