XW. プリズム・スペクトル






誰かが
運命は全ての細胞を突き抜ける衝動
と云っていた





僕らは悠久の記憶を持ち合わせていながら、大人になった記憶はない。少年のまま精神は背伸びして、けれど十四、五歳の多感なままの肉体に閉じ込められている。だからアンバランスな僕らの心は、危なっかしく互いに触れ合う。



ふらふらとした足取りでいつの間にか自室の前に辿り着いていた。ロックを解除して重い扉を開けると、電気を点ける前に気付く。僕のではない、靴。その見慣れたスニーカーに胸が酷く跳ねた。それに続いて上昇する鼓動。けれど、辺りは真っ暗に明かりひとつ灯されていない。僕は、目が慣れてきて、暗闇のままリビングまでの廊下を進んだ。

リビングは青白い月明かりが窓に切り取られ幾何学模様を垂れ下げていた。けれど、その中で唯一、有機的なシルエット。綺麗な丸いかたちの頭をした少年がこちらに背を向けて照らす月を眺めていた。

フローリングの軋む音にも気を取られずに寡黙に夜の明かりに照らされる君はとても神秘的で美しい。

叫ぶ様に込み上げる心。まるで僕を待っている様な無防備な背中に恐る恐る手を伸ばす。君の愛おしい名を添えて。

「シンジ君…」




ーーーーー…

見つめ合う。ただそれだけなに、全身が激しく脈動する。ふたりの過ぎ去りし永すぎた距離がそれを加速させている。全ての細胞が震えて僕に君が突き抜ける、その衝動。

「僕はカヲル君にひどいことをしたんだ。」

真摯な瞳からは強さを宿した青が瞬いている。噛みしめるようにゆっくりと告げられた言葉はシンジ君の確かな意思とは裏腹に僕には思い当たらる節が無くて、つい眉を寄せてしまう。
こんなに傍に居るだけで狂ってしまう程に、君を求めてひとつになろうとする原始的な感覚の中に、ぴりっとその他者と云う概念が、極めて当たり前の知覚が僕の胸を染め上げる。

「…酷い事をしたのは僕の方だよ。」

「違うんだ。僕はあれから色々考えて、どうしてあんな風になってしまったのか考えたんだ…」

段々と首が傾き俯いてゆく。何か伝えようとする君を見守っていると、先程離れていった君の手がおずおずと僕のそれに触れた。ひとつひとつの感触を確かめるように絡まる指先は冷たく湿っていて、君の心の緊張を表していた。

「うまく伝えられるかわからないけど、聞いてて。」

奥ゆかしいその仕草に僕の胸は温かく満たされてゆく。期待と不安を織り交ぜながら。

「僕は…不安だったんだ。カヲル君と僕の世界と、この命で今まで生きてきた平和な世界が、壊れてしまうんじゃないかって。」

月明かりを湛えて揺れる青の瞳はとても静かだった。

「君が…使徒だから、うまく僕以外の世界に馴染めないんじゃないかって。それにこの世界はとても平和で、普通じゃないものはとても目立つんだ。」

「普通じゃないもの…?」

僕の胸がちくりと痛む。僕だけの孤独が疼く。

「カヲル君が僕に向けてくれる愛情が…その…」

申し訳なさそうに君ははにかみながら、懸命に言葉を紡ぐ。

「日本の中学の教室では、珍しいんだ…じ、情熱、的、だから…」

痛みが向かった先とは違う着地点に拍子抜けする。君は少し声を震わせて熟れた林檎の様な頬で、僕はふたりの時ならとても嬉しいんだ、とむず痒そうに語尾を繋いだ。それは冷たい緊張を溶かして僕の内側を温かく染め上げる。

「それに、僕の友達とも仲良くできるか不安だったんだ。アスカに対しての君は、すごく、冷たかったから…」

「それは、彼女に嫉妬したからだよ。」

「え?」

「僕は彼女に嫉妬した。」

頭が追いつかないと云うような驚いたままに薄く開かれた唇が可愛らしい。僕は何故かその表情に安堵する。さっきまで渦巻きながら氷結していた感情が雪解けの様に言葉を落とす。僕は肺から深く息を吐き出して、この先を続けた。

「君が彼女とまるで夫婦みたいだと言い掛かられていたから、悔しくて、意地悪したんだ。」

「へ?」

「君が僕以外の人と仲睦まじく例えられるなんて妬けて仕方が無いよ。」

そう伝えると両手を伸ばし君の肩を掌で包む様に優しく掴んだ。

「あ、あれはただの冷やかしじゃないか!変な意味はないよ!」

「それでも嫉妬するよ。」

言ってしまえば、後は雪解けの水の様にさらさら流れてゆくだけだった。

「僕だって君と夫婦みたいだと言われたい。」

「な…!」

シンジ君はこれ以上無いくらいに耳まで真っ赤になった。様々な感情が入り混じったような複雑な表情をしている。

「だってそうだろう?本当に夫婦みたいなのは僕等の方じゃないか。」

そう言って僕は手をぐっと引き寄せて足を半歩前に出した。



カヲル君は僕の肩を抱き寄せるようにして僕の頭にキスをした。髪越しに伝わる柔らかな温もりが僕を気が遠くなる程落ち着かせた。


ー君を使徒だからって心配したのに…

ーとても人間らしいじゃないか…


ゆっくりと離された唇は目の前で綻んで静かに笑う。繊細な柔らかな輪郭がぼうっと発光しているみたいで、月夜に浮き上がる色白の君はこの世のものじゃないくらいに綺麗だった。濡れた紅い瞳がきらきら輝きを揺らして、触れたら消えてしまう魔法のように儚げだった。僕の愛しいその人の全てが奇跡からつくられているんじゃないかと、つい思ってしまう。そして僕が瞼をひとつ瞬くと時計の針がひとつ前に進んだ。


「僕はヒトにはなれないけれど…」

滑らかな唇の動きに僕の目は釘付けになる。

「僕は君の異性にもなれないけれど…」

肩に触れていた君の掌が僕の腕のかたちを確かめるように愛おしそうに滑りながら指先まで下りてゆく。そして僕の指先は君のそれに絡まって喜びを胸に伝えた。どくん、と大きな心臓の呼応に目醒めが体中に飛散してゆく。

「僕は君が大好きだよ、シンジ君。」

きつく握り締められる指先は、そのままに僕の心臓までをも掴むよう。

「ずっと昔から君だけを想ってる。君を想えば想う程、君を深く好きになる。君が僕を見ていてくれるだけで、その気持ちは重みを増すのさ。君への気持ちは誰にも負けないよ。だから…」

君は深呼吸した。その微笑みを絶やさない綺麗な顔の端々は緊張していて、僕を驚かせた。

「僕は君の最高の恋人になれる様に出来得る限りを尽くすから、ずっと僕の恋人でいてほしい。」

僕の細胞の全てが叫ぶように痛くて堪らない程、君が愛おしかった。この気持ちはどんな言葉を並べてもとても伝わりそうになくて、悔しい。

君は言い終えるときつく唇を結んで、瞳はぎりぎりの表面張力で零れそうな涙を湛えていた。うまく笑えずに震える表情が、僕が君を深く傷つけていたんだと知らしめていた。


僕は君を世界でひとりぼっちにしてしまった。君は僕に決してそんなことをしないのにーーー


「カヲル君…」

ゆっくりと君の指先を連れて君の頬の高さまで持ち上げる。左右の僕の掌が君の頬に触れて君の指が僕の指に重なる。それらは密着して君に熱を伝える。

「カヲル君…」

そうして僕より少し背の高い君の顔を両の手で引き寄せたら、その意味を知った君ははっと息を飲んだ。僕も少しだけ背伸びをして顔を寄せて小さく傾ける。君もそれに応じて反対側に顔を寄せて小さく傾ける。僕がより仰げば、君はより俯き、ぴたりと唇が合わさった。

まるでひとつの生き物のような意志の疎通が堪らなく嬉しかった。僕から導かれたそれに君は瞳を閉じて溜めていた涙をぽろりと零した。その涙が僕と君の指先に染み込んで、君と僕の唇は互いの存在を確かめてひとつになろうとするように上唇や下唇を甘く啄み、角度を変えてはより深く繋がろうとした。

君の歯列をなぞる僕の舌に君は昂るような熱い溜息を鼻からくぐ漏らして、君の舌が僕の拙い舌を下側から沿わせて口内へ連れてゆくように滑らかに誘った。君の口内を君がしてくれるようにして弄る僕は君よりも低い位置から上を向いているために、程なくしてふたり分の唾液をごくりと飲み込んだ。それに煽られた君が今度は僕の口内に舌を侵入させる。荒々しさと優しさが入り混じったその圧力が僕を興奮させる。

互いの舌を絡まらせているとその水音が静まり返った闇夜の部屋の中で際立ち、月明かりに照らされて重なったふたりの影がとても背徳的だった。

やがて僕からの初めてのキスは想いとは裏腹に離れていく。本当はもっと食べてしまうくらいにめちゃくちゃになって、心も体もひとつになりたいのに、それは突然に終わりを告げる。ふたりの唇の間の透明な糸をふたりの目は追い、溺れかかった荒い息を整える。そして、君よりも早く、息に言葉を乗せる。


「ひとりぼっちにさせて、ごめんね、カヲル君。僕は、君を知らず知らずのうちに傷付けていたんだね。」

ー荒い呼吸の名残りで半開きの口の君はいつもより幼くて…

「君は僕の最高の恋人だし、それはずっと変わらないことだよ。君はそのままで、ありのままでいいんだ。僕にもそう言ってくれたじゃないか。」

ー濡れた紅い瞳は僕をただ見つめていて、ほんのり赤く色づいた目尻がいつもより頼りなくて…

「僕にもそれが、いいんだ。君のままがいいんだ。君にちゃんと伝えられてなかったね。ごめんね、カヲル君。もう君にこんな想いをさせないように僕も頑張るから…もう、そんな風に悲しまないで。」

ーそんな君を包み込んでいつまでも癒してあげられたら、と想ってしまう。いつも守られてばかりの僕だから、いつもより弱々しく涙を流す君を見つけたら、今度は僕が、守りたいんだ。



温かい言葉と共に僕の目尻をシンジ君の指先が拭う。僕は揺り籠に揺られている赤子のようにきっと安心した腑抜けた顔をしている。君からの初めてのキスが僕の身体の隅々まで潤して、その灼熱で蒸発させてしまった。その鮮烈な歓喜に思考回路もたどたどしく、ただ君のその言葉が僕の鼓膜を優しく震わせてそのままに全身に脈々と駆け巡る。君からのキスは、ずるい。全ての哀しみも切なさも苦しさも覆して、それはこの瞬間の為の小さな我慢だったんだと思わせる。受難の試練はほんの一瞬の接触で、熟した果実の甘味を引き立てる為の細やかな酸味になってしまった。君はずるい。そして君は、最高に、愛おしい。

「ありがとう、シンジ君。」

僕の指先は君を探して君の頬に触れた。互いの腕は交わり、互いの顔を包んでいる。

「君の恋人になれて、君から心を貰えて、僕はとても幸せだ。」

ー僕をこんなにも揺さぶる君という存在に、僕の世界はこんなにも彩られている。

「カヲル君はもうとてもヒトらしいよ。」

君が慈しむような微笑みを湛えて…

「そう思うかい?」

僕はその慈しみから生まれたような鼓動をとくんと宿す。

「うん。君が嫉妬であんなことするなんて思わなかった。君はもう、ヒトだよ。」

君がほんのり笑いながら、冗談めかしく伝えたそれは、僕の闇に渦巻く劣等感の塊さえ笑い飛ばして、小さな花火の様に破裂させた。


プリズム・スペクトルが舞う。
虹色の粒が僕等に降り注ぐ。
それはとても鮮やかに煌めく、希望の光。


「ありがとう。」



そう告げてカヲル君がとても綺麗に笑った。とても満たされた笑顔だった。あまりにも幸せそうだったから、つられて僕も笑った。僕には虹色の光の粒がぱらぱらと僕らに降り注いでいるように見えた。まるで僕たちふたりを祝福しているように舞う虹色が僕らを優しく包み込んでいた。僕は幸せだった。僕たちの絆はまた少し強くなって、果てしない一歩をふたりで乗り越えられた気がした。そして僕らは今きっと、そこから見える新しい景色の中にいる。


「ねえ、シンジ君。」

「なに、カヲル君。」

「僕は此の所、君のお陰で寝不足なんだ。」

僕の頬を包んでいた指先が優しい力を込めて僕の頬をぷにぷにと掴む。

「僕だってそうだよ。」

僕も君の真似をしてその珍しく緩みっぱなしの白肌の頬に仕返しをした。

「今日は僕の家に泊まっていってくれるよね。」

少し眉を上げて挑発的な顔をする君。

「そんな気がしたから、ちゃんと準備してきたよ。」

僕は小さく舌を出して応戦した。

「さすが、僕の最高の恋人だ。」

よくやった、とばかりに君は目を細めて口角を上げる。

「僕たちの相性はぴったりだね。」

その表情にときめいてしまったことは秘密にして、負けじと君の真似した表情を仕掛ける僕。

ふたりして可笑しくて、笑った。その笑顔のまま額と額を擦り合わせれば、ほら、またその熟れて赤みを帯びたままの互いのそれが欲しくなる。


自由落下の法則に逆らえずに自然と引力に吸い寄せられる君の唇と僕の唇。



白色光がプリズムを通り、赤から青までの虹色のスペクトルを生む。赤から青までの色は七色とも云われ無限の色合いが広がっているが、それをひと言、虹色、と僕らは云いたい。

希望の色。奇跡の色。そして君と僕との可能性の色。



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