間違いだらけで脆い
「グラコロのポテトMにQoo、あとはフィレオフィッシュと…え?あ、そうだチキンフィレオだ。クリスマスだからね、あは!それとナゲットとスプライト。今日は爽健美茶じゃないんだって。それください。あ!やっぱこっちがいいや!グラコロやめてデミチーズグラコロで!お持ち帰りね」
「長いよ」
スマイル0円でバイトの女子高生が接客してくれた。ポテトを揚げている同じくらいの年頃の女の子に見て見てと顔で合図。これまた同じくらいの男ふたりの客に瞳をキラキラ輝かせている。
「だってグラコロにデミとチーズがなんてやばくない?」
「奮発したよね」
「聖なる夜だからね、君もチキンだし」
「ちゃんとフィレオもつけろよ」
「細かいとこ気になっちゃうんだ」
「なんかヤダ」
でもくだらない会話をしていて気づかないふたり。華麗にフラグをへし折りファストフード店の自動ドアをくぐり抜けた。とたんに乾いた冷たい冬の夜風が前髪を掻き上げる。外はもう真っ暗だ。
「さっっむ」
「雪降るんじゃない?」
シンジが寒空を見上げた。
「晴れてるよ」
「クリスマスの奇跡的な確率で」
「ないな」
信号が青になる。横断歩道を並んで渡る。駅前はカップルばかりだったのに。周りはいつの間にやら頭まで寒々しい初老のサラリーマンや、コートを着込んで険しい顔のお姉さんがそれぞれの帰路を闊歩していた。
「今日何の日だっけ」
「スーパーライブの日」
ああ、なんだか心まで寒い。キンと冷えたビルの谷間の空気が痛い。咳き込みそうになったシンジの隣で渚が鼻をすすっていた。
「クリスマスに男ふたり寂しいねえ」
何故か嬉しそうに呟く渚。
「しみじみ言うなよな」
シンジも冗談みたいにフフッと笑った。胸の前に伸ばされた手、何となく夕飯を手渡した。渚はそれを反対の手に持ち替えてまたシンジへと手を差し出す。
「なに」
「それ」
渚の腕が横切る。シンジの遠くの手からコンビニのレジ袋を引っ張った。中には今日発売の青年漫画の週刊誌、それとケーキ。ショートケーキがなかったからモンブランノエルという新商品をふたつ選んだ。今日のいいところって世間に便乗していつもよりちょっと高めの美味しいモノを買えるとこだよね、とシンジは言った。いつもなら300円近いケーキなんて罪悪感に苛まれる。
「いいよ別に」
「僕が読みたかったんだし」
「君にまかせるとモンブランがめちゃくちゃになりそう」
「うんこみたいに?」
「食欲失くすんだけど……」
「だってバランス悪いんだもん。貸してよ」
半ば強引に奪って左右に荷物をぶら下げた。
「こうすると歩きやすいんだよ」
「重くなるだけだよ」
「シンジ君こんな裏技も知らないんだ?わ〜〜ハズカシ〜〜」
「裏技じゃない。君がヘンなだけ!」
ふと顔を見合わせた。ふたりの間に白い粉が舞い降りてきたのだ。
「「雪!?」」
見上げると、ベランダに出たサンタの格好のおじさんが必死にザルをふるって人工雪を降らせていた。
「うわ。ひとりで何してるんだろ」
「年末になると変な人が増えるらしいよ」
「頼んでないのに特効って……」
「いこいこ」
汗だくでシェイクするおじさんに感謝も述べずにふたりは肩を寄せ合い早足で路地を抜けた。角を曲がる前に振り返るとおじさんがふたりに手を振っていた。
「感動して損したよね」
「あんなおじさんでも頑張って生きてるんだよ」
高校生ふたり、世知辛さに知ったかぶりをして頷き合う。「メリクリ!」と手を振り返して渚とシンジは変質者に別れを告げた。
「なんかカレー食べたくなってきた」
渚のおなかが鳴って頷いている。カレーもいいなと思いながらシンジはスマホをチェックした。
「もうスーパーライブ始まってる」
「げっ」
弾けて坂道を駆け上がるふたつのシルエット。もうすぐそこは目的地。渚のマンションが見えてきた。
***
「ねえ見てよ。タモさんのコスプレ今年もしてるよ」
渚がヴォリュームを上げようとして効かないチャンネルコールをコンコン叩いている。シンジがお茶を淹れて戻ってきた。
「電池切れかな?あ、直った」
「緑茶しかないとかさ」
「モンブランって栗でしょ?合いそう」
ハンバーガーを食い散らかして渚んちの小さなテレビを観る。ポテトのケースを逆さまにしてもカスしか落ちない。シンジはゴミを片して机を拭いてコンビニスイーツとマグカップをきちんと対照的に並べた。
「よく躾られてるね」
「うるさい」
フォークを渡そうとして目の前の散らかし屋にフェイントをかける。唇をすぼめられてブーイング、変顔されてやっと許してやることにした。シンジは渚といると世話役みたいなことをしてしまう自分がちょっと恥ずかしい。でもつい、してしまうのだ。
「やっぱ緑茶合うじゃん」
今日と関係ない誰かの新曲を片耳で聞いてモンブランに夢中な渚。シンジはバイブを感じてスマホのホームボタンを押した。
「こんなん送られてきた」
LINEでアスカがセルフィーを送りつけてきた。アスカはシンジの腐れ縁の幼馴染み。セクシーサンタの衣装の女友達たちとカラオケでかなり出来上がっているご様子。彼女はカラオケならオレンジジュースでもほろ酔いになる。
「リア充〜〜うらやましいんだ?」
「別に」
「あ、来た来た!ランニングマン!」
シンジがそのパーティを断ってここにいるなんて渚は知らない。ダンサーに合わせてステップを踏んでおちゃらける渚にシンジが破顔。
「また下の人に怒られるって!」
渚が一生懸命楽しませようとしているなんてシンジは知らない。教室でこれを踊るとシンジがいつも笑うから渚は得意になってしまった。
とても居心地のいい関係。でも最近はそれを維持しようとふたりは密かに努力している。互いに知られないように。
もう買い込んだ物は全部食べ終わってしまった。
「もっと買ってくればよかったな〜」
よく食べる年頃でも大食いではないからお腹はいっぱいだけどなんだか口寂しい。そんな時はありませんか?と聞いてみたい。テレビを観るだけでいいはずなんだけれど、今日がクリスマスだなんて銘打っているからそれだけじゃいけないんじゃないかと思えてくる。じりじりと “ ただテレビを見ている無言の間 ” がふたりを責め立てる。渚は買った週刊漫画をめくってみた。シンジはやかんでお湯を沸かした。マグカップにはまだお茶が残っていた。
普段なら絶対起きない奇跡に少し期待しているなんて、無意識にそんなことを願っているなんて、男子ふたり気づくはずもなく。
「メンツ去年とあんま変わんないね」
「ん」
やかんがピューっとけたたましい笛音を吹き出す。急須を持って立ち上がる。シンジが戻ってくるとアナウンサーが曲紹介。ステージではイントロと共に歌姫が微笑んでいた。
そして歌われるのはクリスマスの定番チューン。等身大のバラードだ。渚とシンジはじっとその歌声に聞き入っていた。
渚は思い出す。赤と緑と白の結晶で彩られ始まった繁華街を。何気なく寄り道しながら歩いていた。雪景色にデコレーションされたウインドウ、映り込むふたりの顔。その向こうにある何かを誰かに贈ることなんてあるんだろうか。もしそうしたら、どんな顔をするんだろう?
シンジは思い出す。イルミネーションが眩しい駅前のロータリーを。人混みの間を縫うように歩いていた。寒い冬の夜のせいにして手を繋ぐ恋人達、一歩前を歩く背中。いつか自分も誰かの手をとることがあるんだろうか。もしそうしたら、あったかいんだろうか?
しんみりした会場の拍手はどこかやさしい音色がする。余韻を残そうともせず、次のアーティストの演奏が始まった。
「サンタ来ないかな」
ぼんやりと画面を見ながら渚が言う。
「いい子にだけ来るんだよ」
少し冷めた急須を傾けシンジが言う。
「僕いい子じゃない?」
「いい子じゃない」
なみなみあふれそうなマグカップ。入っていたお茶と合わさりぬるそうだ。シンジはその水面を見つめた。
「もしいい子だったら……プレゼントは何が欲しい?」
うわ言のように呟く。シンジは見つけたのだ。茶柱が立っていた。それが、なんだかとても不思議だった。こんな時になんで?こんなことが起きるんだ?
「そろそろ……がほしい」
消えそうな声がした。シンジが探すような目で振り向くと、
バチッ―――――
「イッタァ……!!」
唇が静電気の攻撃を受けた。なんで?なんで?ふたりが絨毯の上に転がった。
「何コレ!?キスってこんな痛いの!?」
口を手で覆って渚がおかしそうに笑っていた。肩を揺らして。その横でシンジも肩を揺らしていた。
「痛かった?」
「うん」
涙を流しながら。その声に驚いて渚がシンジを見つめる。両腕で顔を隠してシンジは泣いていた。痛い、どうしよう。胸が痛いのは突然のキスのせい?静電気のせい?わからない。
「そんなに痛かったんだ?」
「うん」
もう隠すのもアホらしくてシンジは嗚咽を我慢するのをやめた。喉を鳴らして出てくる声は「ふぇ」とか「んぐ」とか頼りない。シンジは自分を遠くから見下ろして思った。僕は何してるんだろう、と。
せいいっぱい大きな一歩を踏み出した。踏み出してくれた。そしてそれをバカにされた。台無しにされたんだ。見えない大きなモノがずっとずっと自分をバカにしてくる。お前の気持ちもお前の考えもお前の存在も何もかもどうでもいいし何の価値もない。お前には人並みに幸せになる権利すらないんだ。だからそのままただ現状にすがっていればいい。お前は苦しくて泣き叫んでいてちょうどいい。
あふれてしまう。
「悲しいの?」
「うん」
僕たちはなんて脆いんだ。
「つらいの?」
「うん」
この間違いだらけの世の中で。
「なんで?」
「わからない」
甘えたような声がした。シンジが鼻水をすすって口を歪めて泣き声を漏らす。でも、わからない、そのことまでも渚にはちゃんとわかる。感じ方は違うけれど同じ気持ちだった。わからないんだ。ずっと。ずっとそうだった。もらい泣きを瞳の表面でぐっとこらえて、渚は笑った。
「もう痛くないようにするから」
「うん」
泣きじゃくるシンジの上に覆い被さり、その弱々しくこわばった腕をからめ取り、渚はもう一度、シンジに触れた。
「メリークリスマス」
ほら、こんなにあたたかいのに、窓の外では本当の雪が降っている。
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