XU. 耳を塞いで君の声を聴いたなら






ガラス越しに君を見ていた

手を重ねようとしても

君の手に触れられない

声を掛けようとしても

僕の声は届かない

見つめ合う僕らは

もう熱も感じられないんだ

そんな夢を見て泣いた





君の言葉は僕の心を見透かしていたから、僕は声を殺して泣いていたんだ、君が恋しくてーーー


君はどういう気持ちでその言葉を紡いだのだろう。胸を染め上げる切なさが僕の肺を強張らせて息が出来ない。胸の前で重ねられた掌をそっと僕ので包み込んだら、君が切迫したように息を呑み込んだ。君の身体の震えやその息遣いが、まるで怯えているようで僕を更に責め立てる。僕は君を知らず知らずにこんなにも傷付けていたんだ。君は僕らの間の些細な違い、取るに足らない違いに苦しんでいたんだ。

僕の身勝手な不安がそうさせた。そんなすれ違いなら他人同士幾らでもあるんだけど、君は世界でひとりきりの個性を抱えている。それは君自身が一番わかっているはずだった。僕は唯一それを愛する存在でいるはずだったんだ。つまらないもののために、僕は君を独りにしてしまった。


「カヲル君…」




ーーーーー…

シンジ君は僕の部屋に来ても僕を見ようとしなかった。

躊躇う仕草や笑顔を取り繕う表情や神経質に歪む声色が、今日の午後の君を支配していて、僕達に必要以上の空間を作った。その隔たりのもどかしさに僕が近づいても君は離れていく。いたちごっこは君の勝ちで、僕はこの現象に焦燥する。



『どうしてアスカにあんなこと言ったのさ。』

俯きながら尋ねる君。ここは逃げるようにして君が僕を連れて来た校舎の屋上。色違いの弁当箱の中身を君に倣って固いコンクリートの床に座りながら食している時。

僕は最愛の人が用意してくれた色鮮やかなそれらを口に運んでいた。僕は今迄その彼が作ってくれた食事にしか味を感じた事は無かった。美味しいと云う感覚を初めて知って感動した数日前のふたりで囲んだ食卓以来、なるべく手料理を食べたいと君に強請ってしまう僕。お弁当と云うかたちと学校の昼食と云うのは初めてで感慨深い。

『…君を傷付けたなら、ごめん。』

『僕じゃなくてアスカが傷付いたんだよ!』

その温かい味に水を差す、その名前。どろりと生臭い感情が渦巻いてゆく。

『…どうして、シンジ君は彼女をそんなに気にするんだい?』

頭を通さず言葉が流れる。

『君の恋人は僕だろう?彼女じゃない。』

何故だろう、胸が抉られる様に、痛い。

『それとこれとは関係ないよ…』

たじろぐ君がまた俯く。僕は箸を置いて、目の前の艶やかな黒髪が真上の陽射しを反射してつくる、その天使の輪を見据えた。

『それに、彼女が初めに僕を敵視してきたから、応じたまでだよ。』

シンジ君は押し黙った。暫くの静寂の後、小さく息を吐く。

『…ごめん、カヲル君。確かにそうだよね。アスカが、初めに君に突っ掛かってひどいことを言ってた。でも…』

僕の瞳を戸惑いの色を浮かべて見上げる君の瞳。

『アスカはそれが彼女らしくて、カヲル君はなんだかカヲル君らしくない気がするんだ。君はいつも優しいから…』

『優しいのはシンジ君にだけだよ。』

『…他の人には興味がないの?』

『ないよ。好きなのは君だけだ。』

『そうじゃなくて…友達として、興味はないの?』

シンジ君の質問の意図が解らずにふと考え込む。複雑な君の表情が何を気にしているのかを僕には読み取れない。

『…僕にはシンジ君が居てくれれば、他に何も要らないよ。昔からそうだったろう?』

一塊りの静寂の後、うん、と曖昧な微笑みで頷いた君は、また昼食を再開したので、僕もまた箸を持つことにした。



昼間の屋上での会話を反復しても、上手く掴めなかった。急に遠くに感じる君の背中。まだ陽の傾かないうちに帰路についた僕等は取り敢えず僕のマンションまで並んで辿り着いた。タイマーで気の利いた空調でもまだ残暑の中の帰り道の火照りは癒せなかったので、僕は冷蔵庫から前に君から好きだと聞いて調達したラムネの瓶を取り出し、君へと差し出した。気付かない君に声を掛けると、君はゆっくり振り向いた。頬に一筋の涙を流して。


「シンジ君…」

あ、と小さく驚いて涙の筋を拭う君。

「僕、ちょっと出直してくるね…また、来るよ。」

俯いたまま小走りで玄関まで直進する。

「待って!」

僕は何も考えずに君を追い掛けた。

「シンジ君!」

逃げる君と捕まえようとする僕。

「待って!」

玄関に辿り着く直前に後ろから掻き抱く。無理やり腕に君を収めた。



「はなして!」

逃走劇は瞬時にカヲル君に軍配があがった。堪らずに何も考えずに叫んだ僕の声にカヲル君の身体がびくついて固くなる。

「放さないよ…」

苦し紛れに絞り出すような声。君の腕に力がこもる。

「離さない…」

まるで、自分に言い聞かせるようにして、君は耳元で小さく声を漏らした。


さっきのラムネの瓶の汗でなのか冷たく湿った手の感触がシャツ越しに伝わる。帰り道の残熱と互いに密着して痺れた感覚に熱せられた体で唯一そこだけが冷んやりしていた。

僕は今日という一日を考えあぐねていたら何故か零れてしまった涙が、この攻防で揺さぶられて殊更に溢れて重力に勝てない。僕を繋ぎ止める君の腕にもぽたりと弾ける。

理由も明らかじゃない涙が君に申し訳なくて嗚咽を噛み殺して泣いても鼻から抜ける声や鼻を啜る音が殺風景な廊下に響いて、あと数歩の玄関扉が僕を嘲笑っているみたいだった。


「ねえ、キスしようよ。」

カヲル君らしくない甘い毒を含んだような言葉の響きに胸がきゅんとして背筋が粟立った。唐突にこの場面に相応しくない言葉が鼓膜を擽って変な汗が滲む。僕はこんな急な方向転換に追いつく頭を持ち合わせていない。

「ねえ、シンジ君、キスしよう。」

再度の催促はどこか甘い響きの中に切羽詰まった声色だったから、僕はますますわからなくなる。

「カヲル君?」

僕が身じろぐと、君はそれに合わせて僕の肩を押して引いて体を後ろ前に回転させて、向かい合わせにする。その時初めて君が泣きそうな顔をしていると知った。水気を溜めた瞳がぎこちなく弧を描いて僕を見下ろす。額と額をこつんと合わせて儚い笑顔を深めると君は囁く。

「きっと、キスをしたら、気分も良くなるよ。お互い、何も心配することなんて、なくなるさ。」

複雑な口調に、噛み砕けない言葉の意味。僕は君が何を言っているのかわからない。僕が真っ白な頭で返答を出来ないでいると、君は眉を下げて困ったように微笑んだ。でも、その笑みは少し突つくだけで泣き出してしまいそうな程、脆く見えた。

僕は一歩下がると壁に背中をぶつけた。それを追い掛けるようにして、君は僕の唇を君ので塞いだ。



シンジ君が一歩下がるその距離が僕を果てしなく突き放している様で、君が困惑顔なのをそのままに口付けた。壁と僕に挟まれて、僕の両腕で抱き留めてしまえば、君は逃げ道を失う。

ー僕はヒトではないけれど…

乗り気じゃない君がなかなか僕を受け入れない。もどかしい。

ー誰よりも君を想っているよ。

食す様に唇を貪れば、君の幼い顔が淫らに濡れて、堪らなくそそる。

ー彼女は、ヒトだけど、君を大切にしないじゃないか。

顔を逸らして抵抗する君が焦れったくて、下顎を掴む。君が痛くならない様にそっと顎を下げて舌を侵入させた。

ー彼女は、異性だけど、理にかなった身体を持っているけれど…

やめて、ともう君が囁けない様に舌を絡める。顎を掴む僕の指先が君の涙で濡れた。

ー彼女は僕には敵わないよ。僕達には記憶と云う絆があるだろう?

泣き喘ぐ声を漏らさない様に口内を弄って、腰を強く抱き寄せた。

ー僕は使徒だし、男同士だけど、君を愛しているんだ…

君の手が僕を小さく押しやってなけなしの抵抗をする。何故抵抗するんだろう。その小さな圧に、胸が潰れる程苦しい。

ー君を愛しているんだ…




僕はどうしてしまったんだ?




カヲル君に無理矢理キスをされた。君らしくなくて、優しくないキス。君が急に別人みたいでわからない。こんな切ないキスは嫌だ。強引なキスは嫌だ。君が辛そうなキスは嫌だ。

頭がパンクしそうだ。君が学校で見せた姿はヒトじゃないみたいで、感情が欠落してるんじゃないかと不安だったのに、今の君はとてもヒトらしくて、悲しいくらい情熱的だから、戸惑ってしまう。

ーどうして、君は他人にあんなに冷たかったの?

ーどうして、僕はそれが不安なんだろう?

どうして君がこんなキスをするのかわからずに抵抗しても僕の気持ちは届かない。やめて、と言うことも君は許さない。その力強さに涙が漏れる。君の体が熱い。君の口も僕の腕を掴む手も圧迫して触れる太腿も、全部熱い。君が今、僕の腰に回した腕も、そして密着したお腹もーーー


「ん…やめ、て、よ!」

力一杯君の肩を押し叩いて顔を逸らして、絡む舌を抜いた。離れるふたつの体。僕の腕の長さ程の距離、その僕らの距離が永遠のように感じた。

「…ごめん。」

消え入りそうな声でそれだけ伝えて僕は乱れたまま靴を履いて玄関から飛び出した。振り返らずによろめきながら走ると足が縺れて転びそうになった。とにかく階段を駆け下りて道路まで出てから身嗜みと息を整えて、振り返る。カヲル君は追い掛けて来なかった。


ーーー僕は密着した下半身から浮き彫りになった熱で硬く盛り上がった君の劣情に怒った。僕の悩ましい一日を馬鹿にされた気になったから。でも、違った。突き放してから覗き見た君の顔は恍惚としていながらも、それは辛く歪んで僕らの距離を見てぽろりと一粒の涙が零れ落ちていた。君は途方に暮れたように力無かった。


君を残して去ってしまったマンションは黄昏時に柔らかい色に染まって日常と何ら変わらなかった。でも、戻れない。今は君の部屋に戻っても、どうしていいか、わからない。

僕は歩き出した。まだほんのり昼間の陽射しを受け熱を持ったアスファルトの上を、まだほんのり恋人の口付けを受け熱を持った体を、引き摺りながら、歩いた。



僕らは
この感情の名前を
まだ知らない



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